北浦(読み)キタウラ

デジタル大辞泉 「北浦」の意味・読み・例文・類語

きた‐うら【北浦】

茨城県南東部の海跡湖。南北に長く、面積36平方キロメートル。鹿島工業地帯の用水源。西の霞ヶ浦とともにワカサギ漁の帆引船ほびきぶねで知られる。

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精選版 日本国語大辞典 「北浦」の意味・読み・例文・類語

きたうら【北浦】

  1. 茨城県南東部、霞ケ浦の東側にある海跡湖。南北に細長く、古くは鉾田から鹿島神宮や江戸へ向かう水路に利用された。面積三五・二平方キロメートル。

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日本歴史地名大系 「北浦」の解説

北浦
きたうら

[現在地名]美保関町北浦

日本海に面し、東は戦谷たたかいだに山・巻谷まきだに(大黒山)を境にすげ浦、西は枕木まくらぎ山・ちゆう山を境に長海ながみ(現松江市)千酌ちくみ浦、南は巻谷山・畑谷はただに山で下宇部尾しもうべお村、手角たすみ(現松江市)・長海村。巻谷から稲積いなづみ川が北流し、途中馬見谷うまみだにから流れる馬見谷川と合流し、稲積湾へ注ぐ。千酌浦から当浦を経て菅浦へ至る道が通る。途中分岐して手角村への道、さらに分れて長海村への道がある。東部を稲積と称する。「出雲国風土記」島根郡所載の稲上いなあげ浜は稲積浦に、稲積島は稲積湾内の二つの島に比定される。「二つの窟あり」とある勝間かつま埼は北東に突き出たまき崎に比定され、現在も崎の東側に二つの洞窟がある。崎の中央には摩爾祖まにそ(現麻仁曾山)が孤立し、崎の先端をまき鼻という。永禄一三年(一五七〇)一一月四日の毛利元就・同輝元連署感状(閥閲録)に北浦がみえ、当地を警固し戦功をあげた児玉就英が賞されている。天正二年(一五七四)四月二二日、湯原春綱は北浦などの帆役を与えられている(「湯原春綱帆役覚書」同書)



きたなだうら

[現在地名]津島町北灘

北灘湾の南北両岸の二つに分れている浦。北は東三浦ひがしみうら・西三浦(現宇和島市)、南は下灘浦しもなだうら、東は近家ちかいえ村・岩松いわまつ村に接する。

永徳二年(一三八二)七月二九日の奥野ノ村(現広見町興野々)の「一宮大明神大般若経奥書」に「伊予国宇和郡喜多灘、左近将監橘元村」と地名が異記される。また慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の宇和郡の項には「北灘浦 柴山有、茅山有」と村名が記される。吉田藩領。

太閤検地の石高は七七七石七斗八升三合であった。「郡鑑」によると本網一二帖、結出網一帖、鮗網一帖で、網船一六艘、小船四九艘とある。

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百科事典マイペディア 「北浦」の意味・わかりやすい解説

北浦【きたうら】

茨城県南東部にある南北に細長い湖。標高0.2m,面積35.04km2,最深7.0m。北端に巴川が流入,南端は外浪逆浦(そとなさかうら)を経て利根川に続く。近世鹿島参宮,江戸への物資輸送の水運に利用。淡水の富栄養湖で,シラウオ,ワカサギ,ウナギが漁獲され,コイ養殖も盛ん。南端部は水郷筑波国定公園に属する。→霞ヶ浦
→関連項目麻生[町]潮来[市]潮来[町]茨城[県]霞ヶ浦四十八津関東平野北浦[町]鉾田[町]

北浦[町]【きたうら】

茨城県南東部,行方郡の旧町。1997年10月,北浦村から町制。北浦の北西岸にあり,町域の大部分は行方台地上にある。古くから平地林の開墾が進み,サツマイモ,葉タバコ,ラッカセイ,ミツバなどが生産されている。近年はチンゲンサイが全国1位,大葉が同2位の出荷量。北浦ではワカサギ,フナなどが漁獲される。北浦対岸の鉾田市との間に鹿行大橋がかかる。2005年9月,行方郡麻生町,玉造町と合併し市制,行方市となる。54.70km2,1万691人(2003)。

北浦[町]【きたうら】

宮崎県北東端,日向灘(ひゅうがなだ)に臨む東臼杵(ひがしうすき)郡の旧町。市振(いちぶり),宮野浦などの漁港を中心にイワシ漁,ハマチ養殖が盛ん。沖合の高島にビロウ自生地(天然記念物)がある。2006年2月東臼杵郡北方町と延岡市へ編入。103.47km2。4936人(2003)。

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改訂新版 世界大百科事典 「北浦」の意味・わかりやすい解説

北浦 (きたうら)

茨城県南東部の淡水湖。鹿島台地と行方(なめがた)台地にはさまれた南北に細長い湖で,流入河川は巴川など20近くあるが,流出河川は鰐(わに)川のみで,外浪逆浦(そとなさかうら),常陸利根川を経て利根川に通じる。面積36.1km2。最大深度7m。洪積台地面の河刻によって生じた低地への滞水によって成立した。近世初期まで関東平野東部に広く水域を占めた流海(ながれうみ)の残存部分にあたり,海退に伴う水域縮小に次いで,流入河川による湖面の埋立てが進み,湖岸線の出入りがめだっている。近世には漁業とともに舟運が栄え,東北諸藩の産米,物産の江戸回送は17世紀に河村瑞軒が外海回り江戸直航のルートを開くまで海難の多かった鹿島灘海域をさけ,那珂湊から涸沼(ひぬま),北浦,利根川,江戸川を経て江戸に至る輸送路(一部は陸送)が主であった。明治に入ってからも昭和初期まで,外輪蒸気船による定期航路があり,高瀬船による貨物輸送も活発に行われた。典型的な富栄養湖で,ワカサギ,シラウオ,コイ,フナなどの淡水漁業が盛んであり,観光のために帆引網によるワカサギ漁も行われる。鹿島臨海工業地域への工業用水,都市用水の水源としても重要であるが,雑排水の流入,塩害防止を理由に建設された常陸川水門による湖水滞留が水質悪化を招いている。
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北浦(茨城) (きたうら)


北浦(宮崎) (きたうら)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「北浦」の意味・わかりやすい解説

北浦(湖)
きたうら

茨城県南東部にある湖。鹿嶋(かしま)市、鉾田(ほこた)市と行方(なめがた)市、潮来(いたこ)市、神栖(かみす)市に囲まれた南北25キロメートルの細長い形をなす。面積36.2平方キロメートル、周囲75キロメートル、最大水深7メートル。富栄養湖。鹿島、行方両台地の間の侵食谷状の低地に水をたたえ、かつて南端は霞ヶ浦(かすみがうら)に連なっていた。湖岸は鋸歯(きょし)状に岬と入り江が交互し、北から巴(ともえ)川が注ぎ、南は鰐(わに)川、外浪逆浦(そとなさかうら)、常陸(ひたち)川を経て利根(とね)川に流出している。南部は常陸川水門ができるまで潮の干満の影響を受けた。古代から内陸水路となり河岸(かし)集落が発達し、近世には湖頭の鉾田が栄え、明治から昭和初期まで鉾田―鹿島―潮来間に汽船が通じた。漁業では、フナやコイなどが漁獲され、ワカサギの帆引(ほびき)船も1983年(昭和58)には二十数隻残っていたが、その後は動力船にかわり、1999年(平成11)には観光用4隻が残るのみであった。また、近年コイの養殖業が増加した。鹿島臨海工業地域の工業用水、都市用水として利用されている。東に鹿島臨海鉄道、南に神宮橋とJR鹿島線、北に鹿行(ろっこう)大橋がある。南部は水郷筑波国定公園(すいごうつくばこくていこうえん)に属し、沿岸はフナ、タナゴの釣り場となっていたが、近年はブラックバスの釣り客が多い。

[櫻井明俊]


北浦(宮崎県)
きたうら

宮崎県北部、東臼杵(ひがしうすき)郡にあった旧町名(北浦町(ちょう))。現在は延岡市(のべおかし)の北東部を占める地域。大分県に隣接し日向灘(ひゅうがなだ)に面す。旧北浦町は1972年(昭和47)町制施行。2006年(平成18)延岡市に編入。県北海岸部は六ヶ浦(むがうら)と称されたが、明治時代に北浦、南浦に統一された。大分県側とともに日豊海岸国定公園(にっぽうかいがんこくていこうえん)に含まれ、山がちのリアス海岸線である。国道388号が通じる。近世は延岡藩領。漁業が盛んで、イワシ、アジ、サバ漁が中心。漁港は市振(いちぶり)にある。沖合い約3キロメートルの高島はビロウ樹の自生地で、国指定天然記念物である。

[横山淳一]

『『北浦町史』全5巻(1994~2002・北浦町)』


北浦(茨城県)
きたうら

茨城県南東部、行方郡(なめがたぐん)にあった旧町名(北浦町(まち))。現在は行方市の北東部を占める地域。1955年(昭和30)津澄(つすみ)、要(かなめ)、武田(たけだ)の3村が合併して北浦村となり、1997年(平成9)町制施行。2005年麻生(あそう)、玉造(たまつくり)2町と合併して市制施行、行方市となった。北浦に臨む行方台地と湖岸低地からなる。国道354号が通り、鹿行(ろくこう)大橋で北浦対岸の鉾田(ほこた)市と結ばれる。中世は武田氏や佐竹氏が支配、近世は小藩に分属された。米と野菜の農業が中心で、とくにミツバは茨城県第一の産地。化蘇沼(けそぬま)の稲荷(いなり)神社祭礼では奉納相撲(ずもう)が行われる。

[櫻井明俊]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北浦」の意味・わかりやすい解説

北浦
きたうら

茨城県南東部,霞ヶ浦の東側で行方 (なめかた) ,鹿島両台地にはさまれ,北西から南東に細長く横たわる湖。面積 35.2km2,周囲 64km。北部と南部が浅く,最大水深は 10m。淡水の富栄養湖。巴川に鉾田川が合流して北端で流入し,南は外浪逆浦 (そとなさかうら) に続く。湖岸には鉾田をはじめ多くの集落が発達し,沖積地には水田が開ける。漁業はイサザ,フナ,ワカサギが多く,コイの養殖も行われる。江戸時代から水上交通路として知られ,東北地方から江戸への物資の輸送路や鹿島・香取神宮参拝の通路として利用された。鹿島臨海工業地域の工業用水,上水道用水源としても利用され,中部の武井に揚水機場を設けて工場に給水。満潮時の海水逆流防止を目的とした常陸川水門の建設によって淡水湖となる。南端を JR鹿島線,国道 51号線が通る。水郷筑波国定公園に属する。

北浦
きたうら

宮崎県北部,延岡市北東部の旧町域。大分県との県境にあり,日向灘に臨む。 1972年町制。 2006年延岡市に編入。江戸時代は延岡藩領。ほとんどが山地で,耕地はわずかである。水産業が中心で,イワシ漁のほかハマチの養殖が行なわれる。古江のキンモクセイおよび高島のビロウ自生地は,ともに国の天然記念物に指定されている。東部の南北浦海岸は風光よく日豊海岸国定公園に属する。

北浦
きたうら

茨城県南東部,行方市北東部の旧町域。北浦北西岸に位置する。 1955年武田村,津澄村,要村の3村が合体して北浦村となり,1997年町制。 2005年麻生町,玉造町と合体して行方市となった。ミツバの軟化栽培 (→黄化処理 ) が行なわれ,北浦みつばの産地として知られる。

北浦
きたうら

秋田県西部,男鹿半島北西部にある男鹿市の一地区。旧町名。 1955年男鹿市に編入。古くから港町として栄え,男鹿文化発祥の地。農業,水産業が主で,八望台からの一ノ目潟二ノ目潟の展望,男鹿温泉郷などの観光の基地。

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デジタル大辞泉プラス 「北浦」の解説

北浦

宮崎県延岡市にある道の駅。国道388号に沿う。

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世界大百科事典(旧版)内の北浦の言及

【島根半島】より

…半島東端付近には弓ヶ浜の砂州がのびて中海を抱き,半島の丘陵とは境海峡で隔てられる。日本海岸は北浦と呼ばれ,リアス海岸で好漁場をなし,片江(美保関町),御津(みつ),恵曇(えとも)(ともに鹿屋町),十六島(うつぷるい)(平田市)などの漁港がある。半島南部の低地は古来出雲国の中心をなし,出雲大社をはじめ出雲神話にちなむ神社が多い。…

【能古島】より

…また台地上には〈能古島牛牧〉があった。13世紀には元寇の古戦場となり,江戸時代は福岡藩の馬牧,鹿の狩場がおかれ,南部の北浦や江ノ口などは廻船業で栄えた。第2次大戦中から開拓され,野菜栽培が行われる。…

※「北浦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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