群集crowdと対比される概念。公衆の古典的定義を提示したのはフランスの社会心理学者G・タルドである。公衆とは「純粋に精神的な集合体で、肉体的には分離し心理的にだけ結合している」社会的集合体であって、「公衆の成立は、群集の成立よりもずっと進んだ精神的、社会的な進化を前提とする」と、彼は述べた。タルドの概念化した公衆の特徴は次のようなものであった。
(1)公衆は間接的接触の集団である。
(2)公衆は地域的に拡散し、無限の広がりをもつ集団である。
(3)人々は多数の、ときに相対立しあう公衆に同時に所属することができる。
(4)公衆を結び付ける紐帯(ちゅうたい)は彼らの信念と感情の類似性とともに、その信念と感情を共有しあっているという各自の自覚である。
(5)公衆は信念と思想に基づき行動し、知性的である。
(6)公衆はジャーナリズムの発達とともに成立する。
タルドの公衆論は多分に散文的であったし、その公衆概念が群集の尾骶骨(びていこつ)を引きずっていたことも否定できない。民主主義社会における世論public opinionの担い手としての公衆の理念像を鮮やかに描き出したものとして、アメリカの社会学者C・W・ミルズの論述が光っている。彼は公衆社会の特徴として、以下の点を指摘した。
(1)意見の受け手とほとんど同程度に多数の意見の送り手がいること。
(2)公的に表明されるいかなる意見に対しても、ただちに効果的に反応できる機会を保障する公的コミュニケーションが存在すること。
(3)自由な討論を通じて形成される意見を効果的な行動に、必要な場合には支配的権威秩序に対抗する行動として実現できる回路が制度的に組み込まれていること。
(4)制度化された権威が公衆に浸透しておらず、公衆としての行動に多かれ少なかれ自律性が保たれていること。
ミルズは公衆の主体性、自律性、能動性をひときわクローズアップさせた点で、タルドの公衆概念をより精緻(せいち)化したといえよう。
だが、同時に、ミルズは公衆を大衆massとの対比においてとらえ、「公衆の大衆への転化」を現代社会の主要な趨勢(すうせい)であると主張していることも見落とせない。「公衆は大衆となり、さらにときとしては群集となる」。好むと好まざるとにかかわらず、現代社会は公衆の新たなる群集化というパラドックスに直面せざるをえないのである。他方、ポストブルジョア市民社会の普遍的展開とともに、公衆は「市民」としてよみがえり、概念的再構築化が企図されつつあることにも注視すべきであろう。
[岡田直之]
『C・W・ミルズ著、鵜飼信成・綿貫譲治訳『パワー・エリート』上下(1958・東京大学出版会)』▽『ジョン・デューイ著、阿部斉訳『現代政治の基礎――公衆とその諸問題』(1969・みすず書房)』▽『坂本義和著『相対化の時代』(岩波新書)』▽『佐伯啓思『「市民」とは誰か――戦後民主主義を問いなおす』(PHP新書)』▽『ガブリエル・タルド著、稲葉三千男訳『世論と群集』新装版(1989・未来社)』
メディアを用いたコミュニケーションで結ばれている人間集団。ル・ボンが〈現代は群集の時代だ〉と否定的に規定したのに対し,タルドが〈現代は公衆の時代だ〉と反論し,公衆を社会学,社会心理学の用語にした。タルドにおける公衆のイメージは〈拡散した群集〉であり,したがってタルドは公衆にも,群集についてと同様,情緒的・非合理的・付和雷同的などのレッテルをはっている。ただし公衆は群集と違って烏合の衆ではない。散らばっていて,同一のメディア(タルドが実際に念頭に置いていたのは数千部,せいぜい数万部の--どちらかというと党派性の強い--政治新聞)で結ばれているだけだから,ときには党派的意見,偏見,センセーショナリズムの扇動で暴発することもあろうが(そのときには群集として行動するだろう),もっと冷静に判断し,行動する余地もある。この可能性に期待するなら,そして多種多様なコミュニケーションの自由が保障されていて,多種多様で豊富な意見や情報をもとにして公衆の間で自由活発な討議が行われるなら,公衆は理性的に判断し,真理や真実を発見するはずである。近代民主主義政治の担い手として想定される公衆は,まさにこういう理想の集団である。しかし,現実にはこういう公衆は存在しない。W.リップマンが《幻の公衆》を刊行(1925)したのは,公衆のこの幻想性に気づいたからである。なおフランス語の日常の用例では,publicは演劇,音楽,演説などのauditoire(聴衆)と同義のことが多い。publicをfoule(群集)と同義に用いた例も少なくない。
→群集
執筆者:稲葉 三千男
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…したがって,大衆とは,歴史における創造的価値を実現する存在として認められながらも,現実には,受動的・非合理的な存在としてあるといわなければならない。 また,大衆の概念は,群集から公衆へ,さらに大衆へ,という連関でも考えられる。コミュニケーションの発展形態で分けると,会話や演説などのパーソナル・コミュニケーションで結ばれている集団が〈群集〉で,手動印刷機で印刷されたせいぜい数万部程度の新聞やパンフレット類の読者が〈公衆〉,そして現代のマスコミの受け手が〈大衆〉である。…
※「公衆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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