倒幕運動(読み)とうばくうんどう

改訂新版 世界大百科事典 「倒幕運動」の意味・わかりやすい解説

倒幕運動 (とうばくうんどう)

幕末期に起こった徳川幕府打倒のための政治運動。狭義には武力倒幕(討幕とも書く)を指すが,広義には〈大政奉還〉による軍事衝突を回避した政権移譲の政治工作を含めていう。一般に尊王攘夷運動公武合体論が主として文久・元治年間(1861-65)に展開したのに対し,倒幕運動は慶応年間(1865-68)が中心で,戊辰戦争(1868-69)へと連なった。

 1863年(文久3)8月の天誅組の挙兵や同年10月の生野の変などは,いずれも討幕挙兵の先駆とされているが,ともに失敗におわった。そして,文久3年8月18日の政変や翌1864年(元治1)7月の禁門の変,同年8月の4国連合艦隊の下関砲撃事件,およびこれとほぼ時期を一にして行われた第1次征長等のプロセスで,京都あるいは長州を拠点に展開した尊攘運動は敗北・挫折した。長州藩内では,幕府への恭順を主張する保守派(いわゆる俗論派)が藩権力を握り,第1次征長に長州藩は戦わずして屈伏した。この情勢を一転させたのが1864年末から翌65年(慶応1)初めにかけての高杉晋作らの馬関(下関)挙兵である。諸隊および瀬戸内(せとうち)一帯の豪農商層などの支持をえて高杉らは長州藩権力を保守派から奪取し,長州藩討幕派(正義派)は成立した。一方,薩摩藩生麦事件(1862年8月)に端を発する薩英戦争(1863年7月)で攘夷の不可能を体験し,対英接近の道を歩み,禁門の変や第1次征長などの過程で公武合体路線から倒幕路線へと移行していった。

 この尊攘運動から倒幕運動への移行の過程で成立する討幕(倒幕)派は,尊攘派の外圧を否定的媒介とした天皇の絶対性(〈国体〉論的天皇観)と,公武合体論にみられる天皇の相対化(天皇の政治的利用)という二つの相対立した政治条理を交錯させた〈政治的リアリズム〉の論理をもつにいたった。これをもっともよく示すのが,〈至当之筋を得,天下万人御尤と存じ奉り候てこそ勅命と申す可く候ば,非義勅命は勅命に有らず候故,奉ず可からざる所以に御座候〉(1865年9月23日,大久保利通より西郷隆盛宛の手紙)という言葉である。ここでは〈勅命〉(天皇)は絶対性をもちつつも,天下万人の納得(〈至当之筋〉)という座標軸で相対化されている。したがって,以後の倒幕運動はこうした〈政治的リアリズム〉のうえに立って展開する。

 長州藩の主導権を握った高杉や木戸孝允,あるいは大村益次郎らは,挙藩軍事体制を整えて幕府の第2次征長に対処するとともに,藩政改革によって〈富国強兵〉化をはかり,薩摩藩においても大久保利通や西郷隆盛らによる藩政改革=富国強兵化がすすめられた。1866年1月,薩長両藩は,土佐藩の坂本竜馬,中岡慎太郎らを仲介として薩長軍事同盟を結び,また,11月には日本貿易独占計画を企図した薩長経済同盟を成立させた。その背景には,事実上薩長西南雄藩側を支持するイギリスと,幕府側へ軍事的・経済的なてこ入れをしていたフランスとの対抗があった。また,長州藩が挙藩軍事体制のなかで農町民のエネルギーを諸隊や農商兵の組織化によって吸収したのに対し,第2次征長軍をすすめた幕府側は,66年をピークとして高まる全国的な一揆・打ちこわしにその背後を脅かされ,幕府の第2次征長は失敗に帰した。幕権は急速に失墜したのである。66年12月の孝明天皇の急死後,討幕派と結んだ公家岩倉具視らは公然と活動を開始し,討幕派は翌67年1月,幼少の明治天皇を即位せしめて,いわゆる〈玉〉(天皇を指す隠語)を手中にした。このころになると,諸侯会議に基礎をおいた公議政体論による政権構想が出されてくる。幕府との武力衝突を回避しようとしたこの公議政体路線と,あくまで軍事力で幕府を圧倒し,天皇中心の新しい統一国家をめざす武力討幕路線とは,67年6月の薩土盟約,9月の薩長土出兵協約などのなかで交錯しつつ競合し,67年10月14日を迎える。すなわち,この日,討幕派は〈討幕の密勅〉を入手するが,他方,第15代将軍徳川慶喜は,公議政体路線に立つ土佐藩の勧告をいれて〈大政奉還〉を朝廷(天皇)に申し出た。〈大政奉還〉は翌日勅許されたため,討幕派は肩すかしをくった形となった。こうして公議政体路線におされた討幕派は,12月9日にクーデタを敢行し,〈王政復古の大号令〉を発して幕府を廃絶するとともに,さらにその夜の小御所会議で慶喜の辞官・納地を迫った。これに対して尾張・越前・土佐の3藩を中心として公議政体路線に立つ勢力も挽回をはかったが,68年1月3日,討幕派の挑発による鳥羽・伏見の戦に端を発した戊辰戦争の開始によって,旧幕府軍と薩長中心の新政府軍との全面武力対決となり,旧幕府軍は緒戦に敗れた。以後,上野・東北・北越・箱館とこの戦争は続き,69年(明治2)5月におわる。倒幕運動は討幕派の軍事的勝利として終結したのである。かくして,新政府の主導権は薩長を中心とした西南雄藩に握られ,討幕派出身の維新官僚の手で天皇中心の明治天皇制国家が構築されていくのである。
大政奉還
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百科事典マイペディア 「倒幕運動」の意味・わかりやすい解説

倒幕運動【とうばくうんどう】

江戸幕府打倒をめざす政治運動。狭義には,攘夷(じょうい)主義を脱し中央集権国家樹立をめざす幕府討滅運動をいい,尊王攘夷運動大政奉還運動と区別。尊王攘夷運動は武力蜂起(ほうき)にまで発展したが,民衆的基盤をもちえず失敗した。薩英戦争馬関戦争を経て,排外主義をすて富国強兵による中央集権国家を志向する勢力が台頭し,薩長同盟の結成後,倒幕運動は本格化した。第2次長州征伐において長州藩は奇兵隊の活躍で幕府軍を破った。土佐藩が推進する公議政体論は,統一国家への平和的移行をめざして武力倒幕派と対抗し,倒幕派が倒幕の密勅を得た翌日の1867年11月9日(慶応3年10月14日)に大政奉還を実現した。しかし小御所会議で倒幕派が巻き返し,戊辰(ぼしん)戦争を通じて倒幕派の主張が実現した。
→関連項目井上馨国学(近世)薩土盟約佐幕派天皇十津川の変日本藤田伝三郎陸援隊

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