千宗守(読み)セン ソウシュ

20世紀日本人名事典 「千宗守」の解説

千 宗守
セン ソウシュ

昭和期の茶道家 武者小路千家家元(10代目)。



生年
大正2(1913)年4月21日

没年
平成11(1999)年8月19日

出生地
兵庫県神戸市

出身地
京都府京都市

旧姓(旧名)
島 道雄

別名
号=有隣斎,淡中斎,徳翁,隠居名=千 宗安(セン ソウアン)

学歴〔年〕
京都帝国大学文学部史学科〔昭和13年〕卒,京都帝国大学大学院修了

主な受賞名〔年〕
勲四等旭日小綬章〔平成4年〕

経歴
京都市の嘱託として京都市史編さんに携わる。昭和16年武者小路千家9代家元の養子となり、家元の長女・澄子と結婚。28年10代家元を継承し、宗守を襲名。また39年千茶道文化学院創設、学院長となり学校教育方式での茶道伝授を進めた。49年官休庵を設立、理事長。平成元年病気療養のため隠居し、徳翁宗安を名乗る。著書に「官休庵茶の湯」「利休とその道統」「茶花十講」がある。


千 宗守
セン ソウシュ

大正・昭和期の茶道家 武者小路千家家元(9代目)。



生年
明治22(1889)年10月8日

没年
昭和28(1953)年7月21日

出生地
京都府京都市中京区高倉通

旧姓(旧名)
久田

別名
幼名=嘉次,号=聴松,愈好斎

学歴〔年〕
東京帝国大学文科大学国史科〔大正5年〕卒

経歴
千利休を祖とする三千家の一つで、武者小路千家(官休庵)家元。久田家10代宗悦の二男。5歳の時官休庵8代一指斎の養子となったが、10歳で死別表千家の茶を学んだ。28歳で表千家11代碌々斎の5女恒子と結婚。大正8年30歳の時、9代官休庵宗守を継いだ。茶の湯界初の東大出の知識人で、ピアノ、フルートを趣味とし東京千駄木の久米邸を出張所に美茗会、京都では転石会を作って学者、文化人と交流。また「近代生活と茶道」と題して放送するなど茶の湯のPRに努めた。月刊誌「武者の小路」を主宰し、「茶道妙境」「利休居士の茶道」「茶道風与思記」など文筆の上でも活動、日記「愈好斎日記」(4巻)もある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「千宗守」の意味・わかりやすい解説

千宗守(せんのそうしゅ)
せんのそうしゅ
(1593―1675)

江戸前期の茶匠。武者小路(むしゃのこうじ)千家官休庵(かんきゅうあん)1世。一翁、似休斎と号す。千宗旦(そうたん)先妻の子(第2子)で、若い時分、塗師(ぬし)吉岡家の養子となり甚右衛門(じんえもん)を名のったが、のち千家に戻った。1666年(寛文6)讃岐(さぬき)(香川県)高松の松平家の茶頭(さどう)となったが、まもなく致仕し、武者小路小川(京都市上京(かみぎょう)区)に官休庵を営む。

[村井康彦]


千宗守(せんそうしゅ)
せんそうしゅ

千宗守

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百科事典マイペディア 「千宗守」の意味・わかりやすい解説

千宗守【せんのそうしゅ】

武者小路千家流の家元。1世宗守〔1593-1675〕は千宗旦の次男。通称は甚右衛門。一翁,似休斎とも号した。高松藩の茶頭を辞し京都武者小路に官休庵を建て茶道を教えた。10世宗守〔1913-1999〕は有隣斎と号し,11世宗守〔1945-〕は不徹斎と号す。

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朝日日本歴史人物事典 「千宗守」の解説

千宗守(初代)

没年:延宝3.12.19(1676.2.2)
生年:文禄2(1593)
江戸前期の茶人。官休庵武者小路千家の初代(利休よりかぞえて4世となる)。似休斎,一翁と号した。千宗旦の次男で,吉岡家(吉文字屋)へ養子に出て甚右衛門を名のり塗師となったが,やがて千家に戻り,讃岐高松の松平家の茶頭となった。現在の京都武者小路の地に茶室官休庵をたて,いわゆる三千家の一家として利休,宗旦の道統を守り,平成期の11代不徹斎におよんでいる。ちなみに塗師の吉文字屋へは中村氏が入り,千家十職のひとつ,中村宗哲家となるが,初代宗哲に一翁の娘が嫁いだとされている。<参考文献>『茶道の源流』全6巻

(熊倉功夫)


千宗守(4代)

没年:天明2.2.6(1782.3.19)
生年:享保10(1725)
江戸中期の茶人。官休庵武者小路千家4代家元。幼名久之丞。堅叟,直斎と号した。嵯峨家より入り3代真伯宗守の養子となる。茶の湯の遊芸化の進行と,都市の茶の湯人口の増加に対応して,7代千宗左(如心斎)に協力し千家七事式を制定し,稽古を茶の湯の中心とする道を開いた。また自邸にも多人数が同時に稽古できるような15畳の広間(弘道庵)を築造するなど社中の拡充に努め,武者小路千家の中興とされている。好みものも多く,なかでも仙台藩内でとれる名取川の埋木を用いた香合は,とりわけ有名。<参考文献>『茶道の源流』全6巻

(熊倉功夫)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「千宗守」の解説

千宗守(初代) せん-そうしゅ

1593-1676* 江戸時代前期の茶人。
文禄(ぶんろく)2年生まれ。千家3代千宗旦(そうたん)の次男。武者小路(むしゃのこうじ)千家の祖。塗師(ぬし)吉文字屋の養子となっていたが,のち家業を娘婿の中村宗哲にゆずり千家に復帰した。京都武者小路に官休庵(かんきゅうあん)をいとなみ,また讃岐(さぬき)高松藩松平家に茶頭(さどう)としてつかえた。延宝3年12月19日死去。83歳。号は一翁,似休斎。

千宗守(4代) せん-そうしゅ

1725-1782 江戸時代中期の茶人。
享保(きょうほう)10年生まれ。3代千宗守の養子。武者小路(むしゃのこうじ)千家4代家元。邸内に一方庵,弘道庵の茶席をつくる。表千家7代千宗左に協力して千家「七事式(しちじしき)」の制定に参加。初代宗守の百回忌をいとなんだ。武者小路千家の中興の祖といわれる。天明2年2月6日死去。58歳。本姓は嵯峨(さが)。号は堅叟,直斎。

千宗守(10代) せん-そうしゅ

1913-1999 昭和後期-平成時代の茶道家。
大正2年4月21日生まれ。昭和16年武者小路(むしゃのこうじ)千家9代千宗守の養子となり,宗守の長女千澄子と結婚。28年10代家元をつぐ。千茶道文化学院や財団法人官休庵を設立し,学問と茶道の融合をはかる。平成元年隠居し,宗安を号す。平成11年8月19日死去。86歳。兵庫県出身。京都帝大卒。号は有隣斎。旧姓は島。

千宗守(11代) せん-そうしゅ

1945- 昭和後期-平成時代の茶道家。
昭和20年7月21日生まれ。武者小路(むしゃのこうじ)千家10代千宗守の長男。母は懐石料理研究で知られた千澄子。昭和55年から欧米で講演や茶会をおこない,平成4年にはローマ教皇庁(バチカン)で献茶式をするなど,茶道の紹介につとめる。平成元年11代家元をつぎ,官休庵理事長となる。京都出身。慶大卒。本名は方一。号は不徹斎。

千宗守(3代) せん-そうしゅ

1693-1745 江戸時代中期の茶人。
元禄(げんろく)6年生まれ。2代千宗守の子。武者小路(むしゃのこうじ)千家3代家元。手造り茶碗(ちゃわん)などを得意とし,利休より伝来の楽(らく)茶碗「木守(きまもり)」の写しをつくり,本歌(原作)を讃岐(さぬき)高松藩松平家におくった。延享2年3月28日死去。53歳。号は真伯,静々斎,静斎。

千宗守(9代) せん-そうしゅ

1889-1953 大正-昭和時代の茶道家。
明治22年10月8日生まれ。8代千宗守の養子。武者小路(むしゃのこうじ)千家9代家元。茶道の近代化,普及につとめた。機関誌「武者小路」を主宰。昭和28年7月21日死去。63歳。京都出身。東京帝大卒。旧姓は久田。号は聴松,愈好斎(ゆこうさい)。著作に「茶道妙境」「茶道風与思記」など。

千宗守(2代) せん-そうしゅ

1658-1708 江戸時代前期の茶人。
万治(まんじ)元年生まれ。初代千宗守の子。武者小路(むしゃのこうじ)千家2代家元。讃岐(さぬき)高松藩松平家につかえる。近衛家煕(このえ-いえひろ)のもとにも出入りした。以後代々高松藩につかえた。宝永5年閏(うるう)1月22日死去。51歳。号は文叔(ぶんしゆく)。

千宗守(8代) せん-そうしゅ

1848-1898 幕末-明治時代の茶道家。
嘉永(かえい)元年生まれ。表千家10代千宗左の次男。7代千宗守の養子。武者小路(むしゃのこうじ)千家8代家元。嘉永6年の大火でやけた屋敷の復興につとめた。能書家としても知られた。明治31年12月12日死去。51歳。号は一叟,一指斎。

千宗守(7代) せん-そうしゅ

1830-1891 江戸時代後期の茶人。
天保(てんぽう)元年生まれ。表千家10代千宗左の弟。6代千宗守の養子。武者小路(むしゃのこうじ)千家7代家元。家督相続後失明したため6代宗守夫人の宗栄が家元職を代行した。明治24年4月14日死去。62歳。本姓は久田。号は全道,以心斎。

千宗守(5代) せん-そうしゅ

1763-1838 江戸時代後期の茶人。
宝暦13年生まれ。4代千宗守の養子。武者小路(むしゃのこうじ)千家5代家元。火災にあった一方庵を四畳半の茶室にたてなおし,半宝庵と名づけた。天保(てんぽう)9年4月16日死去。76歳。本姓は川越。号は休翁,一啜斎(いっとつさい)。

千宗守(6代) せん-そうしゅ

1795-1835 江戸時代後期の茶人。
寛政7年生まれ。裏千家9代千宗室の3男。5代千宗守の養子。武者小路(むしゃのこうじ)千家6代家元をつぐが,天保(てんぽう)6年1月22日養父にさきだって死去。41歳。初名は宗什。号は仁翁(にんおう),好々斎(こうこうさい)。

千宗守 せんの-そうしゅ

⇒せん-そうしゅ

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367日誕生日大事典 「千宗守」の解説

千 宗守(武者小路千家10代目) (せん そうしゅ)

生年月日:1913年4月21日
昭和時代;平成時代の茶道家
1999年没

千 宗守(武者小路千家9代目) (せん そうしゅ)

生年月日:1889年10月8日
大正時代;昭和時代の茶道家
1953年没

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