精選版 日本国語大辞典 「公文所」の意味・読み・例文・類語
くもん‐じょ【公文所】
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公文(公文書)を取り扱う役所。平安時代には諸国の国衙(こくが)に置かれ、また、摂関家(せっかんけ)、院庁(いんのちょう)、寺家、社家などでも所領や年貢関係の文書を取り扱い、保管する所を文殿(ふどの)または公文所といった。源頼朝(よりとも)も、東国を支配下に治めると、これらの例に倣って、1184年(元暦1)鎌倉に公文所を設置し、大江広元(おおえのひろもと)をその長官(別当(べっとう))に任じ、中原親能(なかはらちかよし)、藤原行政(ゆきまさ)を寄人(よりゅうど)として文書の保管、政務の処理にあたらせた。1190年(建久1)末頼朝が正二位権大納言(ごんのだいなごん)兼右近衛大将(うこのえのたいしょう)に任ぜられると、翌年正月、摂関家などの例に倣って政所(まんどころ)を設置し(政所設置を頼朝が従(じゅ)二位に叙せられた1185年とする説もある)、公文所を政所の一部局として、文書のことを担当させた。執権(しっけん)北条氏もその家政処理機関として公文所を設置していたことが知られている。
[新田英治]
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1平安時代,公文(文書)の作成・保管・勘申などの文書事務や訴訟審理を行った機関。諸国国衙(こくが)・院宮・摂関家・寺社・諸家などにおかれた。
2源頼朝は1184年(元暦元)鎌倉に公文所を設置し,大江広元(ひろもと)を別当,中原親能(ちかよし)・藤原(二階堂)行政らを寄人(よりうど)とし,侍所・問注所とともに政務を行わせた。85年(文治元)4月,頼朝が従二位に叙せられ(あるいは90年の右大将就任の際),それまでの公文所が政所(まんどころ)に改称されるにともない,政所の下部機関として公文所がおかれ,文書保管などを分担した。1261年(弘長元)3月13日,政所庁屋・公文所・問注屋が焼失し,77年(建治3)2月7日夜半にも公文所が炎上した。
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…本来は律令制下における公的文書の総称で,とくに大計帳,正税帳,調帳,朝集帳は四度公文として重視された。これら公文を取り扱う所が公文所でその取扱者をも公文と称することがあった。例えば国衙公文所,僧綱所の公文(従儀師の筆頭が選任され,僧綱文書の発給責任者として日付下に署名)があり,公家や社寺でも文書を扱う職掌を公文といった。…
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