精選版 日本国語大辞典 「凡河内躬恒」の意味・読み・例文・類語
おおしこうち‐の‐みつね【凡河内躬恒】
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平安前期の歌人。『古今和歌集』撰者(せんじゃ)。三十六歌仙の一人。894年(寛平6)甲斐権少目(かいのごんのしょうさかん)、907年(延喜7)丹波権大目(たんばのごんのだいさかん)、和泉権掾(いずみのごんのじょう)など地方官を歴任。早く898年(昌泰1)の「朱雀院女郎花合(すざくいんおみなえしあわせ)」に歌を残すが、名をなすのは『古今集』によってである。入集(にっしゅう)60首は紀貫之(つらゆき)に次ぐ第2位。907年宇多(うだ)法皇の大井川御幸では、9題中8題につき、彼のみ2首ずつを献じる。『古今集』以後の活躍は華々しく、913年の「亭子院歌合(ていじいんのうたあわせ)」などに出詠、また屏風歌(びょうぶうた)歌人として令名高く、貫之と並び称された。名所歌の作者としても名があるのは、即興的な歌才に優れていたことをうかがわせる。四季歌を得意とし、機知に富み、事象を主観的に把握して、平明なことばで表現するところに躬恒の特長がある。
心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花
[菊地靖彦]
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生没年不詳。平安前期の歌人。三十六歌仙の1人。諶利の子とも,系譜不詳とも伝える。894年(寛平6)甲斐少目(しょうさかん)。以後の官歴も不遇で,最高位は淡路権掾(ごんのじょう)。紀貫之(つらゆき)と並ぶ「古今集」の代表歌人で,紀友則(とものり)・貫之・壬生忠岑(みぶのただみね)とともに「古今集」の撰者を勤めた。歌合(うたあわせ)への参加,屏風歌の制作も多く,歌人としての評価は高かった。「古今集」の60首を含め,勅撰集に190首あまりが入集。家集「躬恒集」。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…完成奏覧は913年(延喜13)から914年の間である。撰者は紀友則,紀貫之,凡河内躬恒(おおしこうちのみつね),壬生忠岑(みぶのただみね)の4人で,友則は途中で没し編纂の主導権は貫之がとった。撰者の主張は序文に示され,〈やまと歌は人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける〉と仮名序の冒頭にいうように,創作主体としての人間の心を基本に据えるものである。…
※「凡河内躬恒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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