げん【元】
[1] 〘名〙
※制度通(1724)一「元とは天子元士の元のごとくはじめと云ことなり」 〔易経‐乾卦〕
※古事記(712)序「潜龍元
(げん)を体し、

雷
(せんらい)期に応じき」 〔広雅‐釈古・四〕
③
万物を生ぜしめる天地のはたらき。気。〔班固‐幽通賦〕
※続日本紀‐大宝
元年(701)三月甲午「建
レ元為
二大宝元年
一」
⑥
改元の第一年目。新しい天子が即位した最初の年。〔
春秋〕
※和蘭学制(1869)〈内田正雄訳〉小学条例「元は和蘭の『ギュルデン』にして、『ギュルデン』二個半を以て『ドルラル』一個に換ふべし」
⑨ 中国の
讖緯説(しんいせつ)でいう時間の単位。六〇年説、四五六〇年説などがある。→
一元。
※制度通(1724)一「六十年を一元とす」
[2] 中国を
支配した
モンゴル族の
王朝。一二七一年、
モンゴル帝国第五代大汗フビライが国号を元として成立。都は大都(北京)。一二七九年、南宋を滅ぼし、中国を統一。モンゴル、
チベット、中国東北部まで領し、さらには朝鮮半島・日本・
東南アジアなど周辺に出兵した。モンゴル至上主義の立場から民族的身分制をたてたが、漢民族の反発と過度の誅求による財政不安、社会不安が白蓮教の乱(紅巾の乱)の原因となり、一三六八年、一一代で明に滅ぼされた。大元。
がん グヮン【元】
〘名〙
① (「
がんきん(元金)」の略から) 勘定。金高。また、もうけ、利潤などをいう上方の語。
② 以前遊里で放蕩した人の異称。
※浮世草子・新吉原常々草(1689)下「元(グハン)といふは前にも注するごとく元(もと)此里の沙汰功者(かうしゃ)なれば」
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デジタル大辞泉
「元」の意味・読み・例文・類語
もと【元/▽旧/▽故】
《「本」と同語源》以前。むかし。副詞的にも用いる。「―の同僚」「この地に―から住んでいる人」「―あった所に戻す」「―大臣」
[類語]旧・前・前・先
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元(げん)
Yuan
1271~1368
モンゴル帝国の第5代皇帝クビライ(世祖)が1271年建国,モンゴル高原から進出し,79年南宋を滅ぼして中国を統一し,大都(北京)に遷都して中国風の専制的官僚支配を行った異民族王朝。クビライは対外的にはモンゴル,満洲,中国を中心部とし,チベット,朝鮮を属国とする元朝最大の領土を支配した。対内的にはモンゴル至上主義,遊牧優先の原則に立ち,特に中国に対しては民族的身分制を立て,(1)モンゴル人,(2)色目人(しきもくじん)を支配階級に,(3)漢人(金朝遺民),(4)南人(蛮子(まんじ)=南宋遺民)を被支配階級とした。中央官制では皇帝とモンゴル貴族が絶対権を持ち,地方官制は宋,金の制を受けつつ分権的に統治し,統一維持のために駅站(えきたん)(ジャムチ)・運河などの交通制度,社制などの郷村制度,交鈔(こうしょう)などの貨幣制度を整え,パクパ文字などで国粋保存を図った。しかしカイドゥ(海都)の乱を契機にハン位の相続が不安定となり,宮廷貴族の専横や,モンゴル至上主義による誅求が財政・社会不安を生み,白蓮(びゃくれん)教徒の乱が滅亡をもたらした。元の文化は国際的・現実的で,キリスト教,イスラーム教が流布し,チベット仏教が興り,自然科学も発達した。一方,儒教,詩文などの中国文化は不振で,むしろ元曲,南曲などの俗文学が栄え,また文人画が興って南画,山水画が大成された。
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元
げん
1271〜1368
モンゴル族が中国に建てた王朝
チンギス=ハンに始まるモンゴル帝国は,オゴタイ=ハンのとき金を滅ぼして(1234)華北を支配。モンケ=ハンは華北の経営を弟のフビライに委ねた。モンケの没後,フビライは大ハン(元の世祖)となり,都を大都(現在の北京)とし,国号を元と定めた(1271)。1279年に南宋を滅ぼし,中国最初の異民族による統一王朝となる。フビライ=ハンは対外積極策をとり,東アジアの大部分を支配下に収めたので,東西交流は非常に盛んとなった。ハイドゥの乱以後,イル−ハン国を除く3ハン国は大ハンの支配から事実上離れていったが,モンゴル帝国としてのゆるやかな連合は維持されていた。巨大な中国を支配するに際し,元はこれに同化されないように,中国文化を軽視し,科挙を一時廃止するなどの配慮をした。元は住民をモンゴル人・色目 (しきもく) 人(西域諸国人)・漢人(金朝治下の中国人・女真人)・南人(南宋治下の中国人)の4つの身分に分け,中国人を圧迫してモンゴル人の支配を維持しようとした(実際には,このような厳格な身分制度はなく,こうした区別は1315年に再開された科挙の合格枠に適用された程度にすぎない,ともされている)。しかし連年の征戦,ラマ僧への供養 (くよう) ,色目人財政官の不正や唯一の通貨である交鈔の乱発などによる財政破綻,漢民族の反抗などによって国力は衰弱し,1368年明の朱元璋に滅ぼされた。モンゴルに逃れた子孫の北元はしばらく勢力を保った。
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元
げん
Yuan; Yüan
モンゴル人が中国を征服して建てた王朝 (1271~1368) 。モンゴル帝国第4代皇帝モンケ (憲宗) の死後,帝位継承争いのなかから中統1 (1260) 年世祖フビライ・ハンが即位し,大都に遷都。至元8 (71) 年国号を大元とし,南宋を征服,満州,チベットを併有,高麗を属国とし,東アジアをほぼ統一する大帝国を建設。政治機構は宋,金のそれに類似し,大領土支配のため自治的機能をもつ行省を,直轄地を支配する中書省の出先として設けた。支配民族のモンゴル人,色目人 (西方人) ,被支配民族の漢人 (金国人) ,南人 (南宋人) の順位の身分制を設けて支配し,官庁の長は前2者が占めた。また,駅伝制度のジャムチ (站赤) を整え,大領土支配を円滑にし東西交渉の繁栄を招き,紙幣である鈔 (しょう) を法貨とした。至元 31 (94) 年の世祖の死後約 30年元朝の盛期は続いたが,皇位継承争いと権臣の悪政によって乱れ,至正 28 (1368) 年8月順帝は,紅巾 (→紅巾軍 ) 出身の明の太祖 (→洪武帝 ) により漠北に追われて元朝は滅びた。
元
げん
element
数学用語。要素,元素ともいう。集合をつくっている個々の対象をいう。 aが集合 Mの元であることを表わすのに,記号 a∈Mを用い,aは Mに属すると読む。要素という表現は,行列や行列式にも用いられる。行列あるいは行列の要素 (成分) とは,それらを構成する個々の数あるいは文字をさす。
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げん【元 element】
ある集合を作っているおのおののものを,その集合の元,または要素という。例えば,実数全部の集合Rについては,各実数がその元(要素)であり,自然数全体の集合Nについては,1,2,3,……がその元である。aが集合Mの元であることを表すのにはa∈M,またはM∋aのように∈,∋を用いるのがふつうである。aがMの元ではないことはa∉M,M∌aのように∉,∌を使うことが多いが,
,
が使われることも少なくない。上のR,Nについて,例えば,0.5∈R,0.5∉Nである。
げん【元 Yuán】
中国を支配したモンゴル民族の王朝。1260‐1368年。国号の元は1271年(至元8)に《易経》の乾の〈大いなるかな乾元,万物資始す〉に基づき,定められた。
【政治】
1205年アルタイ地方に拠る強敵ナイマン部の撃滅をもって完結した太祖チンギス・ハーンのモンゴリア統一によって,後年アレクサンドロス大王の帝国をも凌駕するまでに成長するモンゴル帝国はその政治的基盤を固めた。ところで牧畜経済にとって唯一の資財たる家畜はその累積がきわめて困難な関係上,遊牧国家がその発展を期するために隣接する異なる経済圏の制圧を企てるのは匈奴帝国以来の通例である。
げん【元 Yuán】
中国大陸,台湾,香港に流通する銀行券の基本単位。ただしそれぞれの地域によりその基礎が同一でないことはもちろんである。歴史的には銅を通貨用に円(円)く鋳造したことから銅円という言葉が生まれ,円が貨幣単位として使われるようになった。元は円と中国語で同音である。近代的通貨としての元は1933年,35年の幣制改革後に成立した。清末までは,伝統的な銀,銅などの鋳貨と列強の銀貨に模して発行するようになった銀元とが併存した。
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元
げん
モンゴル人が中国に建てた王朝(1271~1368)。チンギス・ハンが創建したモンゴル帝国が第5代フビライ・ハンのときに4大ハン国に分裂,世祖フビライは都をカラコルムから大都(現,北京)に移し,国号を大元とした。1279年南宋を滅ぼし,各地に遠征してモンゴリア・中国本土・中国東北地方などを支配,チベット・朝鮮を属国とした。1274年(文永11)と81年(弘安4)の2度日本に侵攻したが失敗した(元寇)。ハン位をめぐる抗争や交鈔(こうしょう)(紙幣)乱発による社会不安の増大に加え,1351年白蓮(びゃくれん)教などの指導による紅巾(こうきん)の反乱がおこり,68年明の太祖朱元璋(しゅげんしょう)によって中国本土から追いはらわれた。
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元
げん
モンゴル帝国第5代皇帝フビライが建国した中国の王朝(1271〜1368)
中国本土・満州・蒙古・チベットにわたる大帝国を形成。都は大都(現北京)。東西交通路が整備され,東西文化が交流したが,1368年明に滅ぼされた。フビライの時代の日本来襲(元寇 (げんこう) )は失敗したが,その後日本との通商はとだえず,建長寺船・天竜寺船の派遣,僧一山一寧 (いつさんいちねい) の渡来などがあった。
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元
暦上の基準となる「はじまり」を指す言葉。紀年法では元年のことであり、元号は元年から始まる一連の時代につけられた呼び方。暦を作成する計算のために設けられる暦元のことを指す場合もある。
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
世界大百科事典内の元の言及
【マジャパイト】より
…この土地に生えていたマジャという木の実が苦かった(〈パイト〉は〈苦い〉の意)という故事から,マジャパイトという地名が生じた。翌年中国の元の大軍が,先年クルタナガラ王から受けた侮辱に報復するためにジャワに到着したとき,ビジャヤは巧みな外交折衝により元軍と提携してジャヤカトワンを討ち,次いで元軍に敵対した。元軍は征服を断念して去り,ビジャヤはマジャパイト王国初代の王クルタラージャサ・ジャヤワルダナ(在位1294‐1309)として即位した。…
【モンゴル襲来】より
…1274年(文永11)と81年(弘安4)の2度にわたって行われたモンゴル(元)軍の日本来襲。蒙古襲来,蒙古合戦,元寇,また文永・弘安の役ともいう。…
【元素】より
…
【化学元素と単体】
特定の原子番号(陽子数または核荷電数)によって規定される,物質構成の究極因子(原子種)を元素という。現在,[原子番号]から107に至る107種の元素が知られている(表1-I,II,III,IV,V)。別の意味で元素(原素と書くこともある)という語が用いられる場合との,用語としての混同を避ける意味で,とくに化学元素chemical elementと呼ぶこともある。実在する物質(分子種)のなかで,特定の元素が示す性質は,さまざまな形をとって多種多様に発現するが,それらの性質の根源は,すべて原子番号によって規定され,ある元素に固有の諸性質は,そのすべてが原子番号に帰着される。…
【四大】より
…また密教では認識作用の〈識大(しきだい)〉を加えて〈六大〉とし,一切万有・全宇宙の構成要素とする。【井ノ口 泰淳】
[西洋]
西洋では四大とは,〈四大元素four elements〉すなわち土,水,火,空気を指す。アリストテレスの哲学では,四大は乾,湿,熱,冷という四つの基本性質と配合され,土は乾と冷,水は湿と冷,火は乾と熱,空気は湿の熱の組合せに対応する。…
【集合】より
…数学で記述を整理し明確化するために,19世紀後半に導入された概念。素朴には,〈思考の対象として明確な意味をもつもので指定した範囲内にあるものを集めたものを集合といい,その集められたものをその集合の元または要素という〉といえばよいが,多少の補足が必要である。 まず,われわれは物を区別したり,まとめたり,ときに応じて適宜処理している。…
※「元」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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