精選版 日本国語大辞典 「加藤道夫」の意味・読み・例文・類語
かとう‐みちお【加藤道夫】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
劇作家。福岡県に生まれる。慶応義塾大学英文科在学中から芥川比呂志(あくたがわひろし)らと演劇活動に従事。同大学院在籍中に処女戯曲『なよたけ』を書き始め、1944年(昭和19)応召直前に友人に託した。第二次世界大戦後は母校と明治大学講師のかたわら芥川らと劇団麦の会を結成、『挿話――エピソオド』(1948)発表後文学座に入り、『思ひ出を売る男』(1951)、『襤褸(ぼろ)と宝石』(1952)、『祖国喪失』(1952)などの戯曲を発表するほか、評論、演出、翻訳にも活躍した。昭和28年12月22日自殺。その純粋な演劇理念は劇団四季創立の精神的支柱ともなった。
[大島 勉]
『『加藤道夫全集』全二巻(1983・青土社)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… 弾圧は免れたものの,45年春以降は疎開を余儀なくされていた文学座は,森本薫作・杉村春子主演《女の一生》で戦後をスタートし,47年には戦前の伝統を継承しつつ〈フランス演劇研究会〉を発足させる。49年には,長岡輝子,芥川比呂志(1920‐81),加藤道夫らもこれに加入して,文学座のみならず新劇界に新風を吹き込むこととなった。フランス演劇研究会ではサルトル,アヌイなど戦後フランスの実存主義的演劇を初演するとともに,東京信濃町の同座稽古場を利用して〈新しき演劇の実験室〉としての〈アトリエ公演〉活動を展開した。…
…5幕9場。加藤道夫作。1946年5月から10月の《三田文学》に連載発表。…
※「加藤道夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/26 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新
10/19 デジタル大辞泉プラスを更新
10/19 デジタル大辞泉を更新
10/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新