改訂新版 世界大百科事典 「入江たか子」の意味・わかりやすい解説
入江たか子 (いりえたかこ)
生没年:1911-95(明治44-平成7)
映画女優。戦前は日本一の美人女優として君臨し,〈お姫さまスター〉などと呼ばれ,《日本嬢(ミス・ニッポン)》(1931)という映画も作られて〈名実ともにミス・ニッポン的存在であった〉(筈見恒夫)が,戦後は一転して〈化猫女優〉として名を売るに至る異色のキャリアをもつ。東京生れ。子爵東坊城家の4男3女の6番目。本名,東坊城英子。兄の東坊城恭長が映画俳優(のち監督)であったことから,日活に入社,〈華族のお姫さまの映画界入り〉と騒がれた。内田吐夢監督《けちんぼ長者》(1927)でデビュー。当時としてはずばぬけた長身(162cm),〈洋装の似合う〉〈モダーンで,上品で,聡明な〉女優として,とくに畑本秋一監督《近代クレオパトラ》(1928)で見せた〈妖麗さ〉が評判になり,たちまち〈現代劇〉の代表的美貌スターの座に上った。下積みの経験がまったくなく,〈すい星のごとく〉現れたスター女優の第1号であった。1928年には女性雑誌で美の女神ビーナスと当時人気絶頂のアメリカのグラマー女優メイ・ウエストに比較されたりした。32年,〈入江プロダクション〉を設立(日本最初の女優の独立プロであった),その第1回作品《満蒙建国の黎明》(1932)から,彼女の代表作となった名作《滝の白糸》(1933)を経て《神風連》(1934)に至る溝口健二作品に主演し,第一級の女優として認められる。腸チフス,肺結核,バセドー病など相次ぐ病気に見舞われた不幸もあり,戦後のインフレの中で,鈴木澄子主演で戦前に大ヒットした〈化猫映画〉の復活をねらった荒井良平監督《怪談佐賀屋敷》(1953)に出演。これが大ヒットして,以後次々に〈怪猫物〉(《怪猫有馬御殿》《怪猫岡崎騒動》等々)に主演,ついに〈化猫女優〉と呼ばれるに至った。58年に引退。長女,入江若葉も女優。自伝《映画女優》(1957)がある。
執筆者:宇田川 幸洋+山田 宏一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報