制度取調局 (せいどとりしらべきょく)
明治憲法体制へ移行するための制度整備をはかるため新設された部局。1884年3月17日宮中に設置され,参議伊藤博文がその長官を兼任した。21日に伊藤は宮内卿も兼任し,宮中の制度的整備も推進することになった。参事院議官の井上毅(こわし),伊東巳代治や太政官権少書記官渡辺廉吉,牧野伸顕らが制度取調局御用掛を兼任,井上,伊東らは憲法問題などの重要事項について調査し,渡辺,牧野ら少壮官僚はその下にあって諸般の制度取調べに従事した。華族令の起草や国会規則案や行政裁判制度についての調査が行われ,85年12月の内閣制の創設にも関与したものと考えられる。この内閣制の発足とともに法制局(内閣法制局)が設置され,制度取調局は廃止された。
執筆者:宇野 俊一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
制度取調局
せいどとりしらべきょく
立憲政治に備える諸制度の改革および法案の起草、審査を行った機関。憲法および諸制度の調査、研究を終えて欧州から帰国した伊藤博文(ひろぶみ)の上奏(じょうそう)に基づき、1884年(明治17)3月17日に宮中に設置された。長官には伊藤が就任し、太政官(だじょうかん)に属する重要機関たる参事院(1881年10月21日設置)の主要な構成員が、制度取調局御用掛(ごようがかり)を兼務した。このなかには、伊藤のもとでのちに憲法の起草を担当する参事院議官井上毅(こわし)、同議官補伊東巳代治(みよじ)、太政官権大書記官金子堅太郎(けんたろう)も含まれている。この制度取調局において、内閣制とそれに伴う諸官制、官吏任用制度、地方制度、行政裁判制度および国会、皇室、華族の諸制度などの立案・改革作業が行われた。85年12月22日、内閣制の創設に伴い、参事院とともに廃止され、その事務は法制局が継承した。
[吉井蒼生夫]
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制度取調局
せいどとりしらべきょく
明治中期,立憲政治の導入を前にして諸制度の改革のために設けられた政府機関。ヨーロッパでの憲法調査から帰国した伊藤博文の提案により,1884年(明治17)3月宮中に設置。長官は伊藤(参議・宮内卿兼任)で,井上毅(こわし)・伊東巳代治(みよじ)・金子堅太郎・尾崎三良(さぶろう)ら参事院・太政官の官僚が御用掛を兼任。同年,法制局起草の原案を基礎にヨーロッパ風の貴族制度をとりいれて華族令の制定にあたった。85年9月,伊藤の意をうけて井上が「内閣職制改正私案」を作成するなど,太政官制の改革,内閣制度の確立にも参画した。85年12月,内閣制度の制定により廃止。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
制度取調局
せいどとりしらべきょく
1884年宮中に設置された,憲法その他の諸制度の調査機関
伊藤博文が長官となり,御用掛には井上毅・伊東巳代治・金子堅太郎らが任命され,憲法その他の諸制度の調査に従事した。翌1885年内閣制度の創設により内閣法制局に継承された。
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