江戸時代、手余地(てあまりち)(労働力不足で放棄された耕地)の多い村に、手余地を耕作させるため、他から誘致し移住させた農民をいう。1789年(寛政1)の幕府の触(ふれ)によれば、奥州の手余地に無罪の無宿者(むしゅくもの)を入百姓として移住させ、当分の間は食料など相応の手当を支給し、そのうちとくに出精(しゅっせい)の者は、高持(たかもち)百姓に取り立てて宗門人別に加えるよう命じている。入百姓政策は幕府の本百姓維持政策の一環であった。諸藩でも、村々に手余地が生じた場合、入百姓を奨励したが、その際、入百姓に対して食料の支給や農具代、肥料代、家作代の貸与などの優遇策を講じている。なお加賀藩では、他村からの移住農民だけでなく、村内の無高百姓が新しく高持百姓になった場合にも入百姓と称した。
[竹内 誠]