精選版 日本国語大辞典 「勧進帳」の意味・読み・例文・類語
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
歌舞伎(かぶき)脚本。時代物。1幕。3世並木五瓶(ごへい)作。1840年(天保11)3月、江戸・河原崎座(かわらさきざ)で7世市川団十郎(当時は海老蔵(えびぞう)と改名)の弁慶、2世市川九蔵(くぞう)(後の6世団蔵)の富樫(とがし)、8世団十郎の義経(よしつね)により初演。長唄(ながうた)の作曲は4世杵屋六三郎(きねやろくさぶろう)(後の六翁)、振付けは4世西川扇蔵(せんぞう)。7世団十郎が市川家の家の芸「歌舞伎十八番」制定にあたって、その一つとして初世の演じた題材を借り、能の『安宅(あたか)』の詞章をもとに、能の舞台と演出を写し、長唄を地にした新形式の演劇を創造したもの。いわゆる「松羽目物(まつばめもの)」の先駆である。
富樫左衛門の守る加賀国安宅ノ関を、東大寺勧進の山伏に身をやつした源義経主従が武蔵坊(むさしぼう)弁慶の知略で通過する物語。弁慶が白紙の巻物を勧進帳と称して読み上げ、番卒に見とがめられた義経を金剛杖(こんごうづえ)で打擲(ちょうちゃく)した機転によって虎口(ここう)を脱する。大筋は『安宅』とまったく同じだが、山伏の故実に関する富樫の質問を弁慶が鮮やかに切り抜ける「山伏問答」を講釈から取り入れ、計略のため主君を打ち据える弁慶の苦衷を富樫が察し、情けによって通してやるという構成にしたのが作劇上の特色。能の簡素で典雅な様式に歌舞伎の長所を注入した7世団十郎の意図を、明治期に9世団十郎が改良洗練し、1891年(明治24)の天覧劇でも上演、その後は7世松本幸四郎が生涯に1600回も演じたことで屈指の人気演目になった。内容が判官(ほうがん)びいきの大衆感情をとらえ、総体に健康的でダイナミックな感覚が現代人の好みにあっている。長唄が名曲で、演出も勧進帳読み上げから、山伏問答、富樫の呼び止めで双方詰め寄るあたりの迫力、危機を逃れた主従が感慨にふけるところの哀感、富樫に贈られた酒で快く酔った弁慶の延年の舞、最後に幕外を引っ込む弁慶の飛六方(とびろっぽう)まで、見どころは多い。
[松井俊諭]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
歌舞伎狂言。3世並木五瓶(ごへい)作,4世杵屋六三郎作曲。1840年(天保11)3月江戸河原崎座初演。兄源頼朝と不和になり都をのがれた義経一行は,奥州へ落ちる途中,安宅(あたか)関で関守富樫(とがし)に止められる。弁慶は白紙の巻物を東大寺の勧進帳といって読みあげ通行を許されるが,あとに従っていた義経をみとがめられる。弁慶が義経を杖で打つのをみた富樫は,心を打たれて一行を通す。7世市川団十郎が歌舞伎十八番の一つとして本曲を初演した。原作は能「安宅」で,能舞台を模した大道具・衣装をはじめてとりいれた点でも画期的な曲。9世団十郎が演出を洗練させた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
… 梵鐘の功徳を伝える説話は日本にも多いが,鎌倉時代以後,ほとんどの鐘の鋳造は勧進(かんじん)によってなされた。仏像や堂宇の勧進と同様,その趣意書を〈勧進帳〉といい,鋳鐘の功徳を吹聴(ふいちよう)して個人や村ごとの奉加喜捨を仰いだ。しかし室町時代以降,流浪する売僧が鐘勧進を称し,遠国の寺号を名乗って鋳造もしない鐘への勧進を求めることがしばしば行われている。…
…歌舞伎や長唄を愛好する大名,旗本,豪商,文人らがその邸宅や料亭に長唄演奏家を招いて鑑賞することが流行し,なかには作詞を試みる者も現れ,作曲者たちの作曲意欲と相まって,《翁千歳三番叟(おきなせんざいさんばそう)》《秋色種(あきのいろくさ)》《鶴亀》《紀州道成寺》《四季の山姥(しきのやまんば)》《土蜘(つちぐも)》など鑑賞用長唄の傑作が生まれた。一方,前代に全盛をきわめた変化物舞踊もようやく行詰りをみせはじめ,さらに幕藩体制の崩壊,長唄愛好者の大名,旗本の高尚趣味の影響もあって,長唄にも復古的な傾向が現れ,謡曲を直接にとり入れた曲が作曲されるようになり,前述の《鶴亀》や《勧進帳》《竹生島》などが生まれた。この時期の唄方には天保の三名人といわれる3世芳村伊十郎,岡安喜代八,2世富士田音蔵,三味線方に10代目杵屋六左衛門,4世杵屋六三郎,5世杵屋三郎助(のち11代目杵屋六左衛門,3世勘五郎),2世杵屋勝三郎,囃子方に4世望月太左衛門,6世田中伝左衛門などがいる。…
…たとえば,能の《船弁慶》における後ジテ知盛の亡霊の出には,まず半幕(半分ほどの高さまで巻きあげる)にしてその姿をみせ,〈あら珍しやいかに義経〉と子方を見てからそこでいったん幕をおろし,ふたたび幕の全体をあげて早笛(はやふえ)の囃子(はやし)に乗って一気に走り出る,という演出がしばしば行われる。また歌舞伎には,《勧進帳》の弁慶の飛六方(とびろつぽう)でよく知られるように,いったん,引幕を引いたのち,これをくぐって役者が出て,ふたたび花道から揚幕へ入るという,〈幕外(まくそと)〉の演出があり,これは視覚的には,効果的な一種のクローズ・アップの手法ともいえるが,六方という特異な動作と合わせて考えるとき,それはむしろ,幕を出て幕に入るという〈神話的〉な身ぶりであるといえる。助六の河東節(かとうぶし)に乗ったあの独特な出端(では)にしても,幕を背にして演ずる芸として,同様な視点からとらえることが可能であろう。…
…7世市川団十郎は能の様式にあこがれ,その演出を積極的にとり入れようとした。その具体的なあらわれが《勧進帳》である。松羽目の舞台を用いたのはこのときが最初であり,この作品が後の〈松羽目物〉の原点となった。…
…書状その他の長い文書を読み上げる部分を重点とした曲。木曾義仲の命で大夫房覚明が八幡社へ願書を捧げる《願書》(《木曾願書》とも),文覚(もんがく)が神護寺復興の寄進勧誘状を読み上げる《勧進帳》,源義経が鎌倉入りを拒まれて釈明文を書く《腰越(こしごえ)》など13曲ある。読物は,〈チラシ〉〈下音〉〈上音〉〈ハコビ〉など,一般の平曲とは著しく異なる曲節の小段を含む伝授物だが,伝承が絶えたためにその詳細はわからない。…
…44年(弘化1)ころまで劇場に出勤。《勧進帳》の作調者である。(5)5世(1815‐87∥文化12‐明治20) 4世の長男。…
※「勧進帳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
1 日が照っているのに、急に雨がぱらつくこと。日照り雨。2 夜、山野で狐火が連なって、嫁入り行列の提灯ちょうちんのように見えるもの。[類語](1)狐日和びより・天気雨・雨天・荒天・悪天・雨空・梅雨空・...
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新