凡河内躬恒(読み)オオシコウチノミツネ

デジタル大辞泉 「凡河内躬恒」の意味・読み・例文・類語

おおしこうち‐の‐みつね〔おほしかふち‐〕【凡河内躬恒】

平安前期の歌人三十六歌仙一人歌合わせ・歌会屏風歌びょうぶうた作品が多い。古今集撰者の一人。家集に「躬恒集」がある。生没年未詳。

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精選版 日本国語大辞典 「凡河内躬恒」の意味・読み・例文・類語

おおしこうち‐の‐みつね【凡河内躬恒】

  1. 平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。官位は低かったが歌人としては紀貫之と並び称され、「古今和歌集」撰者の一人となった。古今集以下の勅撰集に歌がみえる。家集に「躬恒集」。生没年未詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「凡河内躬恒」の意味・わかりやすい解説

凡河内躬恒 (おおしこうちのみつね)

平安初期の歌人。生没年不詳。寛平~延喜のころ活躍。延喜21年(921)1月30日任淡路権掾とあり,これが晩年の,おそらく最高位であろうから,官途としては不遇であった。しかし歌歴は華々しく,はやく《寛平后宮歌合(かんぴようのきさいのみやのうたあわせ)》(893・寛平5以前)に紀貫之らとともに登場し,《古今集》の4人の選者の一人であった。入集も60首で紀貫之についで第2位である。907年9月に宇多法皇の大堰河(おおいがわ)の御幸があり,躬恒も供奉して歌を奉った。躬恒は貫之とともに常に宮廷にあって歌を作った歌人である。貴紳の依頼による作歌の機会も多く,歌人としての声望は大きい。歌風は貫之に比して軽快,それだけに親しみがもてる。家集の《躬恒集》は,約230首を収め上下あり,詞書も詳しく,信頼度が高い。〈心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花〉(《古今集》巻五)。
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百科事典マイペディア 「凡河内躬恒」の意味・わかりやすい解説

凡河内躬恒【おおしこうちのみつね】

平安前期の歌人。生没年不詳。三十六歌仙の一人。紀貫之と並称される歌人。はやく《寛平御時后宮歌合》に紀貫之とともにその名が見え,卑官ながら,歌歴は華々しい。紀貫之・壬生忠岑紀友則とともに《古今和歌集》撰者の一人。家集《躬恒集》があり,《古今集》以下勅撰集に194首入集。《小倉百人一首》にも選ばれている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「凡河内躬恒」の意味・わかりやすい解説

凡河内躬恒
おおしこうちのみつね
(?―925/926)

平安前期の歌人。『古今和歌集』撰者(せんじゃ)。三十六歌仙の一人。894年(寛平6)甲斐権少目(かいごんのしょうさかん)、907年(延喜7)丹波権大目(たんばのごんのだいさかん)、和泉権掾(いずみのごんのじょう)など地方官を歴任。早く898年(昌泰1)の「朱雀院女郎花合(すざくいんおみなえしあわせ)」に歌を残すが、名をなすのは『古今集』によってである。入集(にっしゅう)60首は紀貫之(つらゆき)に次ぐ第2位。907年宇多(うだ)法皇の大井川御幸では、9題中8題につき、彼のみ2首ずつを献じる。『古今集』以後の活躍は華々しく、913年の「亭子院歌合(ていじいんのうたあわせ)」などに出詠、また屏風歌(びょうぶうた)歌人として令名高く、貫之と並び称された。名所歌の作者としても名があるのは、即興的な歌才に優れていたことをうかがわせる。四季歌を得意とし、機知に富み、事象を主観的に把握して、平明なことばで表現するところに躬恒の特長がある。

 心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花
[菊地靖彦]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「凡河内躬恒」の意味・わかりやすい解説

凡河内躬恒
おおしこうちのみつね

平安時代中期の歌人。三十六歌仙の一人で,『古今和歌集』の撰者。五位淡路権掾 (ごんのじょう) 。紀貫之と親しく,藤原兼輔 (かねすけ) 邸に出入りして,その庇護を受けた。『寛平御時后宮歌合』『藤原定国四十賀屏風歌』など歌合の出詠や屏風歌の詠進なども数多く,宇多上皇の御幸に供奉しての献上歌もある。感覚の鋭い清新な歌風で叙景歌にすぐれ,一方では大伴黒主などに仮託した自歌合といわれる『論春秋歌合』や,藤原伊衡 (これひら) ,壬生忠岑 (みぶのただみね) との問答歌のような才気あふれるものもある。『古今集』以下の勅撰集に 190首余入集。家集『躬恒集』は『三十六人集』の一つ。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「凡河内躬恒」の解説

凡河内躬恒
おおしこうちのみつね

生没年不詳。平安前期の歌人。三十六歌仙の1人。諶利の子とも,系譜不詳とも伝える。894年(寛平6)甲斐少目(しょうさかん)。以後の官歴も不遇で,最高位は淡路権掾(ごんのじょう)。紀貫之(つらゆき)と並ぶ「古今集」の代表歌人で,紀友則(とものり)・貫之・壬生忠岑(みぶのただみね)とともに「古今集」の撰者を勤めた。歌合(うたあわせ)への参加,屏風歌の制作も多く,歌人としての評価は高かった。「古今集」の60首を含め,勅撰集に190首あまりが入集。家集「躬恒集」。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「凡河内躬恒」の解説

凡河内躬恒 おおしこうちの-みつね

?-? 平安時代前期-中期の歌人。
諸国で目(さかん),掾(じょう)などの地方官をつとめ,延喜(えんぎ)21年(921)淡路権掾(あわじのごんのじょう)となる。この間「古今和歌集」の撰者(せんじゃ)となり,同集には紀貫之(つらゆき)につぐ60首の歌がとられている。三十六歌仙のひとり。家集に「躬恒集」。
【格言など】心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花(「小倉百人一首」)

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旺文社日本史事典 三訂版 「凡河内躬恒」の解説

凡河内躬恒
おおしこうちのみつね

生没年不詳
平安前期の歌人。三十六歌仙の一人
紀貫之らと『古今和歌集』を撰した。歌風は高雅で,客観的叙情を主とし,即興的な傾向を詠んだものが多い。家集に『躬恒集』1巻。

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世界大百科事典(旧版)内の凡河内躬恒の言及

【古今和歌集】より

…完成奏覧は913年(延喜13)から914年の間である。撰者は紀友則,紀貫之,凡河内躬恒(おおしこうちのみつね),壬生忠岑(みぶのただみね)の4人で,友則は途中で没し編纂の主導権は貫之がとった。撰者の主張は序文に示され,〈やまと歌は人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける〉と仮名序の冒頭にいうように,創作主体としての人間の心を基本に据えるものである。…

※「凡河内躬恒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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