勧進を名目に掲げた相撲興行。寺社や道・橋などの造営・修復の費用を調達するために喜捨を募ることを勧進という。鎌倉末期以降は,能・猿楽などの芸能興行による収益をあてる勧進興行が広く行われた。相撲も芸能の一つとして,15世紀初めから勧進興行が行われ,職業的な相撲人集団の活躍の場となった。近世には,江戸・京・大坂の三都を中心に盛んとなり,営利目的の興行も行われるようになった。幕府は当初は,風紀統制の意図もあり,そうした興行には抑制的で,しばしば勧進相撲禁令を発したが,18世紀半ばには三都で四季1度ずつの営利興行が公認され定着した。現代の大相撲興行はこの系譜につながる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…江戸で俠客夢の市郎兵衛と義兄弟になり,京都の天覧相撲で大関仁王仁太夫を打ち倒し,日下開山(ひのしたかいさん)の勅許を与えられたという。《古今相撲大全》(1763)には,1624年(寛永1)4月,江戸四谷塩町の笹寺で,明石の勧進元による晴天6日間興行が,江戸勧進相撲の始まりとあるが証跡はまったくない。しかし《古今相撲大全》以後は,職業相撲(勧進相撲)の開祖は明石の興行からとされ,これが長く定説になっていたが,近年は否定されている。…
※「勧進相撲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...
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