〘自ラ変〙 (「這
(は)ひあり」の変化したものという) 這いつくばる動作を表わすところから、絶対者の支配下・恩恵下に存在させていただく、さらに、絶対者・尊者のお
そばにいさせていただくという敬語性を帯びるように発展したものか。なお、「はんべり」の語形のものもある。
[一]
① 人や物の存在するのを、
天皇や
神仏など、絶対者の支配のもとにあるという意識で表現する。(絶対者の支配のもとに)あらせていただいている、つつしんで存在する。
※
書紀(720)推古一六年六月(岩崎本訓)「餝船
(かざりふね)卅艘を以て、客等を
江口に迎へて、
新館に
安置(ハヘラシム)」
※続
日本紀‐天平神護二年(766)一〇月二〇日・宣命「
如来の尊き大御舎利は〈略〉謹み礼
(ゐや)まひ仕へ奉りつつ侍
利(はべリ)」
② 特に、
貴人・支配者のそば近くにあらせていただく。つつしんで貴人のおそばにいる。
※書紀(720)用明二年四月(図書寮本訓)「天皇〈略〉宮
(とつみや)に
還入(かへりおはします)。群臣侍
(ハヘリ)」
※延喜式(927)
祝詞(九条家本訓)「集侍
(うごなはりハヘル)親王諸王諸臣百官の人等」
③ 対話敬語として、尊者に対するかしこまり改まった表現(会話、
消息、
勅撰集などの
詞書を含む)に用いる。①の「侍り」の支配者に対する
敬意が聞き手に移り、「あなたさまのおかげであらせていただく」の
気持から、広く「ある」「いる」の意をへりくだり、また、丁重にいう語となったものか。
(イ) 貴人のそばや貴所にいるの意の場合。
一説に(ロ)と同義で、ただ存在する場所が貴所にすぎないともいう。
※
古今(905‐914)
離別・三九七・詞書「かむなりの壺に召したりける日〈略〉
夕さりまで侍てまかりいでけるをりに」
※枕(10C終)五六「
御前のかたにむかひて、うしろざまに、誰々か侍ると問ふこそをかしけれ」
(ロ) 自己または自己側のものの存在を、聞き手に対し、へりくだる気持をこめて丁重にいう場合。
※古今(905‐914)恋二・五八八・詞書「やまとに侍ける人につかはしける」
※
源氏(1001‐14頃)
桐壺「いともかしこきはおきどころも侍らず」
(ハ) 広く一般に、存在の意(「あり」「おり」)を丁重にいうのに用い、いい方を改まったものにする場合。通常、丁寧語といわれる。→語誌(2)。
※大鏡(12C前)一「昔物語して、このおはさふ人々に、さはいにしへはかくこそ侍りけれと聞かせ奉らむ」
④ 地の文に用いて、あるものの存在を、自己の経験したこと、知っていることとして、つつしみ深く表わす。読者を予想した表現ともいわれ、特に、
中世に多いこの
用法は、
一種の雅語的用法であるともいわれる。
※源氏(1001‐14頃)関屋「守も〈略〉あいなのさかしらや、などぞはべるめる」
※徒然草(1331頃)一一「神無月の比、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入ること侍りしに」
[二] 補助動詞として用いる。
① (一)③の場面で用いる対話敬語。
(イ) 形容詞・形容動詞の連用形、体言に断定の助動詞の連用形「に」の付いたものに付いて、叙述の意を添える「あり」を、へりくだり改まる気持をこめて表現したり、また、単に丁重に表現したりする。後者の場合は丁寧語ともされる。…(で)あります。…(で)ございます。
※古今(905‐914)恋四・七四〇・詞書「中納言源ののぼるの朝臣のあふみのすけに侍けるとき」
※枕(10C終)八「姫宮の御前の物は、例のやうにては、にくげにさぶらはん〈略〉ちうせい高杯などこそよく侍らめ」
(ロ) 動詞の連用形(または、それに助詞「て」の付いたもの)に付いて、その動作の存続を表わす「(て)あり」の意を丁重に表現したり、また、単にその動作を丁重に表現したりする。…ております。…ます。多く、自己または自己側の動作を表わす動詞に付いて、へりくだる気持がこめられるが、一般的に第三者の動作に用いることもあり、この場合は丁寧語ともされる。→語誌(3)。
※竹取(9C末‐10C初)「おのが身は、此国に生れて侍らばこそ使ひ給はめ」
※大鏡(12C前)一「かかればこそ、昔の人は、もの言はまほしくなれば、穴を掘りてはいひ入れ侍りけめと、おぼえ侍り」
② (一)④のものの補助動詞用法として、地の文に用いる。動詞などに付いて、その表現に丁重さを加える。自己の経験や感想をつつしみ深く表わす場合に多く用いられるが、この用法は中古には特殊で、中世以降の擬古文に多くみられる。
※紫式部日記(1010頃か)寛弘五年秋「物語にほめたる男の心地し侍しか」
※俳諧・奥の細道(1693‐94頃)平泉「笠打ち敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ」
[語誌](1)活用はラ変であるが、後世はラ行四段化した。「法華義疏長保四年点」に「侍れり」とあり、「今昔‐一九」に「事の外に侍れりけり」とあるなど、完了の助動詞「り」の付いたものがあることから、このころ四段化しはじめていたのだろうとする説がある。なお、現代語でも「はべる」の形で用いられることがある。→
侍る。
(2)((一)③(ハ) について) 中古の「侍り」は原則として敬うべき聞き手側のものについては用いられない点で、後の丁寧語「さぶらう」「そうろう」や「ございます」とは異なる。当時にも、「蜻蛉‐下」の「な死にそと仰せはべりしは」、「枕‐八」の「よしよしまた仰せられかくる事もぞ侍る」、「源氏‐若紫」の「一日召し侍りしにやおはしますらむ」などのように聞き手側の事柄に用いた用例もあるが、これらは、その事柄が「わが身に侍り」の気持であり、時には「あっていただく」「あってくださる」の意にも解せられるとする説がある。なお、(一)③(ハ) の「多武峰少将物語」の例や前記諸例の「仰せはべり」「召しはべり」などを、ある動作が存在するの気持から生じた尊敬表現(「御感あり」など)の「あり」を丁寧に表現するものとみる説もある。
(3)((二)①(ロ)について) 動詞に付く補助動詞の場合にも、中古では、原則として尊敬すべき人の動作に用いた例はみられず、一般的な、丁寧語とみられるものも、その動作を自己の主観として表現する気持のこめられることが多い。なお、中世の擬古文における文章語では、会話文・地の文を通じて、尊敬語とともに用いた例がみられる。「撰集抄‐五」の「小倉のふもとに行ひすましておはし侍りとうけたまはり侍りしかば」や、「徒然草‐二一五」の「心よく数献に及びて、興にいられ侍りき」など。
(4)中世になると「はべり」は古風な語として形式化し、「平家」では、わずか三例が、過去の老翁、弘法大師の霊、異邦人の霊という特殊な存在の会話に用いられているに過ぎない。近世の俳文の「侍り」については、直接には連歌師の文章の伝統を受け継いだものとする説がある。
(5)伝聞の助動詞「なり」や、推量の助動詞「めり」などの付く場合には、「はべなり」「はべめり」となることがある。「はべんなり」「はべんめり」の撥音「ん」の無表記と考えられる。「蜻蛉‐下」の「不定なることどももはべめれば」や、「源氏‐帚木」の「かやうなる際
(きは)は際とこそはべなれ」など。