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デジタル大辞泉
「八文字屋自笑」の意味・読み・例文・類語
はちもんじや‐じしょう〔‐ジセウ〕【八文字屋自笑】
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八文字屋自笑
はちもんじやじしょう
[生]寛文1(1661)? 京都
[没]延享2(1745).11.11. 京都
江戸時代中期の浮世草子の作者,版元。安藤氏。通称,八左衛門。京都麩屋町誓願寺下ルに正本 (しょうほん) 屋を営んだ。元禄期に入って絵入り狂言本の刊行で当て,さらに江島其磧と結び,新機軸の役者評判記『役者口三味線』 (1699) や浮世草子『傾城色三味線 (けいせいいろじゃみせん) 』の大当りによって,以後は評判記,浮世草子の当代随一の書肆としての地位を確立。しかし,作者に其磧の名を出さず作者自笑としたことから其磧が離反,一時は両者の競合となったが,享保3 (1718) 年和解し,翌年から両者連名で出版をした。元文1 (36) 年其磧没後は,子の八文字屋其笑との連署で多田南嶺らの作品を出版。その刊行物には自笑の署名があるが,実際は大部分が代作で,自作はほとんどないと考えられる。
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「八文字屋自笑」の意味・わかりやすい解説
八文字屋自笑【はちもんじやじしょう】
書肆,浮世草子作者。姓は安藤。80歳余で没する。1688年ごろに京の書肆八文字屋八左衛門を二代目か三代目として継いだ。江島其磧(きせき)著作の刊行をきっかけに,役者評判記や浮世草子の版元として隆盛。しかし,1708年以後出版物に〈作者八文字自笑〉と署名のうえ刊行して其磧と争いを起こした。以後も多田南嶺ら代作者を使いながら〈八文字屋本〉と呼ばれる浮世草子多数を残した。
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