デジタル大辞泉 「俄」の意味・読み・例文・類語
にわか〔にはか〕【×俄】
1 物事が急に起こるさま。突然。「天候が
2 名詞の上に付いて、急にその状態になる意を表す。「
3 病気が急変するさま。
「此の時御病いと―になりぬ」〈記・中〉
4 一時的であるさま。かりそめであるさま。
「―にしもあらぬ匂ひ、いとなつかしう住みなしたり」〈徒然・一〇四〉
[名](「仁輪加」「仁和賀」などとも書く)「俄狂言」に同じ。
[類語]ひょっこり・打ち付け・ぶっつけ・急・突然・突如・忽然・俄然・唐突・出し抜け・
漢字は「卒」「卒爾」「遽」「頓」などが当てられたが、一般には「俄」が多く用いられた。
仁和歌,仁輪加,二輪嘉,二○加,加などとも書く。和,輪の心意を表すという。滑稽(こつけい),風刺,洒落,頓智(とんち)などをねらって即興頓作する即興狂言で,江戸時代から明治時代にかけて,江戸の吉原や大坂,京都,博多を中心に流行した。日本の滑稽風刺芸はたとえば古くは平安時代の《新猿楽記》に出てくる数々の猿楽芸(猿楽)に見られるが,俄はそうした古い芸能伝承の路線上に成立したものと考えられている。江戸時代の天和(1681-84)のころ,京都島原遊廓の楼客の間で頓智を競う遊びが起こり(《好色一代男》),同じ島原の住吉祭には風流(ふりゆう)から発した即興の仮装が出て,町人たちが盛んに即興狂言を演じた。この素人の〈流し俄〉は江戸の吉原でも享保(1716-36)のころ九郎助稲荷の祭礼に行われ,明和(1764-72)のころには俄踊が行われている。安永・天明(1772-89)ごろは〈流し俄〉だけでなく,浄瑠璃や歌舞伎の趣向を作り替えての〈座敷俄〉も盛んだった。これらは通人の遊興であったが,寛政(1789-1801)以降になると職業的な俄師が生まれた(《守貞漫稿》)。とくに天保(1830-44)ごろの大坂の村上杜陵が有名で,大阪俄の中興の祖といわれる。そのころには〈独り俄〉,数人立合の〈立合俄〉,芝居がかりの〈長俄〉などと種類も多様化した。幕末には大坂に俄席と呼ばれる専門劇場もできた。
大阪俄は景物を見立てておとす〈見立俄〉(配り物俄),地口の面白さをねらう〈もじり俄〉(口合俄),歌舞伎種の〈物まね俄〉,行違いの面白さをねらった〈拍子違い俄〉,スカタン(出まかせ,脱線)の〈出たらめ俄〉に大別され,これを一人でコント風に演じる〈一口俄〉,2人以上で落語の仕方噺風に演じる〈軽口〉や〈俄芝居〉のいずれかで演じる。俄芝居では舞台を本舞台を思わせるように飾り,衣装も本衣装を用いたが,鬘(かつら)はボテ鬘を使い,たとえ女方でも化粧をしないのがしきたりである。主流は軽口,俄芝居だが江戸時代は市井種が多く,歌舞伎種が盛んになるのは明治に入ってからである。明治時代の大阪の俄師には日清戦争に取材して人気があがった大和家宝楽,次いで新聞種で頭角を現した鶴家団十郎がいる。団十郎は1898年に東京の明治座で興行している。しかし宝楽が没し,団十郎も旅興行に出て帰阪しないまま1904年以降大阪俄は衰退する。これに代わって曾我廼家(そがのや)五郎・十郎の改良二○加が生まれ,やがて大阪の新喜劇へと展開し,近代日本の喜劇の幕明けとなるのである。現在大阪俄は1981年に最後の俄師ともいわれた2代目一輪亭花咲が没したあと,落語家の露乃五郎が3代目を継いで保存に努めている。
江戸の吉原俄は1923年の関東大震災以降衰滅したが,九州の福岡,熊本,佐賀などには現在も細々と残されている。俄の特徴の一つに,方言だけを用いることが挙げられるが,九州各地の俄も,それぞれのお国言葉で行われる。〈博多俄〉は天保ころには盛行していた。藩主が1642年(寛永19)の松囃子再興に際して,旧領播州伊和明神の祭礼の風(悪態祭)をとり入れたのが初めらしいが,実際は盂蘭盆(うらぼん)の行事の一環として行われていた。鬘はボテ鬘で,眉と目だけの半面をつける。天下御免の風刺のためといい,地口オチをつける。喜劇化して素面の俄も演じられている。熊本県には明治中ごろの成立と思われる喜劇仕立ての〈肥後俄〉があり,佐賀県には大正末ごろの成立と思われる〈佐賀俄〉がある。しかし佐賀では1830年に俄狂言が演じられた記録もある。その他祭礼での素人俄があり,小規模の素朴な俄芝居で時事風刺的なものが多い。大阪府南河内郡千早赤阪村水分(みくまり)の建水分(たけみくまり)神社の秋祭で山車(だんじり)の上で演じられる〈河内俄〉や岐阜県美濃市八幡神社の春祭に演じられる〈流し俄〉などが知られる。
俄は本来即席の自作自演で台本はなく,口立てが普通であるが,評判の高い作品は書き留められている。たとえば幕末の《風流俄選》,近年では《大衆芸能資料集成》(第8巻,1981)がある。
執筆者:西角井 正大
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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江戸時代に京都・大坂・江戸などの大都市を中心として行われた民間芸能の一つ。仁輪加、二〇加など多様な表記があり、形態もさまざまに変化して一定しないが、いずれも「にわか」すなわち即興的な物真似(ものまね)芸を特色とした。江戸では茶番ともいった。もっとも、茶番と俄の区別については江戸時代以来諸説があるが、実際において両者の間に明瞭(めいりょう)な一線は引けない。
そもそも即興性の濃い物真似芸は日本芸能の古くからの伝統の一つであるが、江戸時代に俄の称でよばれたものは、軽口、頓作(とんさく)、見立て、もじり、洒落(しゃれ)などによる滑稽(こっけい)を主とした演芸で、祭礼、縁日のにぎわいのなかを流して歩いた流し俄、遊里の座敷で座興として行われた俄踊りや座敷俄などが代表的なものである。座敷俄の情景は、歌舞伎(かぶき)や人形浄瑠璃(じょうるり)の茶屋遊びの場面に取り入れられており、それらを通じてかつての俄の実態をうかがうことができる。また地方に伝播(でんぱ)したものとしては、博多(はかた)の正月や盆の行事として演じられた博多俄が知られている。
当初の扮装(ふんそう)は、俄という名にふさわしく、頭に張りぼてのかつら(ぼてかつらという)をかぶったり手拭(てぬぐい)をのせたり、ときに仮面をつけたりする程度の簡略なものであったが、のちには本衣装を用いるはでなものも現れた。もともと通人の素人(しろうと)芸としてこれを行う者が多かったが、太鼓持ちなど廓(くるわ)の芸人で俄を得意とする者がおり、のちには専門の俄師が登場することとなった。18世紀に入ってとくに盛んになり、『古今俄選』(1774)のように評判をとった俄の趣向を集めた書物が出版されることもあった。さらに江戸後期には、俄とはいえ本格的な舞台を構えた俄狂言、俄芝居、寄席(よせ)で上演される寄席俄の出現をみるに至った。
上方(かみがた)ではこの俄狂言、俄芝居が明治以降、改良俄、新聞俄など時事性の強い軽演劇に発展し、壮士劇(後の新派)を生み出すとともに、俄本来の喜劇性は新喜劇など上方喜劇に引き継がれた。江戸系の俄は吉原俄として20世紀初めまで伝承されていたが、いまは消滅している。今日、大阪や九州に俄師の流れをくむ芸人がわずかに俄の伝統を保持しているほか、まれに地方の祭礼に郷土芸能として俄の遺風を伝える所があるが、いずれも衰微が著しい。
なお、農村の地芝居など素人芝居を、それが簡易な上演であるところから、俄とよぶ場合があった。
[守屋 毅]
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