精選版 日本国語大辞典 「加地子」の意味・読み・例文・類語
か‐じし ‥ヂシ【加地子】
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日本中世の収取物の一つ。地代の一形態。平安時代以降、国衙(こくが)の正税(しょうぜい)・官物(かんもつ)・雑役や荘園領主の年貢・公事(くじ)とは別に、その土地に関して下級の権利をもつ者が農民からとった段当り1斗程度の定額の貢租が一般に加地子とよばれた。畿内(きない)などの先進地域では鎌倉時代末期以降、加地子収取関係は広く発達し、その額も段当り6斗程度が一般化した。そのため、強力な権力を背景にした戦国大名や豊臣(とよとみ)政権の検地政策によって加地子が年貢体系に強制的に吸収されるまで、在地社会では加地子をめぐる激しい対立が続いた。なお、中世後期の加地子取得権の歴史的系譜については、百姓名(ひゃくしょうみょう)の名主職(みょうしゅしき)が転化したとする説と、平安時代に成立した下級土地所有権である作手(さくて)から発達したものとする説がある。
[山田 渉]
(1)11世紀半ば以降に私領主が収取した段別1斗程度の得分。律令制下の公出挙(くすいこ)利稲分がのちに土地税(正税)へと変化し,それが私領主に対して免除されて加地子が出現した。この加地子は官物減免分そのもので,百姓の負担総量に変化はない。領主加地子は,荘園公領制の成立にともなって荘園年貢に組み込まれることが多かった。(2)13世紀以降に作手(さくて)・永作手所有者が作人から取得した得分。紀伊国などでは片子(かたこ)ともよばれた。小作形態から生じる場合のほか,百姓が負債解消のために自己の田畠を質入れし,毎年支払う返済料が加地子となることもあった。加地子額は土地売価の7分の1程度だったが,中世後期には本年貢を大きく上回るようになった。
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…〈内之得分〉の略称。室町・戦国期の近江,越前,美濃など畿内周辺諸国の田畠売券や寄進状などにしばしば現れる用語で,〈名(みよう)之内得〉〈名内得分〉などと表現され,多くの場合名主(みようしゆ)の私的得分である加地子(かじし)分を指し,売買などで移動した。越前西福寺文書の1515年(永正12)2月9日付春庾田地売券は,平内名(みよう)所属の田地2反を売却したものであるが,それには名の内得分を売るのであるから,本役などは自分(名主)の方で負担するので,この田地には万雑公事(まんぞうくじ)は一切かからない旨記されている。…
…加地子(かじし)の別称。1295年(永仁3)12月16日,経実なるものが紀伊国那賀郡名手荘内の田地1反を売却した際の売券に,買得者尭信房に対して毎年6斗の〈加地子〉を懈怠(けたい)なく運上することを述べたうえ,〈もし片子といい下地といい違い目あるときは本直(ほんじき)(売却値段)を弁ずべし〉と記す(高野山文書)。…
…このような加徴米は鎌倉時代の地頭にもうけつがれ,大田荘地頭三善氏ははじめ反別5升,1192年(建久3)以降は反別3升の加徴米を徴収した。肥前国佐嘉御領の小地頭が給田のほかに取得した定得田町別5斗の加地子(かじし)や,肥後国人吉荘地頭相良氏の起請田反別3升の加地子米などは加徴米と同様のものであった。神護寺領播磨国福井荘でも地頭加徴があって,内検によって検出された得田数に応じて賦課されていた。…
※「加地子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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