処女が,不思議な仕方で妊娠し,異能の男子を出産すること。古代ギリシア・ローマやオリエントをはじめ世界の各地に分布する英雄神話や王の誕生物語に見られるが,母親がすでに結婚している場合には,単なる英雄伝説にすぎず,処女懐胎物語とは区別される。妊娠の手段に,しばしば宗教儀礼や呪術が多用されることも物語に共通しているが,母親が処女であることが,物語要素の第1条件を構成している。処女崇拝あるいは処女の神聖視との関連が指摘されるであろう。世界の多くの民族の口伝や神話を通して伝承され,記録されている。
物語は変化に富み,すこぶる多彩であるが,それは受胎の仕方の多様さに起因している。たとえば,ある処女は,小石を飲みこんで,ある処女はガラスの破片を飲みこんで妊娠する。水や光線との接触,たとえば沐浴や日光浴も,しばしば妊娠をひき起こす。ニューギニア東方のトロブリアンド諸島に伝わる始祖物語によると,最初の人間は,雨のしずくによってみごもった3人の処女たちであった。風によって子をはらむ処女の話は,中国の宋代の記録にもある(《嶺外代答》《諸蕃志》)。小スンダ列島のフロレス島に住むリウング族の神話によると,宇宙の始原,ひとりの処女が花咲く木の下で眠っていたとき,花びらが落ちてきて妊娠し,男子を出生したという。このような処女懐胎の物語は,日本の説話伝承にもいくつか指摘することができる。たとえば,山城の賀茂では,上の社殿に水と関係の深い賀茂別雷(かもわけいかずち)命をまつり,下の社殿に,その母神玉依姫(たまよりひめ)をまつっているが,母神は,小川を流れ下る丹塗りの矢によって別雷命を生んだとされる。いわゆる〈丹塗り矢式〉の神婚説話として広く分布する伝承であるが,石田英一郎によると,こうした各地に流布する説話伝承の背後には,すでに消滅しかけた処女懐胎の古信仰があるという(《桃太郎の母》)。
→感精伝説
キリスト教世界では,処女懐胎の伝承は,もっぱら神の子イエス・キリストの誕生物語(処女降誕)として伝えられている。マリアには,許婚者のヨセフがいたが,結婚する前に天使の御告げ(聖告)を聞き,聖霊によってみごもり,ベツレヘムで男子を出産したというのである。イエス・キリストの誕生にまつわるこの奇跡物語は,マタイ,ルカのふたりの福音書記者によって記録され,新約聖書の冒頭の〈神の子〉顕現物語の重要な構成要素をなしている(《マタイによる福音書》1:18~24,《ルカによる福音書》1:26~2:7)。それによると,マタイもルカも,処女マリアの懐胎を聖霊という超自然的力の,まったく一方的な働きに帰し,聖処女マリアと天的力との結合による受肉の秘儀として理解している。一方,《マルコによる福音書》(6:3)によると,イエスはユダヤ人たちによって,〈マリアの子〉と呼ばれていたのであり,これはユダヤ人の習慣では私生児に対する蔑称である。ユダヤ社会では,子どもは父の名をもって呼ばれていたからである。イエスが〈マリアの子〉であって,ヨセフの実子ではないという認識には,ユダヤ人がマリアの懐胎に〈神の子〉誕生ではなく,姦淫という背徳的行為をみていた事実が浮彫りにされている。
処女懐胎の史実性については,それに関する伝承が,マタイとルカに限定され,最古のイエス資料とみなされる《マルコによる福音書》をはじめ,ヨハネおよびパウロ書簡に,全面的に欠落していることから,この伝承の起源を古代地中海世界やオリエントの異教の神話に求め,後世の加筆添加であるとする説が有力である。また特にプロテスタント神学者の間では,こうした非史実的神話的部分の解釈をめぐって〈非神話化論争〉(ブルトマン)が提起され,活発な議論が展開されてきた。しかし,こうした論議は,あくまでも一部の神学者だけのものであり,キリスト教徒の大勢は,プロテスタントをはじめ,多数派を占めるカトリック教徒や東方正教徒など,〈神の子〉イエスが,聖霊により処女マリアから出生したという福音書の記述を,疑いえない真実とみなすことにおいて一致している。処女降誕の事実こそは,神であり,同時に人であるイエスの逆説的神性を保証する教義学的根拠であり,処女マリアの神聖性とあいまって,キリスト教神観の最も重要な根幹をなすものと考えるからである。
執筆者:山形 孝夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
比較宗教学上の用語として、男性の協力なしに女性が懐妊することをさすのではなく、神と婦人との一致の結果、人間の子を宿すことをさす。キリスト教においては、聖マリアが処女のまま、聖霊の力によってイエス・キリストを懐妊したことをいう。「マタイ伝福音書(ふくいんしょ)」1章18~25と「ルカ伝福音書」1章26~38の記述を調べると、ギリシア神話の処女懐胎とは違っている。ギリシア神話では、ある神が地上に下って女性と交わり、子供の出産に父親としての役割を果たすが、『聖書』では、聖霊はマリアと交わったわけではないから、生物学的な父親の役目を果たしてはいない。そのうえ、『聖書』のこの記述で強調されることは、原罪によるけがれを超越した神の子メシアとしてのイエスの権威であって、処女懐胎はその帰結として述べられている。
処女懐胎が教えることは、神の奇跡的力ではなく、むしろ神の救いのわざが、すでにマリアの胎内を通じて現実化されていることである。これが聖母マリアの「無原罪の御やどり」で、このモチーフは中世末期から絵画などに取り上げられ、ムリリョやグレコの名作を残している。
[門脇佳吉]
…この時期に語法とイメージは大胆に刷新されたが,持ちまえの平易明快な作風は終生変わらなかった。シュルレアリスム詩の傑作といわれる《苦悩の首都》(1926),《愛・詩》(1929),《直接の生》(1932)のほかに,ブルトンとの共著《処女懐胎》(1930)のような実験的作品もある。スペイン内乱を機にシュルレアリスムを離れて共産党に近づき,第2次大戦中は《詩と真実42年》(1942)をはじめとする抵抗詩を書いた(レジスタンス文学)。…
…キリスト教会,コプト教会,イスラムのモスクなどでも,ダチョウの卵をはじめ大型の卵を創造や再生の象徴として建物内部につり下げる習慣があった。このダチョウの卵はマリアの処女懐胎を表し,キリスト教美術の題材にされている。またユダヤ教徒は過越の祭に復活と来世を示す卵を食べたが,習俗としてキリスト教徒へも伝えられた。…
…つまりマリアは前述のように〈神の母〉テオトコスであるとされる。キリストは聖霊によってマリアの胎内に宿ったのであり,それゆえにマリアは処女のままみごもったのであり,しかも原罪を負った通常の女性とは異なった〈無原罪Immaculata〉の女性であり(処女懐胎),人類を罪におとしいれたイブとは逆に救世主(メシア)を生んで人類救済の役を担った女性である。この意味で人間の救いのために〈とりなしをする女Mediatrix〉でもある。…
※「処女懐胎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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