佐伯達夫(読み)サエキタツオ

デジタル大辞泉 「佐伯達夫」の意味・読み・例文・類語

さえき‐たつお〔さへきタツを〕【佐伯達夫】

[1892~1980]野球指導者。兵庫の生まれ。早大卒業後、関西の中等学校野球の指導に尽力戦後中止されていた全国大会の復活貢献し、昭和21年(1946)全国中等学校野球連盟(のちの高野連)副会長となる。同42年、第3代高野連会長となり、高校野球を発展させた。

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20世紀日本人名事典 「佐伯達夫」の解説

佐伯 達夫
サエキ タツオ

大正・昭和期の野球人 日本高等学校野球連盟会長。



生年
明治26(1893)年2月17日

没年
昭和55(1980)年3月22日

出生地
大阪府

学歴〔年〕
早稲田大学商科〔大正6年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲三等瑞宝章〔昭和47年〕

経歴
大阪の市岡中(旧制)から早大に進み、右投左打の三塁手として活躍。また早大在学中から市岡中の野球部コーチを務め、大正6年卒業後も中等学校野球界に貢献、9年に当時の全国中等学校優勝野球大会(のち全国高校野球選手権大会)審判委員となる。戦後、昭和21年日本高校野球連盟設立と同時に副会長、42年から第3代会長を務め、高校野球の指導に情熱を燃やし続け“高校野球は教育一貫”との信念を貫き通した。アマチュア野球界の指導者でもあり、日本学生野球協会副会長、全日本大学野球連盟副会長、日本社会人野球協会最高顧問などもつとめた。56年野球殿堂入り。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐伯達夫」の解説

佐伯達夫 さえき-たつお

1892-1980 大正-昭和時代の野球指導者。
明治25年12月17日生まれ。大正9年全国中等学校優勝野球大会の審判委員となり,昭和21年日本中等学校(のち高等学校)野球連盟の設立とともに副会長,42年会長。「高校野球は教育の一環」を信念とした。日本学生野球協会副会長。昭和55年3月22日死去。87歳。56年野球殿堂入り。兵庫県出身。早大卒。

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世界大百科事典(旧版)内の佐伯達夫の言及

【高校野球】より

…高等学校の教育の一環として課外活動で行われる野球。現在,高校生が行っている野球には硬式野球と軟式野球があり,いずれも日本高等学校野球連盟によって統轄されている。そのうち,競技人口が多く競技大会の規模が大きいのは硬式野球である。したがって一般的に高校野球といった場合,硬式野球を指すことが多いのが現状である。 硬式野球の競技会を代表する大会は,春の選抜高等学校野球大会(毎日新聞社,日本高等学校野球連盟共催)と,夏の全国高等学校野球選手権大会(朝日新聞社,日本高等学校野球連盟共催)である。…

※「佐伯達夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」