英語 mechanics (機械学)と dynamics (動力学)の訳語。当初、mechanics は中国での訳語「重学」のほかに、「器械学」〔英和対訳袖珍辞書〕などとも訳され、dynamics は「動学」〔哲学字彙〕などとも訳された。
物体に働く力とそれによって起こる運動もしくはその変化との間の関係を論ずる学問。運動やその変化が生じないような場面,すなわち複数の力の平衡関係を論ずる場合を静力学statics,そうでない場合を動力学dynamicsとして区別することもある。また,もっぱら運動の状態を記述することに場面を限定し,運動(とその変化)の原因としての力をもち出さない場合を運動学kinematicsと呼ぶ。英語においてmechanicsがそうした意味で用いられるようになったのは17世紀で,dynamicsははるかに後世(19世紀)の使用である。むしろ,動力学という意味ではkineticsが用いられた。したがって17世紀以前の西欧文献に登場するラテン語でのmechanicaを〈力学〉と読むことはできず,それは当然〈機械学〉であるが,しかしまた,17~18世紀の英語のmechanicsに機械学の含蓄がないというのも誤りであって歴史的に見れば複雑である。
西欧におけるすべての学問の発祥をギリシアに求めるとすれば力学もまたギリシアに生まれている。一つは運動論として,もう一つは機械学として。運動論としてはその典型をアリストテレスに見ることができる。アリストテレスでは,天体の運動と地上の運動とは,まったく性質の異なるものとして分けられ,天体の運動は力によって動かされるような種類の運動(強制運動と呼ばれる)からは除外されていた。地上の世界において,自然落下運動以外のほとんどすべての運動は,強制運動に属している。強制運動における運動と力との関係は,アリストテレスにあっては,比例関係として定立される。すなわち,物体に対して加えられた力に比例する運動(速さ)が,その物体に生ずると考える。この考え方では,慣性的運動(外から運動力が加えられていないように見えてなお運動が起こっている場合)が説明できない。そこで多くのアド・ホックな説明が生まれたが,アリストテレスのビザンティンにおける注釈者フィロポノスが案出した〈非物体的運動力〉,つまり目に見える形で物体に対して近接作用的に働く力が認められない場合でも,物体内部に運動力が〈込められ〉て,〈残留する〉ことがあるという考え方が,イスラム,中世後期ヨーロッパでさまざまな形で利用されることになった。
一方,自然落下現象はアリストテレスにあっては,運動力を原因とするものではない。したがってむしろ,運動学的に論じられ,その加速度現象が注目されていた。これが力学的考察の対象になるのは,フィロポノスの着想をイスラムから受け取って14世紀パリを中心に誕生したインペトゥス派においてであったといえる。インペトゥスimpetusは〈非物体的運動力〉とほぼ同じ概念であるが,インペトゥス派では,自然落下の加速度現象にも用いられ,落下におけるインペトゥスの蓄積が加速度の原因であると考えられた。一方において,ビザンティンのフィロンにおけるような機械学の伝統は,むしろ,職人のギルドのなかで発酵し,とりわけルネサンス期,高級職人層の台頭とともに,実地の数学を駆使しながら,一種の運動論へと展開していく傾向を見せた。
こうした動向のなかから,17世紀力学の誕生を迎えるが,そこにはいくつかの段階を認めることができる。第1には,天体の運動をも,運動論の対象のなかに含めようとする動きであり,これは,ケプラーが新プラトン主義的立場に立って,太陽から流出する一種の運動力が惑星に働きかけるからこそ惑星は軌道運動を行う,しかもその運動力は太陽からの距離に反比例する,と主張したのをきっかけにしている。第2にはガリレイ,デカルトにおける慣性概念の発見がある。運動している物体につねに運動力が働いているのではなく,物体は,静止しているものは静止の状態を,運動しているものはその運動の状態を保持し続けようとする傾向をもつという慣性概念は,デカルトによって最終的に定式化された。そしてこの二つの線の交わるところにニュートンがいた。ニュートンはケプラーのように,天体の運動を力学的観点からとらえ,惑星にもデカルト的慣性をあてはめて,惑星が慣性運動をしないのは,太陽に向かってつねに引力によって引かれているからであると考えた。そして,この太陽の重力の大きさを,太陽からの距離の2乗に反比例するという形で定式化すると同時に,慣性運動から軌道上に引き戻される〈運動の変化〉こそ,太陽の引力の結果であると考えた。前者の定式化は万有引力の着想であり,後者の考えは結局,物体に加えられた力は,運動(=速さ)を生ずるのではなく,運動の変化(=加速度)を生ずるという,いわゆるニュートンの運動の(第2)法則の定式化にほかならなかった。
ニュートンの運動法則の発見によって,物体に加えられる力とそこに生ずる運動(の変化)との関係は,新しい関係のなかでとらえられることになり,この関係のなかで運動現象を眺めようとする立場を力学と呼ぶことがしだいに定着するのである。もっとも,自然現象を,こうして物体(物質)と運動(とその原因としての力)との関係だけで眺めようとする力学的=機械論的自然観は,ニュートンにではなく,むしろデカルトに由来すると考えられる(ニュートンは〈mechanical〉ということばを随所に否定的な価値を与えて使っている)。
しかし,18世紀フランスの啓蒙主義者がニュートンの力学を,デカルト的自然観のなかに受けいれ,その数学的洗練化(ラグランジュの運動方程式など)を図ったことから,天体の運行は月のような例外的な場合を除いてほとんど間然するところなくニュートン力学によって記述できるようになり,天体力学を中心として力学が知識のうえにもつ強大な力は確立されたといってよい。それはまた解析力学と呼ばれる数学的にみごとな形式を備えた体系でもあった。
その後,18世紀末から19世紀にかけて熱現象,電磁現象など,単なる力と運動の関係の外にあるような新しい分野への関心が登場したが,結局それらも,力学的モデルである統計力学や,電磁力学によって置き換えられることになり,力学の基本構造は変わらなかったといえるだろう。20世紀に入って,相対性理論と量子力学が誕生し,ニュートン力学は修整が加えられることになり,この二つの理論体系との対比を明解にするために,ニュートンの力学は〈古典力学〉と呼ばれるようになった。古典力学は,ある条件下にのみ自然現象に妥当するものとされるに至ったわけだが,しかし相対性理論も量子力学も,物体の運動と力の問題を軸として自然現象を解析するという点では,依然として力学そのものであり,今日の自然科学の根幹に力学がすわっている事情に変りはない。
→物理学
執筆者:村上 陽一郎
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物体に力が働いたときどのような運動を行うか、運動の原因としての力とそれによる運動に関する法則を明らかにする学問で、自然の構造を解明するうえでもっとも基本的な役割をもつ。17世紀末ニュートンによって、慣性の法則、運動の法則、作用・反作用の法則の三法則として確立された。20世紀になって、光速度に近い速さで運動する物体については相対論として、また原子のような微視的粒子については量子力学として発展し、それぞれの体系ができあがっている。通常、相対論・量子力学を含めない力学をニュートン力学、相対論まで含めて古典力学とよぶ。ニュートン力学は剛体、弾性体、流体などにも適用され、それぞれの力学の分野が形成されている。また統計力学は、非常に多数の粒子の集合体に適用し統計的にその集合体の総括的な性質を導くものである。以下では、ニュートン力学に限る。
ギリシア時代に、土木・建築工事などを通じて、てこ・斜面・浮力などに関する静止した物体の力のつり合いについては、定量的な認識がかなり得られ、静力学とよばれる力学の分野がほぼできあがった。物体の運動を扱う動力学については、当時の人力・畜力のような接触力と摩擦の多い運動の経験からでは表面的な認識しか得られなかった。また天体運行の動因を自然界そのものに帰す考えには、自然哲学は別として、到達できなかった。16世紀ころ、生産技術の発達とともに技術・科学に従事する人々の層も広がり、17世紀には実験・観測手段が発達した。コペルニクスは天体運行の記述の数学的簡潔さと合理性から地動説を唱え、ガリレイは望遠鏡により他の惑星の地球との類似性を直接観測し、ケプラーはティコ・ブラーエの残した精密な観測データから、惑星運動について、太陽を焦点とする楕円(だえん)軌道であることなど三つの法則を発見した。ガリレイは物体の運動を実験的に調べ、落下の法則や慣性の法則をみいだした。ニュートンはこれらの成果のうえに、地上の物体と天体の運動とを統一することによって、万有引力を発見するとともに、力学の体系を三つの法則に定式化した。仮説と実証、分析と総合など体系的認識の手法が用いられることにより、力学が近代科学として初めて成立した。力学は、多くの実験や生産への適用によってその正しさが確かめられ、19世紀には解析力学として体系的に整備された。またそれに伴い、自然の現象がすべて力学の法則に基づいて決定されているとする力学的自然観を生んだ。
慣性の法則は、物体は外部からの影響が及ばないという極限の状況では、静止または等速直線運動の状態を続けるということを述べたものである。慣性の法則は、物体の運動がそのように記述される座標系が存在することを主張しており、その座標系を慣性系という。慣性系を基準にしたときに、物体のその状況からの変化を引き起こすものが力である。この運動の変化は加速度aによって表されるので、加速度を生じる原因として力を規定している。同じ力が働いても、生じる加速度が物体によって異なるので、各物体はそれぞれ固有の質量mをもつとし、このときの力をFとすると、運動の法則はma=Fという量的関係式で表される。mは同じ力に対して加速度と逆比例の関係にあり、物体の慣性の大小を示しているので慣性質量とよばれる。初期条件が与えられると、この関係式から運動が定まる。作用・反作用の法則は、2個の物体が相互に及ぼし合う力は両者を結ぶ直線方向に働き、それぞれ大きさは等しく向きは反対であることを内容としている。外部からの力が働かない集合体全体の運動量や角運動量は保存するが、これは作用・反作用の法則の現れである。
[永田 忍]
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出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…こうして古代ギリシア・ローマ世界の運動観は,さまざまな考え方の可能性を重ね合わせた状態にあったということができよう。 近代科学の成立とともに,運動の問題は,もっぱら物理学とりわけ力学的側面に集約されていくが,それは,このようなギリシア的な運動観のなかから,強制運動,つまり運動力と運動の関係のみに視点を据えた論点に,するどく照明を当て,他の運動観をそれぞれ別個の場所へと分類した上で捨て去った結果であった。その意味で,運動に関する統一的視点は,近代の深まりとともに失われていく。…
…第1に彼らは例外なく,依然として自然学を聖なる構造のなかで(つまりキリスト教神学の有機的一部として)とらえており,第2には,彼らの多くはルネサンスの自然観に濃厚に浸されていて,ニュートンの体系でさえ今日の物理学の性格とはおよそ異なった神秘的な要素を色濃くもっていた。自然
[原子論的発想と力学]
しかし,18世紀以降しだいにあらわになる〈物理学的〉(と呼びうる)な態度は,前代のそうした人々の仕事のなかのある特定の部分を誇張し選別して凝縮した結果として成立したものであるといえよう。ここでいう〈物理学的〉態度とは,おおまかにいえば二つに分類される。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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