犯罪対策のあり方について国または地方公共団体が行う施策の総称。この刑事政策を学問的対象にするのが刑事政策論(学)である。もっとも、刑事政策の観念について定説はなく、初めてこのことばが使われ始めたとされる1800年ごろには、社会の秩序を乱す新しい犯罪現象に対して、刑罰およびそれを規定する刑法がいかにあるべきかをめぐる議論、すなわち刑事立法政策と刑事政策はほとんど同義であった。しかし、19世紀後半からは、人間行動科学の飛躍的な進歩にも支えられて、犯罪と犯罪者から社会を守るために講じられる刑法や刑罰以外のさまざまな措置も刑事政策の観念に含まれるようになった。
[米山哲夫]
第一に、刑事政策は犯罪対策一般ではなく、犯罪対策の「あり方」をくふうすることをいう。犯罪対策それ自体は、国・地方公共団体が講じることもあれば、私人が講じることもある。私人も、自分や家族が犯罪の被害者にならないため、または身近な生活環境を維持するためにさまざまな防犯措置を講じ、さらにそれが成功しない場合には、別の措置をくふうする。たとえば、空き巣ねらいを防止するために施錠をする、それでも入られれば、犬を飼う、さらには近所と連携をとって警察官に見回りを依頼する、等々。また、一般的な犯罪対策、たとえば少年非行対策について、さまざまな意見を述べることもできる。しかし、そのような個々の具体的な対策のうえには、それらを規制し、枠づけ、あるいは調整する諸原則とそのような諸原則をくふうする活動がなければならない。これが刑事政策である。
第二に、刑事政策は、どのような行為が犯罪であるかを決定し、犯罪に対処するための法制度を定立する権限と責任をもつ国または地方公共団体の行う活動である。従来から、犯罪者の更生保護の分野では、多くの篤志家が活躍してきた。たとえば、保護観察制度も感化院制度も、もともとは私人が自発的に始めた犯罪者に対する善後措置であったが、後に国家的な制度として取り上げられた。しかし、私人の行為は、それがどんなに犯罪対策として有効なものであれ、刑事政策とはいわない。刑事政策は、私人の行う効果的な犯罪対策・活動を国家的な犯罪対策のなかにどのように位置づけるかを検討することになる。
第三に、刑事政策が対象とする犯罪対策は、直接、犯罪の予防・抑止・制圧・善後措置を講じることを目的としたものである。貧困や失業が犯罪原因とみなされるときには、社会政策が最良の犯罪対策になろうし、しつけの欠如に由来する規範意識の低下が表面化するときには、教育政策が最良の犯罪対策にもなりうる。また、精神障害が原因である犯罪には医療上の福祉的措置で対処することが、もっとも有効であるかもしれない。しかし、これらの社会政策、教育政策、福祉政策がただちに犯罪対策とよばれるわけではない。これらの政策の基本的な目的は雇用の確保、人格の完成、国民の幸福などである。ただし、これらの政策を遂行する過程で得られた知見を犯罪対策上どのように生かすかは、刑事政策上重要な問題である。
第四に、刑事政策が対象とする犯罪対策における「犯罪」は、刑法学における犯罪の概念(構成要件に該当する違法かつ有責な行為)とは異なり、社会秩序を維持し実現するうえで有害であり、公権力が何らかの措置を講じることを正当化しうる行為をいう。たとえば、責任無能力者(14歳未満の少年や心神喪失者)の行為は、「有責性」という要件を欠くので刑法上は犯罪にはならないが、刑事政策上は犯罪であり、また、売春行為や少年の虞犯(ぐはん)行為も処罰の対象とされていないから、刑法上は犯罪ではないが、刑事政策上は犯罪である。刑法学における犯罪概念は罪刑法定主義や責任主義の制約を受けるが、刑事政策においては、刑法の改廃・新設の作業をするときに念頭に置くべき現実的な犯罪概念を用いなければならない。
[米山哲夫]
公権力の原始的機能は、対外的には外敵の排除、対内的には社会秩序の維持・実現である、とされる。刑事政策は後者の機能と関連する。この意味での刑事政策は、国家というものの発生とともに古い。法体系のなかでもっとも古い法律であるといわれる刑法は、一国の犯罪対策の中心である。ところが、刑事政策は19世紀の所産であると一般的にはいわれる。それは、19世紀に入って、フランス革命時の(フランス人権宣言で示された)思想的状況がヨーロッパ全体へ広がり、産業革命の普及による社会的弊害が顕著になり、また、人間行動科学が飛躍的に発展して、科学的・合理的、人道主義(ヒューマニズム)的な刑事政策が要求され、それこそが刑事政策であるとされるようになったからである。
1764年にベッカリーアが著した『犯罪と刑罰』は、当時の恣意(しい)的で苛酷(かこく)な刑事裁判と刑罰の執行を痛烈に批判した。1777年、ハワードの『監獄事情』は、イングランドおよびウエールズにおける監獄の悲惨な状態を世に訴えて、獄制の改革を迫った。ハワードの主張は、後にアメリカの監獄制度に生かされ、ペンシルベニア制(厳正独居制)やオーバーン制(沈黙制。昼間は沈黙を強制しつつ雑居の工場作業に就かせ、夜間は独居房に拘禁する方式)を生み出した。フランス革命は、刑事法制の根本的な改革をもたらすべき歴史的転換点であった。このような状況を受けて、アンゼルム・フォイエルバハは、刑罰の執行、とくに、公開処刑により恐怖心を煽(あお)ることによる一般予防(一般の人々が犯罪に陥らないようにすること)ではなく、刑罰予告による一般予防を強調し(心理強制説)、罪刑法定主義の理論的支柱を提供した。19世紀前半は、個々の犯罪者に対する特別予防(特定の犯罪者がふたたび罪を犯すことがないようにすること)が考慮されなかったわけではないが、それよりはむしろ、国家の刑罰権を抑制することのほうに関心が向けられ、罪刑均衡と罪刑法定によって人権保障を担保しうる刑法が要求されたのである。
しかし、19世紀の後半、とくに1870年代以降になると、一方で自由主義的な刑法は完成の域に達し(軽罪に死刑を適用することがはばかられた)、他方で産業革命によってもたらされた初期資本主義の弊害が露呈して、産業社会は財産犯を中心にした累犯現象に悩まされることになった。こうした累犯現象の解決には、犯罪は理性的な人間の自由意思に基づく行動であり、刑罰は道義的非難を具体化したものである、というそれまでの前提は役に立たなくなった。むしろ、犯罪は個々の人間の素質と生育環境によって因果的に決定された現象であるから、その原因を科学的に解明し、それぞれに適した合理的な犯罪対策を講ずべきである、という考え方が受け入れられるようになった。
犯罪現象の科学的な解明は、すでに19世紀前半からケトレーやゲリーAndré Michel Guerry(1802―1866)らによって、統計学的な手法を用いて行われていたが、1876年、イタリアのロンブローゾは『犯罪人論』を著し、「文明社会における犯罪者は、劣悪な遺伝によって人類発生史の初期の状態にとどまっている隔世遺伝者である」と主張して、これらの者を生来性犯罪者と名づけた。彼の主張は、その後、個人的要因よりも社会的・環境的要因を重視するフェルリEnrico Ferri(1856―1929)やラカッサーニュAlexandre Lacassagne(1843―1924)らの主張に押されて変更を余儀なくされたが、3000もの受刑者や兵士の頭骨や体型の計測を行って仮説を導くという実証科学的な手法は、犯罪現象の研究に大きな足跡を残した。ドイツでは、フランツ・フォン・リストが『刑法における目的思想』(1882)のなかで刑罰が社会防衛手段であることを説き、犯罪者を改善可能、改善不能、改善措置不必要の三者に分類して、それぞれに改善刑、隔離(排外)刑、威嚇刑を科すべきことを主張した。
リストの目的刑思想は新派刑法学の主張の中心になり、古典学派(旧派)との間に華々しい論争を巻き起こした(新旧両派の争い)。しかし、19世紀末から20世紀にかけて、新旧両派の妥協の産物として、責任能力者に対する刑罰と責任無能力者に対する保安処分の二元主義を採用する刑法が立法されるようになった。そのさきがけがシュトースCarl Stooss(1849―1934)のスイス刑法予備草案(1893)である。また、フェルリのイタリア刑法草案(1921)は、社会防衛処分一元主義を採用し、当時のソ連や南米諸国の刑事立法に大きな影響を与えた。社会防衛の理論は、第二次世界大戦後、法定主義による自由・基本的人権の保障、科学的な犯罪者処遇制度の確立、一般予防に対する相応の配慮、道義的責任感・倫理的価値に対する正当な評価等を要求する新社会防衛論として展開されている。
なお、1899年、シカゴに少年裁判所が設置されたことは、刑事政策にとって画期的なできごとであった。その後、少年を成人とは違う福祉的な方法で扱う少年法制は、世界各国に広がっていった。また、監獄改良運動は、19世紀を通じて、おもにイギリス、アメリカおよび北欧において現実の制度のなかに生かされ、20世紀に入ってからは、改善・社会復帰を目ざした受刑者処遇に力点が置かれて、大量の人的・物的資源が投入された(社会復帰モデル、医療モデル)。1960年代後半からは、その効果に対する疑問から反動が現れ、イギリス、アメリカを中心に、犯罪の重大性に応じた刑罰がむしろ正当であると考えられるようになった(公正モデル)が、社会復帰モデルは、現在でも日本の刑事政策に大きな影響を与えている。2008年(平成20)までにPFI(Private Finance Initiative)方式(民間資金を活用して建設・運営される方式)で建設された刑事施設がすべて「社会復帰促進センター」と命名されているのは、そのことをよく物語っている。
[米山哲夫]
刑事政策の対象は犯罪対策である。犯罪対策の要点は犯罪(刑事政策的意味での)の予防と犯罪に対する善後措置ということになる。犯罪の予防は、犯罪の原因を除去し、諸要因の発現を阻止する作業として行われる。そのためにはまず犯罪の原因となるべき諸要因を発見する必要があり、犯罪学(刑事学)は、それらを事実に基づき実証的に解明しようとしてきた。しかし、発見・解明された諸要因と犯罪の発生を直結させるのは危険である。たとえば、貧困・失業は一定の人々の犯罪「原因」ではあるが、貧乏人や失業者がかならず犯罪を行うわけではないし、同様に、精神障害者がかならず犯罪を行うわけではない。そこで、犯罪学の関心は、むしろ、犯罪とされる事象への制度的対応や個々の犯罪予防対策の効果を事実学的に解明する方向へと向けられるようになった(政策科学)。
犯罪に対する善後措置ということでは、犯罪の抑止・鎮圧とそれに続く捜査(調査)、審理、裁判の執行(犯罪者の処遇)という一連の刑事司法プロセスが代表的なものとされる。20世紀のなかごろまでは、善後措置の主要な対象は犯罪者であり、隔離・威嚇・処遇(治療)等の対策を施すことによって再犯を防止することが犯罪対策の中心であった。現在でも、犯罪者対策は刑事政策における重要な関心事項である。
しかし、犯罪は、多くの場合、直接的な被害者を伴う社会的事象であり、また社会から何らかの反動(攻撃・逃避・同調)を受けるべき現象であると考えられている。それゆえ、犯罪の予防も犯罪に対する善後措置も、犯罪の当事者である(潜在的)加害者、(潜在的)被害者、そして社会を対象に行われることになるはずである。そうした認識が20世紀後半における被害者学やラベリング論(逸脱行動を分析する視点の一つ)の登場につながっていった。ヘンティッヒHans von Hentig(1887―1974)は、犯罪過程において、ときには被害者が犯罪を誘発する役割を演じていること(性犯罪における被害者の誘惑的態度、詐欺罪における被害者の欲深さ、窃盗罪の被害者の軽率さ等)を指摘し、メンデルソーンBenjamin Mendelsohn(1900-1998)は、被害者の有罪性という分析概念を提出した。このような、犯罪は加害者と被害者の「共同作品」であるという認識は、被害にあう可能性のある人々対する警告として犯罪対策に生かされている。ラベリング論は、犯罪・非行を行った者に対する公私の「犯罪者だ」とするレッテル貼(は)りと排斥的態度が犯罪を繰り返させる原因になるということを指摘した。とくに少年の場合には、少年時代のエピソードにしか過ぎない問題行動が公的機関に扱われることによって、少年を犯罪者に育て上げてしまうことがある、とされる。
1970年代からアメリカを中心に発展した環境犯罪学は、犯罪の発生には一定の法則があり、それを理解することによって物理的に犯罪の予防が可能である、と考え、犯罪の未然予防の可能性を訴えた。また、アメリカの政治学者ジェームズ・ウイルソンJames Q. Wilson(1931―2012)と犯罪学者ジョージ・ケリングGeorge L. Kelling(1935―2019)の「割れ窓理論」は、地域の無関心の表れである小さな違反行為の見逃し(たとえば、建物の窓ガラスが割られたまま放置されている)が、さらなる犯罪を生み出す、と主張し、早期の措置が犯罪予防には重要であることを認識させた。
このように刑事政策の対象領域は多様化する傾向にあるが、伝統的に刑事政策上の問題として取り上げられるのは次のものである。
第一は刑罰である。刑罰は重要な犯罪対策とされているが、その一般予防・特別予防の効果については、なお検討が加えられ続けている。死刑は、ヨーロッパ・南米を中心に廃絶の傾向にあるが、日本では時期尚早とする意見が強い。自由刑は、現在、刑務所に収容する拘禁刑の形式で行われているが、その構成の仕方やどのような自由を剥奪(はくだつ)・制限するかについては現在でも論議されている。財産刑については、罰金額や実質的公平性が問われている。刑罰は、自然人に科すことを予定して制度化されているため、法人がその社会的活動の過程で行う違法行為に対しては財産刑を適用しうるのみである。そこで、法人に対する刑事制裁のあり方についても議論が行われている。
第二は、保安処分、すなわち刑罰以外の刑事処分である。これまでに精神障害者、アルコール・薬物依存者、労働嫌忌者、重大な犯罪を繰り返す危険のある者に対する自由剥奪処分が議論されたが、日本では立法化されていない。ただし、類似の施設収容処分として、売春婦に対する婦人補導院収容処分(補導処分)や少年に対する少年院送致処分がある。また2003年には、心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者に対し入院または通院の措置を定める「心神喪失者等医療観察法」が立法された。施設収容を伴わない処分としては、保護観察処分、各種の資格制限がある。さらに、対物的処分として、犯罪の用に供せられた物の没収、企業閉鎖などがある。
第三は、その他の犯罪対策、すなわち犯罪の予防から善後措置に至る一連の犯罪対処活動である。たとえば、防犯活動、警察の検挙・少年補導活動、裁判・少年審判、各種の猶予制度、犯罪者の更生保護、被害者に対する援護活動など。この分野で特筆すべきは、刑事政策上の被害者の位置づけの強化と刑事裁判の変革である。2004年には、日本で初めての犯罪被害者の支援に関する基本法規である「犯罪被害者等基本法」が制定され、これを踏まえて刑事訴訟法等が改正されて、被害者への情報提供が促進され、刑事裁判への参加が可能となった。刑事裁判では、2009年、一定の重大な犯罪について一般市民が裁判官とともに有罪・無罪を判断し、刑の量定も行う裁判員制度が施行された。
[米山哲夫]
指導理念としては、通常、科学主義と人道主義の二つがあげられる。しかし、刑事政策が権力活動であること、また、犯罪の国際化が著しいことに鑑(かんが)み、今日では、法律主義と世界主義が加えられることが多い。
科学主義とは、事実学の学問的成果、とりわけ人間行動に関する科学的知見を活用して合理的な犯罪対策を講ずべきだとする理論的要請であり、犯罪学(刑事学)の発展を期待する。また、政策である以上、限られた人的・物的資源を有効に活用し、最小限の費用で迅速・的確・確実に最大限の効果をあげるべきことも要求する。人道主義とは、犯罪対策上、人間を人間にふさわしく遇すべきだという理論的要請であり、一方で、個人の尊厳の思想に基づいて犯罪者を主体的に扱うことを要求するとともに、他方で、その人権を保障すべきことを要求する。これらの指導理念は、理論的には、それぞれ合理性および相当性(正当性)として各種の犯罪対策に対する刑事政策的評価の基準となる。
刑事政策的評価の基準としては、そのほかに実現可能性および補充性をあげることができる。実現可能性は、刑事政策に関してしばしばみられる情熱的理想論や政治的実践の意図に惑わされることなく、より現実的で生産的な検討がなされるべきことを理論的に基礎づけるものである。補充性には二つの側面がある。その一つは、犯罪対策における人々への干渉、自由で自律的な生活への介入、とくに公権力を背景とした強制措置は、必要・最小限度に抑えられなければならない、という要請である。刑法学における謙抑主義、実務における猶予制度の積極的活用、立法政策における刑罰適用場面縮小への要請などは、この側面への配慮である。しかし、社会の複雑化はかえって公権力の人々の生活への介入を要請するようにもなっている。1992年に施行された暴力団対策法や2000年に施行されたストーカー防止法はこのような傾向を物語るものである。もう一つの側面は、合理性(または相当性)の点で多少の疑問があるとしても、ほかに採るべき手段がないときには、それが必要悪であることを認識しながらも必要性を優先させる、ということである。たとえば、その有効性に疑問があったとしても、受刑者や保護観察対象者の社会復帰へ向けての改善更生処遇を制度的に放棄するわけにはいかない、などである。
犯罪のない社会はない。しかし、社会には一定の秩序が必要である。そのためにさまざまな犯罪対策がくふうされている。歴史上、現在に至るまで、組織犯罪者、職業的犯罪者、精神障害(広義)犯罪者、政治的・宗教的確信犯人は、つねに犯罪対策上の重要な対象とされてきた。そもそも「刑事政策」ということを意識化させるきっかけになった累犯(頻回受刑者)問題もいまだに解決されていない。少年非行対策は、2000年以降の少年法改正にもかかわらず、いまだに保護か厳罰かをめぐって議論が絶えない。社会の国際化・情報化の進展に伴って増加する犯罪組織の国際的な活動やサイバー・スペースを利用した犯罪(ハッカー、産業スパイなど)への対処も必要になってきており、犯罪対策も国際的な協力が欠かせない。司法上の国際協力は、現在、司法共助や国際刑事警察機構を通じて行われており、2002年には国際刑事裁判所設立条約が発効して、一定の国際犯罪を審理する恒常的な国際刑事裁判所が設置されている。国際的な情報交換は犯罪対策のレベルだけではなく、犯罪対策のあり方をめぐる理論的くふうのレベルでも重要である。国際学会・会議は、19世紀後半から数多くあるが、とくに第二次世界大戦後は、国際連合の経済社会理事会のもとに社会防衛局が置かれ、1955年以降、5年ごとに大規模な国際会議が開かれている。
[米山哲夫]
広い意味での犯罪対策,あるいはそれに関する経験科学的ないし政策論的研究をいう。刑事政策は,犯罪に対してどのような制裁を用いて対処するか,とりわけ犯罪者にどのような処遇を施すか,という問題を軸として展開してきた。近年は,これらの問題領域の検討にとどまらず,さらに,そもそもどのような行為が犯罪とされるべきかということ自体も検討の対象とされるようになっている。この意味で,刑事政策の対象領域は,刑事立法,刑事司法過程,さらには犯罪予防活動,被害者の取扱いなど幅広く広がり,かつ多様化している。
刑事立法の領域では,どのような行為を犯罪として刑事制裁の対象とすべきか,刑事制裁としてはどのようなものを規定すべきかが問題となる。いかなる行為を犯罪と規定すべきかという点については,刑事司法機関の負担軽減や,より重大な犯罪に対するより有効な刑事司法の資源配分など,実際的理由に基づき,あるいはさまざまな価値観の併存する多元的社会における刑法の役割の見直しという見地から,犯罪とされている行為のうち,単にモラルに反するにすぎない行為,いわゆる被害者なき犯罪などは犯罪とすべきではないのではないかが問題とされてきた(〈ディクリミナリゼーション〉(非犯罪化)の項参照)。具体的には,ポルノグラフィーの規制,賭博,堕胎などの取扱いについて議論がなされている。また,これとは反対に,現代社会において,公害,コンピューター犯罪など新たな問題が発生するに至ったが,これを刑法によって規制(犯罪化)すべきかということも問題となる。
犯罪にどのような刑事制裁を規定することによって対処すべきかということについては,さまざまな議論が積み重ねられてきた。日本の刑法は,刑として,死刑,懲役,禁錮,罰金,拘留,科料(以上は主刑),没収(付加刑)を規定している。生命刑である死刑については,それを存置すべきかが問題となる。死刑廃止論は古くから主張されているが,存置論も根強く,世界的に見ても,かなりの数の国が死刑を廃止しているが,存置している国も多い。日本の改正刑法草案は死刑を存置することにしている。自由刑をめぐっては,以前から問題とされてきた短期自由刑の取扱いのほか,懲役と禁錮の区別を廃止すべきではないかとする自由刑の単一化などが問題とされている。さらには,常習的累犯者に対してどのような取扱いを行うべきかも問題となる。改正刑法草案は,不定期刑を科することにしているが,これに対しては批判が強い。なお,刑のうち,量的に見て最も多用されているのが罰金であるが(《検察統計年報》によれば,1982年に有罪が確定した者のうち,罰金に処せられた者がその95.3%を占めている),これについては,犯罪抑止効果に乏しいとする議論があるほか,犯罪者の資力に応じた罰金の付科を考慮すべきではないか(日数罰金の導入),また罰金を完納することができないときの滞納留置(労役場留置)を回避するため,延納,分納,自由労働による償却などの制度を導入すべきではないかも問題となる。
なお,責任主義の原理に立つ以上,刑をもってしては犯罪の防止に十分ではない場合に,それを補充するものとして,保安処分を導入することの是非が問題となってくる。具体的には,触法行為を行った精神障害者ないしアルコール・薬物中毒者に対する取扱いが問題となる。精神保健福祉法(旧精神衛生法)による措置入院などの精神医療の枠内では十分な処理が期しえないとして,改正刑法草案は,保安処分をこれらの者について導入することとしているが,これに対しては,強い反対論ないし批判がある。
犯罪が一体どのような過程をへて処理されていくのかという犯罪処理の過程についての研究は重要である。ここでは,以下,その問題状況を若干概観することとする。犯罪が行われた場合,それは公式の刑事司法システムにより処理されることになるが,大量に発生する交通違反や,例えば家庭内のトラブルから生じた軽微な暴行事件など,公式の刑事司法システムにより処理するまでもない,あるいは処理するのに適さない事件は,そのようなシステムから離脱させて,別の方法で処理すべきではないかが問題とされている。これをディバージョン(〈司法前処理〉の項参照)という。
事件が公式の刑事司法システムにより処理される場合,まず警察による綿密な捜査が行われる。身柄を拘束された被疑者は取調べを受けることになり,ここには弁護人との接見交通をはじめとして,さまざまな問題が生じることになる。被疑者を警察の留置場(いわゆる代用監獄)に拘禁することに対しては,過度の取調べなどの弊害が生じるとして,批判が強い。
捜査された事件について,公訴を提起すべきか否かを決定するのは検察官である。公訴の提起(起訴)については検察官に裁量が認められており(これを起訴便宜主義という),現実にも訴追裁量は広く行使されている(《検察統計年報》によれば,1996年に検察庁で処理された刑法犯の事件について見ると,起訴率20.9%,起訴猶予率75.3%である)。その結果,起訴された事件の99.9%以上が有罪の判決を受けるという事態となっており,起訴されるか否かは実際上非常に大きな意味を持つに至っている。このような検察官の訴追裁量のコントロールの方法が,ここで問題となる。
訴追され,公判請求された事件(《検察統計年報》によれば,1996年の検察庁終局処理人員のうち,公判請求は4.7%であり,略式命令請求が49.2%を占めている)については,公判廷による証拠調べ等をへて,事実の認定および刑の量定が行われる。量刑については,日本の刑法の規定する法定刑はきわめて幅の広いものとなっているが,それにもかかわらず,裁判官の均質性,安定した求刑基準に基づく検察官による求刑などから,量刑は安定して,裁判官の間でのばらつきは深刻な問題とはなっていない。
刑の宣告の関係で問題となるのが,刑の猶予の制度である。日本の刑法は,懲役,禁錮,罰金について執行猶予の制度を認めているにすぎない。執行猶予(およびそれと結びついた保護観察)の拡充・改善のほか,猶予に関する別の制度をも導入すべきではないかが問題とされている。有罪判決の宣告猶予,刑の宣告猶予といった制度が検討されたが,改正刑法草案はその導入を見送っている。
自由刑が宣告され,その執行が猶予されなかった場合には,刑を宣告された者は刑事施設に収容される。これらの者に対してどのような取扱いないし処遇を行うべきかについては,古くから努力が積み重ねられ,繰り返し議論が行われてきた(〈行刑〉の項参照)。そこでは,自由刑の果たすべき機能を踏まえ,受刑者の権利を保障しつつ,個々の受刑者のニーズに即した処遇を展開していくことが必要となる。
刑事施設に収容された受刑者に仮釈放が認められた場合,その者は保護観察に付される(執行猶予の場合にも保護観察に付されることがある)。保護観察は,保護観察所が行うこととなっているが,保護観察官の数が少ないため,民間の篤志家である保護司に大幅に依存しているのが現状である。社会内処遇の拡充は重要な課題である。
犯罪を犯した少年の取扱い(触法少年,虞犯(ぐはん)少年も同じ)については異なった処理システムが少年法で定められている。〈少年の健全な育成〉(1条)という見地から,これらの少年はすべて家庭裁判所に送られ,調査ののちにその処遇が決せられることになっている(全件送致主義)。これに対し,軽微な事案等については家庭裁判所に送ることはないとする司法前処理の考えが出されているが,強い反対論がある。ただし,簡易送致(一定の軽微な事件については一括して簡略に送致され,家庭裁判所が原則として書面審査のみで審判不開始の決定をすること)が認められている限度では,全件送致主義はすでに変容を受けている。
→刑罰 →犯罪学
執筆者:山口 厚
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…広義の刑事学とは,犯罪現象ならびにそれに対する種々の方策に関する経験科学的ないし政策論的研究をいい,その研究対象としては,犯罪現象のほか,警察,検察,刑事裁判,行刑,更生保護などの各領域,さらには刑事立法,被害者対策,犯罪予防活動などが広く含まれる。犯罪学,刑事政策という用語をこのような広い意味に用いることもある。 広義の刑事学は,その研究方法・内容により,例えば犯罪原因論などの経験的な事実について研究を行う分野と,犯罪対策に関する政策論的研究を行う分野とに分けられる。…
※「刑事政策」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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