化石人類(読み)かせきじんるい(英語表記)fossil man

精選版 日本国語大辞典 「化石人類」の意味・読み・例文・類語

かせき‐じんるい クヮセキ‥【化石人類】

〘名〙 地質時代の第四紀洪積世に生存し、現在は化石として発見される人類猿人アウストラロピテクス類)、原人ホモ‐エレクトゥス)、旧人ネアンデルタール人類)、新人化石現世人類)に大別される。

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デジタル大辞泉 「化石人類」の意味・読み・例文・類語

かせき‐じんるい〔クワセキ‐〕【化石人類】

化石として発見される人類。第四紀更新世およびそれ以前に生存した人類をさす。猿人原人旧人新人に大別される。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「化石人類」の意味・わかりやすい解説

化石人類
かせきじんるい
fossil man
fossil hominid

化石として発見された人類のことで、明確な定義はないが、通常は更新世以前(1万1700年前以前)の人類のことをさす。日本語圏では、化石人類を、初期の猿人、猿人、原人、旧人、ホモ・サピエンス(新人)の5グループに分けて説明することが多い。これらの語は欧米では用いられていないが、研究者間で意見が異なる種名を用いずに人類進化の概要を説明できる利点がある。これら5グループの後者ほどホモ・サピエンスの状態に近づいているが、各グループには多様な集団が含まれ、そのすべてがホモ・サピエンスへ向かうように進化してきたわけではない。さらに時期によっては、猿人と原人、あるいは原人と旧人とホモ・サピエンスが共存することもあった。現代ではそうした多様性は失われ、ホモ・サピエンスのみが生存している。

[海部陽介・太田博樹 2023年8月18日]

発見史

人類は今でこそ巨大な人口を抱えているが、その進化史の大半においては、生態系のなかで少数派であった。そのため、人類の化石は、ウシ科などの動物化石と比べてごくまれにしか発見されない。

 19世紀後半に、ダーウィン功績で、人類は類人猿から進化して誕生したことが認識されるようになって以来、化石骨のなかにそうした太古祖先を探す気運が生まれてきた。そのさなかで最初に認識された化石人類は、旧人の一地域集団にあたるネアンデルタール人で、その化石はヨーロッパの複数の地点からみつかっている。ついで19世紀末にはインドネシアでジャワ原人が発見され、1925年には南アフリカでアフリカヌス猿人が報告されるが、当時においてその化石人類としての正当性が認められるまでには紆余曲折(うよきょくせつ)があった。その後、同類の化石や北京(ペキン)原人などの発見が相次ぐようになり、当初の疑念は払拭(ふっしょく)されたが、断片的な化石に基づく誤った形態解釈から、人類のアジア起源説が有力視されるなど、混乱は続いた。

 20世紀後半に入ると、人類化石の発見数の増大や年代測定技術の発達とともに、猿人クラスの古く原始的な人類化石はアフリカでしか発見されない傾向が明確になり、人類のアフリカ起源説が確立した。さらに、大きな脳に代表される人間的諸特徴のうち、もっとも初期に発達したのは直立二足歩行であるらしいことも、化石の充実とともに判明してきた。現時点で最古の人類とみなされる化石は、チャドの700万年前の地層からみつかっており、人類が近縁現生種であるチンパンジーおよびボノボの系統から分岐し、直立二足歩行を始めたのは、このころであったと考えられるようになってきた。

[海部陽介・太田博樹 2023年8月18日]

初期の猿人

アフリカで進化した約700万~440万年前の最古段階の人類をさす。みつかっている最古のものはサヘラントロプス・チャデンシスという学名を与えられた約700万年前の化石だが、全身の形態が把握できる化石は、エチオピアの440万年前の地層から出土し、2009年に全容が発表されたラミダス猿人である。ラミダス猿人では、犬歯がわずかながら縮小化傾向を示すとともに、骨格の随所に地上での直立二足歩行が可能な特徴が認められる。一方で、小さな脳を含む頭骨の形状はかなり原始的であるほか、他の霊長類と同様に足に把握能力が備わっていて、樹上と地上の双方で活動していたとみられる。

 この復元像は、地上でナックル歩行(手指の背を地面につけて行う四足歩行)をし、樹上で懸垂運動をするチンパンジーなどのアフリカ類人猿とはずいぶん異なっている。つまり、人類とチンパンジーの共通祖先は、チンパンジーとは似ていなかったらしい。現生のチンパンジー的な特徴は、チンパンジーの系統で独自に進化したものということになる。

[海部陽介・太田博樹 2023年8月18日]

猿人

初期の猿人よりも地上での活動性を強めたグループで、420万年前以降のアフリカに出現した。初期の猿人と比べて足指による把握性が失われ、よりヒトらしい歩行をするようになったが、臼歯やあごはより頑丈に変化している。最初に現れたアウストラロピテクス属(約420万~200万年前)と、そこから分岐してあごと臼歯の頑丈化傾向を極端に強めた頑丈型猿人ともよばれるパラントロプス属(約270万~140万年前)に大別され、それぞれにいくつかの種が認められている。猿人では、脳の顕著な増大は認められず、その生息域はアフリカ大陸に限られていた。末期のグループは単純な石器をつくり、肉食を行った可能性があるが、詳細は明らかでない。

[海部陽介・太田博樹 2023年8月18日]

原人

300万~200万年前の東アフリカにおいて、頑丈型猿人とは対照的に、脳サイズが増し、歯とあごが縮小傾向を示し、石器を頻繁に用い、肉食行動を活発化させた人類が出現した。これ以降の人類をホモ属とし、その初期のグループを原人と総称している。

 この時期の人類化石はあまり多くみつかっていないため、初期の原人の様相については不明な点が多い。その代表的な種であるホモ・ハビリスは、アフリカの約240万~160万年前の地層から化石が知られ、パラントロプスと共存していたが、この時期にはほかにも複数種の原人がいたとの見解もある。その脳容量は500~700ccほどで、身体サイズはまだあまり大きくなかった。初期の原人は不定形で単純な石器を常用しており、共伴する動物化石に石器による損傷がみつかることから、肉食もかなり頻繁に行っていたと考えられる。

 人類として初めて出アフリカを果たしたのは、こうした初期の原人の一群であったと思われ、その証拠が中国北部の藍田(らんでん)(約210万年前)やジョージアのドマニシ(185万~177万年前)から報告されている。藍田からは石器が、ドマニシからは石器と化石人骨がそれぞれ発見されている。

 やがて170万年前ころまでに、脳サイズが現代人の3分の2程度に増大し、脚が伸長して現代人並みかそれ以上に大柄となった進歩的な原人が、アフリカに現れた。ジャワ島と中国北部から化石が知られるジャワ原人(約110万~10万年前)および北京原人(約75万~40万年前)も、同類の原人である。ただしアジアにおける原人進化の実態はまだ不明な点が多く、アフリカとアジアにまたがるこれらすべてをホモ・エレクトゥスという単一種にまとめるか、大陸間で異なる種に分けるかなどをめぐり、専門家の間では意見が一致していない。

 21世紀に入ると、東部アジアにはさらに多様な原人が生息していたことが明らかとなってきた。ホモ・フロレシエンシスは、2003年にインドネシアのフローレス島で発見された新種の原人である。狭い海峡を越えて島へ渡っていたという事実に加え、身長が1メートル強と極端に小柄であること、脳容量はチンパンジー並みの426ccしかないことが専門家に衝撃を与えた。2019年には、同様に小柄な原人が、フィリピンのルソン島にも生息していたことが報告された(ホモ・ルゾネンシス)。

[海部陽介・太田博樹 2023年8月18日]

旧人

旧人は、原人よりも進歩的な頭骨形態を示す一方、ホモ・サピエンスとは異なる原始的特徴を保持しているグループである。有名なのはヨーロッパに分布の中心があったネアンデルタール人だが、アフリカのほか、約30万年前以降の中国やインドでみつかっている化石もこのグループに含められる(後者について「~人」といった特定の呼称はない)。最古の旧人は100万~60万年前ころに出現したらしいが、その起源の地はアフリカを有力候補地とするものの明確にはわかっていない。

 5万年前以前のアジア各地には、原人から旧人まで多様な人類が生息していた。旧人はアフリカからユーラシア大陸の中~低緯度地域に広がっていたが、原人が分布していた東南アジア島嶼部(とうしょぶ)では化石がみつかっていない。旧人の時代には、狩猟技術の大幅な向上や火の制御法の発達がみられ、ホモ・サピエンスの出現期と重なる末期の旧人の一部においては、死者の埋葬や装飾品の製作も行われたらしい。

 古代ゲノムの解析技術が劇的に向上したおかげで、2010年以降ネアンデルタール人の完全ゲノム解読がなされ、さらに「デニソワ人」とよばれるネアンデルタール人と近縁な旧人の存在が明らかになってきている。これらのゲノム情報により、こうした旧人どうしが過去に交雑をしていたこともわかってきた。

[海部陽介・太田博樹 2023年8月18日]

ホモ・サピエンス(新人)

私たち現代人と同様の形態的・遺伝的特徴を示す人類のことを、ホモ・サピエンスとしている。日本の縄文時代人も、ヨーロッパのクロマニョン人も、その意味でわれわれと同じホモ・サピエンスである。ホモ・サピエンスは時間軸において更新世から完新世にまたがっているが、化石人類という観点からは、更新世のグループをさすことになる。この更新世ホモ・サピエンスは、初期ホモ・サピエンスとよばれたり、あるいは考古学的には旧石器時代のホモ・サピエンスと称されたりもする。

 ホモ・サピエンスは30万~10万年前のアフリカで旧人から進化したことが、遺伝学と化石形態学の双方から認められているが、その詳しい様相はよくわかっていない。10万年前ころの初期のホモ・サピエンスの一部は、アフリカからユーラシアへ進出していたが、この種の本格的な世界拡散が始まったのは、6万~5万年前以降である。その過程で、アフリカとユーラシア各地にいた原人や旧人が姿を消し、それまで多様だった人類は1種のみとなったが、化石骨から抽出したDNA分析の結果から、拡散の途上でネアンデルタール人など旧人の一部集団との混血が生じたことも判明している。

 ホモ・サピエンスは、原人や旧人の分布域を越え、世界中へ大拡散して、地球上のあらゆる陸地に人類がいるという現在の状況をつくっていった。西太平洋の海域で、本格的な海洋進出を始め、4万7000年かそれ以前より、渡海を繰り返してオーストラリアおよびニューギニアへ、さらにフィリピン群島や、3万8000年前には日本列島へ渡った。当時の舟は遺跡に残されておらず特定されていないが、漕(こ)ぎ舟でこれらの島々へ渡ったものと思われる。

 寒冷な極北域も原人や旧人が定着できなかった地域であるが、ホモ・サピエンスはシベリアへも拡散し、3万2000年前までに北極海沿岸に達している。さらにそこからアメリカ大陸へ渡ると、約1万5000キロメートルを縦断して1万3000年前ころには南アメリカ大陸の南端にまで到達した。

 このような後期更新世(あるいは旧石器時代)におけるホモ・サピエンスの爆発的な拡散は、その後の完新世においてもさらに続くことになるが、それを可能にした主因は技術と文化であった。ふつうの生物が身体構造を進化させて新たな環境に適応していくのに対し、われわれの種は水上航行具(筏(いかだ)や舟)を発明して海洋進出を果たし、住居や衣服などで寒冷地を克服した。さらに網や陥穴(おとしあな)などの罠(わな)猟や、釣り針などの漁労技術の発明により獲得できる食料としての動物資源を増やしたことも、ホモ・サピエンスが地球上のあらゆる陸上生態系へ進出することを大きく後押しした。

[海部陽介・太田博樹 2023年8月18日]

化石人類研究の今後

21世紀に入ってから、人類化石から抽出したDNA(デオキシリボ核酸)の塩基配列やタンパク質のアミノ酸配列を読み取る技術が発達し、化石から得られる情報を飛躍的に高めている。これらの技術が適用できるのは、一部の保存のよい化石に限られるが、今後も、新しい化石の発見と分析技術の進歩が両輪となって、化石人類の理解が進んでいくだろう。

[海部陽介・太田博樹 2023年8月18日]


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百科事典マイペディア 「化石人類」の意味・わかりやすい解説

化石人類【かせきじんるい】

化石骨によって知られる,更新世(地質時代第四紀前半)およびそれ以前の人類の総称。現生人類とは形態が異なり,別種と認定される。眼窩(がんか)上隆起(眉上弓)の発達,前額の後退,低頭,頤(おとがい)の未形成の諸形質を共有。猿人(アウストラロピテクスなど)の段階から,原人(ピテカントロプスシナントロプス・ペキネンシスなど),旧人(ネアンデルタール人など),新人へと進化したと考えられる。
→関連項目明石原人猿人旧人ジンジャントロプスハイデルベルク人パラントロプス三ヶ日人

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「化石人類」の意味・わかりやすい解説

化石人類
かせきじんるい
fossil man

化石として発見される古い人類。あまり厳密な言葉ではなく,初めは現生人類とは別にかつて存在した人類 (先行人類ともいう) のことをさしていた。具体的には約 400万~1万年前までの更新世以前の人類のことで,次のように4つの進化段階に分けられている。 (1) 猿人 パラントロプスを含んだアウストラロピテクス類のこと。およそ 400万~100万年前,不完全ながら二足歩行をして,礫石器を使用。 (2) 原人 ピテカントロプス,北京原人などホモ・エレクトゥスをさす。およそ 150万~20万年前,完全に直立二足歩行し,握斧を作った。火を使用したと思われる。 (3) 旧人 ネアンデルタール人などのことで,およそ 20万~5万年前,おもに剥片石器を使用した。 (4) 新人 現生人類と同類である。石刃を多目的に加工して使用した。上記の人類はいずれも現生人類の先祖であると考えられる。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「化石人類」の解説

化石人類
かせきじんるい

化石の発見で存在が知られる人類。更新世またはそれ以前の人類をいう。直立は達成したが脳容積は現代人の3分の1程度の500cc前後しかなく,アフリカだけに分布していた段階を猿人(アウストラロピテクス),脳容積が約1000ccに達し,定型的な石器をつくり,アフリカからユーラシアに進出した段階を原人(ホモ・エレクトゥス),現代人なみの脳容積をもつが,頭骨の形態にまだ原人に近い特徴を残している段階を旧人(古型ホモ・サピエンス),額が高く,顔が垂直になり,頤(おとがい)が形成された段階を新人(現代型ホモ・サピエンス)とよんでいる。日本で発見されている化石人類は牛川人以外はすべて新人段階に属する。

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世界大百科事典 第2版 「化石人類」の意味・わかりやすい解説

かせきじんるい【化石人類 fossil hominids】

更新世およびそれ以前の化石骨によって知られる人類,すなわち猿人,原人,旧人,新人の総称。化石人類として最初に認められたのは,ドイツのデュッセルドルフに近いネアンデル谷の石灰岩洞窟で1856年に発見されたネアンデルタール人である。この人骨は,頭蓋冠が低く,眼窩上隆起が強い点で原始的であったが,頭蓋腔容積は現代人に勝るとも劣らない大きさをもっていた。1891年にジャワのトリニールで,E.デュボアが発掘した化石頭蓋は,高さがさらに低く,頭蓋腔容積も約850mlと,現代人平均の約3分の2程度であった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「化石人類」の解説

化石人類
かせきじんるい
homo primogenus

新人以前に生存した古生人類。原始人類ともいう
更新世に出現した猿人・原人・旧人などがこれに属する。直立歩行し,人類に属するが,いずれも化石骨のみで確認される。更新世末期に出現した新人も,化石現生人類としてこれに含める場合もある。

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世界大百科事典内の化石人類の言及

【新人】より

…今から約3万年前,後期更新世のウルム第1亜間氷期から現在にいたる間に地球上に生息した人類は,すべて新人の範疇に入るが,更新世の新人,すなわち後期旧石器時代人は化石現生人類Homo sapiens fossilisと呼ばれ,それ以後の新人と区別されている。 過去の人類の身体特徴を知る唯一の手がかりである骨・歯の形態について,新人と他の化石人類を比較すると次のような差異が認められる。平均頭蓋容積は約1350ccで,これは旧人とほぼ同程度であるが,猿人や原人よりかなり大きい。…

※「化石人類」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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