江戸中期の歌人、文章家。近江八幡(おうみはちまん)(滋賀県)出身の京都の商家に生まれ、本家の八幡の伴庄右衛門(しょうえもん)家を継ぐ。名は資芳(すけよし)。別号閑田子(かんでんし)。1768年(明和5)36歳で養子資要(すけかね)に家督を譲り剃髪(ていはつ)した。洛東(らくとう)の岡崎、また三十三間堂付近などに住んだ。歌人としては武者小路実岳(むしゃのこうじさねおか)に学んで、寛政(かんせい)期(1789~1801)京都地下(じげ)歌人四天王の1人と称せられた。小沢蘆庵(ろあん)、上田秋成(あきなり)など当時の有名な歌人や文人と親交があった。淡泊な詠みぶりで古今調の歌をよくし、家集に『閑田詠草』がある。文章家としては当時第一で、和文集に『閑田文草』があり、また『近世畸人伝(きじんでん)』、随筆『閑田耕筆』『閑田次筆』など著書も多い。
[宗政五十緒]
ながむればいづくの花もちりはてて霞(かすみ)に残る春の色かな
『『閑田耕筆』(『日本随筆大成 第一期18』所収・1976・吉川弘文館)』
江戸後期の歌人,文章家。名は資芳(すけよし),通称は庄右衛門。京都に生まれ,近江の八幡(はちまん)に本店がある商家の主人となる。36歳のとき家督をゆずり,和歌,和文の制作活動をもっぱらにする。歌学は武者小路実岳に学ぶ。寛政期(1789-1801)の地下(じげ)の和歌四天王の一人。家集に《閑田(かんでん)詠草》《閑田文草》がある。《近世畸人伝》は彼の代表作。《閑田耕筆》《閑田次筆》は近世随筆中,優れた作。《国津文世々能跡(くにつふみよよのあと)》は文章史の最初の著作として今日なお生きている。
執筆者:宗政 五十緒
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…近世後期の伝記。伴蒿蹊(ばんこうけい)著,三熊花顚(みくまかてん)画。続編は三熊花顚原著,蒿蹊加筆完成。…
※「伴蒿蹊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...