俸禄制
ほうろくせい
江戸時代,家臣が領主から蔵米(俸禄米)を給与された制度。蔵米知行と蔵米取をあわせた呼称で,地方(じかた)知行に対する概念。蔵米知行は地方知行が擬制化したもので,知行村を名目的には残しながら藩公定の年貢率で藩が収納した物成(ものなり)米を藩庫からうけとる。蔵米取には切米取(きりまいとり)・扶持取(ふちとり)・給金取などの形態があった。本来両者は別個だが,物成渡という点で共通するので,あわせて俸禄制とよぶ。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内の俸禄制の言及
【知行】より
…下級の知行取の場合は,家臣の駐在もなく年貢収納を知行地の名主にまかせる場合もあった。これに対し蔵米知行の旗本は,蔵米取(切米取)とも呼ばれ,幕府蔵より年に春,夏,冬の3回,俸禄を米または[張紙値段]によって換算した金で支給されるだけで(俸禄制),知行地を支給されることもなかった。 1867年(慶応3)大政奉還によって幕府が倒れた後も大名領は朝廷の下に維持されていたが,明治政府は69年(明治2)[版籍奉還]を行うとともに武士階級を華・士・卒族に編成替えし,71年[廃藩置県]によって大名とその家臣団の土地領有権を否定した。…
【幕藩体制】より
…(1)大名家臣=給人が給人知行地の農民に対して直接に個別的に支配を行うこと(地方知行(じかたちぎよう)という)を事実上,または制度上禁止すること。(2)藩がその直轄地(蔵入地(くらいりち)),給人知行地を含めて,所領内の農民支配を一元的に掌握して年貢を取り,大名家臣にはその知行高に応じて,藩が年貢米を支給する(俸禄制という)制度にすること。(3)小農民の把握とその生産力的安定とを基調にした藩ごとの農政を展開し,基本階層としての[本百姓]体制を小農民を主体として固めること。…
【藩政改革】より
…さて,藩政改革は以上の諸前提のうえに成立してくるが,ここでは,17世紀後半から廃藩置県に至る時代を4期に分けて,藩政改革の推移と実態をみてゆくことにする。
[前期――給人地方支配の廃止と俸禄制への転換]
領知規模1万石以上を[大名]と呼び,その大名の所領高合計が全体の4分の3に達しているなかで,徹底しきれないいくつかの藩があったにせよ,大名家臣団が地方(じかた)支配([地方知行])から俸禄制(蔵米(くらまい)知行)に変わったことは,藩政にとっても大きな変化であったといえよう。信濃国の譜代小藩諏訪藩におけるこの政策の実施過程に出された〈郷中申渡〉8ヵ条は,第3代藩主諏訪忠晴が1675年(延宝3)閏4月に出したもので,その冒頭の条に,藩が給所百姓を大名直轄の百姓に切り替えてゆく理由を明記している。…
※「俸禄制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」