加藤美樹(読み)かとううまき

精選版 日本国語大辞典 「加藤美樹」の意味・読み・例文・類語

かとう‐うまき【加藤美樹】

江戸中期の歌人国学者。号は静廼舎(しずのや)。名は宇万伎とも書く。幕府大番の与力賀茂真淵に学び県(あがた)門四天王の一人とされる。門弟上田秋成など。著「雨夜物語だみ詞」「土佐日記注」「静舎歌集」など。享保六~安永六年(一七二一‐七七

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デジタル大辞泉 「加藤美樹」の意味・読み・例文・類語

かとう‐うまき【加藤美樹】

[1721~1777]江戸中期の国学者・歌人。江戸の人。本姓河津。号、静廼舎しずのや。名は宇万伎うまきとも書く。幕臣として務め、賀茂真淵かものまぶちに学んだ。弟子上田秋成がいる。著「土佐日記解」「静舎歌集」など。

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朝日日本歴史人物事典 「加藤美樹」の解説

加藤美樹

没年:安永6.6.10(1777.7.14)
生年:享保6(1721)
江戸中期の国学者。賀茂真淵門で上田秋成の師。通称大助,美樹は宇万伎とも表記する。号は静舎。美濃大垣新田藩の戸田氏房の江戸藩邸奥医師河津家娘葛の婿となり,河津美樹と称し氏房に仕えた。のち戸田家を致仕して幕府の大番与力となり,二条城・大坂城番として江戸と京坂の間を往復した。真淵入門は,延享3(1746)年の26歳のときで,加藤千蔭,村田春海,楫取魚彦と共に県門の四天王に数えられた。真淵には本居宣長と共に『古事記』研究の後継者たることを期待されていたが,その方面の著作は残らない。在坂中の弟子の上田秋成とは親しく交わり,その学問思想に大きな影響を与えた。彼の著書は多く秋成の力によって公にされた。安永6(1777)年,二条在番中に没し,秋成らが葬儀を執行した。家集に『しづやのうた集』(1791),古典注釈書に『雨夜物語だみことば』(1777),『土佐日記解』,随筆に『静舎随筆』がある。<参考文献>丸山季夫「加藤宇万伎」(『国学史上の人々』),中村幸彦「上田秋成伝浅説」(『中村幸彦著述集』12巻)

(飯倉洋一)

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改訂新版 世界大百科事典 「加藤美樹」の意味・わかりやすい解説

加藤美樹 (かとううまき)
生没年:1721-77(享保6-安永6)

江戸中期の国学者。戸田淡路守の臣。宇万伎とも記す。通称五郎左衛門。伊右衛門,大助とも称する。舎号は静舎(しずかや)。26歳で賀茂真淵に入門。和歌よりも古典研究に心を傾ける。1761年(宝暦11)主人の大坂城番に従い,さらに京都二条城御番のため上京,この地で没する。著書に《土佐日記註》《雨夜物語だみことば》《静舎歌集》など。その門下から上田秋成が出ていることは注目すべきである。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤美樹」の解説

加藤美樹 かとう-うまき

1721-1777 江戸時代中期の国学者,歌人。
享保(きょうほう)6年生まれ。延享3年(1746)賀茂真淵に入門。県門四天王のひとりとよばれた。美濃(みの)(岐阜県)大垣新田藩につかえ,のち幕府大番与力となる。大坂在番中の門人に上田秋成がいる。安永6年6月10日死去。57歳。江戸出身。前姓は河津。通称は伊右衛門,大助。号は静舎(しずのや)。名は宇万伎ともかく。著作に「雨夜物語だみことば」「土佐日記解」など。

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世界大百科事典(旧版)内の加藤美樹の言及

【上田秋成】より

…このころ,秋成は2人の知識人と出会い,それが決定的な人生の転機ともなった。ひとりは,大番与力を職とする国学者加藤美樹(宇万伎)(うまき)であり,もうひとりは大坂天満の医師,白話小説家都賀庭鐘(つがていしよう)である。前者から,日本の古典の美しさとその学問を,後者から,中国白話小説の斬新なおもしろさを教えられ,彼は大きく文学的に触発された。…

※「加藤美樹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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