しゅり‐しき【修理職】
〘名〙
宮中などの
修理営繕をつかさどった
官司。
平安時代、弘仁九年(
八一八)設置した
令外(りょうげ)の官で、その
前身は
奈良時代にもあったと思われる。天長年間(
八二四‐八三四)、一時
木工寮に合併されたが、のち復活した。おさめつくるつかさ。すり
しき。しゅり。
※
三代格‐四・(弘仁九年)(818)
太政官符「応
下停
二修理左右坊城使
一、置
中修理職
上事」
すり‐しき【修理職】
〘名〙 宮中などの修理営繕をつかさどった官司。平安時代、弘仁九年(
八一八)設置した令外
(りょうげ)の官。天長三年(
八二六)頃、
木工寮に合併されたが、のち復活。すりづかさ。おさめつくるつかさ。すり。しゅりしき。
※宇津保(970‐999頃)
藤原の君「
朝廷(おほやけ)、すりしきに課
(おほ)せ給ひていと多く建てたる、
四つが中にあたり面白き、
本家の
御料に造らせ給ふ」
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デジタル大辞泉
「修理職」の意味・読み・例文・類語
おさめつくる‐つかさ〔をさめつくる‐〕【修=理=職】
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修理職【しゅりしき】
818年設置された令外官。和訓は〈おさめつくるつかさ〉。職掌は宮中・京内の諸施設の造営・修理。職員は長官の大夫(だいぶ)以下,亮(すけ)・権亮(ごんのすけ)・大進(だいじょう)・少進・大属(だいさかん)・少属,史生(ししょう)8人ほか。826年廃されて木工(もく)寮に統合,890年木工寮と同じく大規模な常設官司として再設された。平安時代には別当(べっとう),院政期には大夫の下に年預(ねんよ)が置かれ,南北朝期には大夫を木工頭(橘氏)が兼任。15世紀以降禁裏御料所山国荘の山国奉行が業務を担当するようになった。
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しゅりしき【修理職】
818年(弘仁9)7月に新置された令外官(りようげのかん)。宮内,京内の諸施設を造営・修理することをつかさどり,長官(大夫)以下四等官8人,史生8人が配されている。また《延喜式》によれば木工,瓦工,檜皮(ひわだ)工,石灰工もおり,別に木工関係として長上10人,将領22人,工部60人,飛驒工63人が配され,仕丁も227人を数える大組織である。奈良時代にすでに前身官司として修理司が設置されたことが知られ,称徳天皇発願の西大寺,西隆寺の造営を契機に新設されたもののようである。
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