かし‐あげ【借上】
※書陵部所蔵壬生文書‐
保延二年(1136)九月日・明法博士勘文案「或以
二上分米一企
二借上
一、是則非
レ顧
二私之方計
一、偏為継
二欲
レ絶之神事
一也」
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デジタル大辞泉
「借上」の意味・読み・例文・類語
かし‐あげ【▽借上】
鎌倉から室町初期、高利で金銭を貸すこと。また、金銭を貸した金融業者。室町中期には土倉とよばれる業者に移行。かりあげ。
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借上
かしあげ
「かりあげ」ともいう。鎌倉時代から室町時代初期の高利貸業者の呼称。借上はおもに交通の便のよい港湾都市に発達した。最初は米を貸したが,貨幣経済の発達につれてもっぱら金銭を貸すようになった。経済的に窮乏した鎌倉御家人は,借上から借りた金を返済できずに所領を借上に奪われる者も少くなかった。鎌倉幕府は借上を地頭,代官にすることを禁じたり,借上などに所領を売却することを禁じたが効果がなかったので,徳政令 (→徳政 ) を出して質入れされている所領を御家人へ無償返却することを命じた。しかしこの徳政令は借上から御家人への金融のみちをとざすことになったので,翌年には廃止された。借上は徳政があっても返却しない旨の徳政文言を取って,所領を抵当にした御家人への融資を行なった。室町時代になると借上の呼称はすたれ,土倉 (どそう) と呼ばれるようになった。
借上
かりあげ
江戸時代,幕府および諸藩が財政窮乏対策のために行なった減俸政策。借上の名はあるが,実質的には減俸分の補填がのちになって行われることはなかった。借上の率や方法は多種多様であったが,高禄の者ほど借上率を高くし,この政策の武家階級の家計への影響が少くなるような配慮はなされた。しかし,それにもかかわらずこの政策が,武家階級の生活を著しく圧迫したことは事実である。享保年間 (1716~36) ,8代将軍徳川吉宗が行った借上はことに有名で,このときは切米 (きりまい) 100俵につき金4両の割合で行われた。
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借上【かりあげ】
平安末期から南北朝期にかけての高利貸業者。〈かしあげ〉とも。鎌倉時代には地頭・御家人に無担保,高利で金を貸し付け,返済に苦しむ武士の経済を窮迫させた。室町時代には高利貸は土倉(どそう)と呼ばれた。
→関連項目悪党|安東蓮聖|有徳人|高利貸
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借上
かしあげ
中世前期の高利貸,またその業者。「上」は出挙(すいこ)の挙と同じ意味で,借して元金・利子を挙げさせる意からうまれた。荘園制下の交易・輸送などに従事し財力を蓄えた神人(じにん)・寄人(よりうど)などに多くみられる。巨大荘園領主だった山門(延暦寺)には,所領経営の実務に通じた下級僧侶である山僧が多く,京都の高利貸の主流となった。山僧は山門に集積された大量の米銭から融資をうけ,山門の威力を背景に債権回収を強行した。所領の経営能力を見込まれたり,貸付金回収の手段として,従来無縁の荘園領主や地頭にまで所領の代官請負契約を結ぶ例がふえた。鎌倉幕府は地頭所領の流出や山門の関与を嫌い,借上を地頭代官に任じることを禁じた。室町時代には高利貸は多く蔵をもち,土倉(どそう)・蔵本(くらもと)などとよばれた。
借上
かりあげ
1⇒借上(かしあげ)
2借知(かりち)・借高とも。江戸時代,財政に窮乏した諸藩が,家臣の俸禄の一部を削減すること。慢性的な赤字財政に苦しむ諸藩は,財政再建策の最後の手段として,家臣の俸禄の一部を借り上げるという名目で,実質的にはその分を削減した。借上にあたっては削減率や対象となる家臣に条件をつけることもあったが,削減率が5割に達する半知の場合もあったため家臣の困窮を招いた。
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かしあげ【借上】
平安末期から南北朝期にかけての高利貸業者の呼称。語義については2説ある。第1は,高い利率で銭を借り上げることから起こったとするもの。第2は,出挙(すいこ)の和訳で,借は出(かし),上は挙(あげ)とする。史料上の初見は1136年(保延2)の明法博士勘文案で,近江国日吉(ひえ)神社の神人(じにん)が所領荘園からの上分米を預かり,これを諸人に出挙していたというもので,借り手には下級官人や受領層が多く見られる。
かりあげ【借上】
江戸時代,諸藩が財政窮乏の打開策としてとったもので,家臣の知行・俸禄の一部を藩が借り上げること。本来は,期限を設けた一時的借入れであり,返済を建前としていたが,時期が下るにしたがって,借上げの期限もなくなり恒常的なものとなり,返済されることもほとんどなくなり,減知同様のものとなっていった。借上の比較的早い例としては,1674年(延宝2)に始まった若狭小浜藩の事例があるが,江戸中期以降,多くの藩でこの政策がとられた。
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借上
かしあげ
鎌倉末期から室町初期にかけての金融業者
貨幣経済の進展とともに,凡下 (ぼんげ) (一般庶民)の中で富を蓄えた者が高利貸業を営んだ。しだいに,窮乏した御家人の所領をも蚕食するようになったので,鎌倉幕府は1239(延応元)年地頭が借上を代官とすることを禁じ,'40年には凡下借上が領地を買うことを抑制しようとしたが失敗。室町中期以降は土倉が金融業者の称呼として一般的に用いられ,借上の語は消滅した。
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