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中国の王朝(557~581)。西魏(せいぎ)の実権者宇文氏が西魏を奪って創建した。国名の周のおこりは、西魏の代から古代の周を手本としたためで、そのことによって北魏孝文帝以来の漢化主義、門閥主義を排し、北族尊重主義をとるとともに素朴主義の政治を目ざした。第3代武帝のとき廃仏を断行して君権の強化を図り、また北斉(ほくせい)を平定して華北の統一を実現したが、その子宣帝は暴君で人心は北周から離れ、これに乗じた外戚(がいせき)楊堅(ようけん)が政権を奪って581年隋(ずい)朝を建てた。しかし関中に本拠を置いた隋・唐両帝国の直接の母体となったものは西魏ならびに北周であり、その意味でこれらの王朝の担った意義は大きい。
[谷川道雄]
556~581
南北朝時代の北朝の王朝。西魏(せいぎ)の実力者宇文泰(うぶんたい)が死ぬと,兄の子宇文護(うぶんご)が実権を握り,西魏を廃して泰の子覚(かく),毓(いく),邕(よう)を次々に立てた。572年邕(武帝)は護を殺して親政し,廃仏を行い,北斉を併せた。孫の静帝が幼くして即位すると,外戚楊堅(ようけん)(隋の文帝)に国を奪われた。
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