デジタル大辞泉 「公卿」の意味・読み・例文・類語
く‐ぎょう〔‐ギヤウ〕【▽公×卿】
2 (「供饗」「公饗」とも書く)公卿に供する食物などを載せる膳。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
中国周(しゅう)の官、三公九卿(さんこうきゅうけい)に由来する名辞。上達部(かんだちめ)、卿相(けいしょう)、月卿(げっけい)、棘路(きょくろ)(おどろのみち)ともいう。一般に三公(太師(たいし)、太傅(たいふ)、太保(たいほ))は太政(だいじょう)大臣、左大臣、右大臣に、九卿(少師、少傅、少保、冢宰(ちょうさい)、司徒(しと)、宗伯(そうはく)、司馬(しば)、司寇(しこう)、司空(しくう))は参議、三位(さんみ)以上の高官にあてた。令(りょう)制では官職は大臣、大納言(だいなごん)、位階は従(じゅ)三位以上をさすが、のちには令外(りょうげ)の摂政(せっしょう)、関白、内大臣、中納言、参議をも含み、四位の参議もまたこれに入る。公卿には現任と散位(さんに)との別がある。『公卿補任(ぶにん)』によれば、散位のうち一度でも参議以上になったことのある官人は、前(さきの)大納言、前参議などと書いているが、位は従三位以上でも、参議にもならない官人の場合は、非参議と表現している。758年(天平宝字2)太政大臣を大師、左大臣を大傅、右大臣を大保、大納言を御史大夫(ぎょしたいふ)と改称したが、藤原仲麻呂(なかまろ)没後の764年に至り、それぞれ旧号に復した。
[渡辺直彦]
摂政・関白以下,参議以上の現官および三位以上の有位者(前官を含む)の総称。中国の三公九卿に由来し,大臣を公に,大中納言・参議を卿に充てたという。狭くは大臣以下参議以上の議政官をいい,平安中期にはその定員を16人としたので,〈十六之員〉とか〈二八之臣〉とも称されたことが記録に見えるが,三位以上の前官および非参議をも含めて公卿と称することがしだいに一般化し,《公卿補任》に記載される範囲全体に及ぶようになった。鎌倉時代以降,公卿の員数はますます増大したが,一方,家格の形成に伴い,公卿に昇る上流廷臣の家柄もしだいに固定し,江戸時代には,その家柄に属する廷臣の総称として,公家とほぼ同じ意味にも用いられた。上達部(かんだちめ),卿相(けいそう),月卿(げつけい),棘路(きよくろ)などの異称もある。
執筆者:橋本 義彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
律令制以前には「マエツキミ」の漢語的表現として,広い範囲の上級官人層をさす語であった。奈良時代にもこのような用例が多いが,平安時代に入ると,中国古代の三公九卿の制の影響をうけ,太政大臣・摂政・関白・左大臣・右大臣・内大臣を公,大納言・中納言・参議・三位以上の非参議官人を卿といい,あわせて公卿と称した。大臣以上と区別して,大納言以下のみを公卿と称する場合もある。参議は四位の者であっても公卿の列に入り,また三位以上を帯する者は議政官でなくとも公卿とされた。非参議公卿以外の,現に太政大臣以下参議以上の官職についている者を現任(げんにん)公卿とよんだ。上達部(かんだちめ)・月卿(げっけい)などの異称もある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…しかも元来個人を対象とした貴・通貴身分は,父祖の庇蔭をもって叙位する蔭位(おんい)制によって再生産され,その世襲化を促し,貴族化へ道を開いた。第2は公卿の成立で,平安中葉までに参議を含む公卿の範囲が定まり,宮廷貴族の中核となった。しかも平安中・末期に入ると,公卿が特定の氏族・家系に固定する傾向を急速に強め,〈貴種〉とか〈華族〉などの用語も生まれた。…
…律令制のもとでは,為政者は三位以上の〈貴〉と四,五位の〈通貴〉にわけられ,地方の豪族や名望家はその下位に位置づけられていた。平安後期武士や寺社の勢力が強大になると,朝廷(おおやけ)の政治を担当する身分つまり朝臣が公家と呼ばれるようになり,なかでもその最高の地位たる大臣,納言,参議を公卿(くぎよう)(総じて三位以上を上達部(かんだちめ)という),四,五位の昇殿を許された者を殿上人(てんじようびと)といい,それ以下の地下人(じげにん)と区別した。 しかし鎌倉時代以後,武士を統率する幕府が成立してその長(征夷大将軍)を〈武家〉と呼ぶようになり,公家はこの武家や寺家・社家と相対する語に用いられた。…
… (1)議政官組織を構成する官職は太政大臣(定員1,ただし本来は具体的な職掌をもたない天子輔導の官),左大臣・右大臣(各定員1),大納言(定員4,のち2となる)だが,8世紀はじめに令外官(りようげのかん)の中納言(定員3)と参議(はじめ定員なし,9世紀から8となる)が加わり,平安時代にさらに内大臣が加わった。これらが後世公卿(くぎよう)といわれるものであって,その定員は10世紀ころまでほぼ守られていた。この組織は,天皇の諮問にこたえ,国政や法を審議し,また,天皇の命令(勅)や審議決定事項を後述の弁官局に伝えて,行政執行命令書としての太政官符(諸官庁に下す命令書),太政官牒(寺院などに下す命令書),弁官下文(官宣旨(かんせんじ)ともいい,太政官符,太政官牒の様式と発布手続を簡略にしたもの)を作成させ,執行させる。…
※「公卿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
7/22 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新