南北問題ということばを初めて使ったのは、1959年イギリスのロイズ銀行(現ロイズTSB銀行)会長オリバー・フランクスであるといわれている。その意味するところは、第二次世界大戦後十数年たった時点で、世界の動向における中心問題は、もはや資本主義国家群と社会主義国家群の対立をさす東西問題ではなくて、北の富裕な先進工業国と南の貧困な開発途上国との経済的格差を中心とする南北問題である、ということであった。しかし1960年代に入って東西間の緊張が緩和され、南北問題がクローズアップされたものの、1990年代初めのソ連崩壊による東西対決の終結までは、南北問題は東西問題と無縁ではなく、東西両陣営が南の諸国を自国の世界戦略の一環として利用し、自己の陣営に引き入れようとすることなどによって、複雑に絡み合っていた。
[相原 光]
第二次世界大戦後、ヨーロッパ諸国の植民地であったアジア、アフリカ、ラテンアメリカの各国が「政治的独立」を果たし、国際政治の舞台におけるこれら南の諸国の発言権が高まってきたのであるが、南北の経済的格差は、縮小するどころか拡大し、南は「経済的独立」にはほど遠い状態に置かれていた。そして南側諸国は、この経済的格差の解消は戦後の国際経済秩序の構造的改革を通じてしか実現しないと考えていた。
これに対し、北側の先進資本主義国、とくにアメリカは基本的には自由無差別な市場経済メカニズムに基づく国際経済秩序が正当なシステムであり、またこれはすでに効果的に機能しており、変革の必要がないという立場にたっていた。このように基本的に対立した考え方を基礎として南北が変化していく環境のなかで、力関係も変化しながら、さまざまな交渉を重ねてきているのが現状である。
[相原 光]
第二次世界大戦後の途上国の大半が先進国に食糧、嗜好(しこう)品、工業用原料を供給し、先進国の工業品に市場を提供するという形で、先進国主導の国際分業体制に組み込まれていた。ほとんどが農業国でありながら自国民に十分な主食穀物を供給できず、一つ二つの工業用原料、たとえば麻、ゴムのような農産物の生産に特化(専門化)するというモノカルチュア(単一作物栽培)経済となっていた。「経済的独立」を果たし、南北格差を解消するためには、途上国はこのモノカルチュア経済を脱却し、経済的に多様化――工業化あるいは近代化――する必要があった。しかし、多様化のための設備・食糧を輸入するためには外貨が必要であり、その外貨を獲得するためには伝統的一次産品の輸出に頼らなければならないというディレンマに置かれた。しかしこの一次産品の貿易は長期的にみて、不利な傾向をもっている(一次産品問題)。その理由には、一次産品に対する先進国の需要の伸びが低く、先進国側で農業保護政策が行われているということ、また一次産品の供給は価格の変化に対し硬直的であり、価格が変化してもすぐに生産を調整できないものが多いことなどがあげられる。さらにこれに需要の伸びの低さが加わって、工業品に対する一次産品の相対価格が不利になるように作用するのである。一次産品の輸出は工業国の景気変動の影響を受けて不安定で、これが開発計画や他の産業部門へ波及し、経済的、社会的に望ましくない影響を与える。
以上のような一次産品経済の長期的停滞や不安定性を脱却するためには、途上国は輸出構造および経済構造の多様化、高度化を図る必要がある。工業化を通じた輸出の多様化もその線に沿ったものだが、先進国の政策がそれに不利に作用する傾向がある。第二次世界大戦後のガット(GATT、関税および貿易に関する一般協定。世界貿易機関=WTOの前身)を中心とした関税引下げは、先進国にとって関心の高い資本集約的商品を中心に行われ、途上国の主要輸出工業品である繊維、衣類、履物、スポーツ用品などの労働集約的商品の関税は、比較的高い水準のままであった。
さらに、輸入制限、輸出自主規制、輸入課徴金(かちょうきん)、ダンピング防止税などが、途上国からの工業品の輸出を規制している。たとえば繊維製品は労働集約的で、また大規模な経済を必要とせず、単純な技術で生産できる。しかし同じ繊維部門が先進国でも重要な割合を占めており、さらに地域的に集中している場合が多い。1962年にガットの場で綿製品についての輸入割当の交渉が行われてから、その範囲を人造繊維、ウールと広げ、多角的繊維協定にまで拡大された。
以上の困難を克服するために、途上国は一次産品の輸出に関しては、先進国の保護政策の撤廃、価格・所得の安定のための国際商品協定の制定、補償融資の実施を要求。また工業品については、工業化のための国内産業保護の権利、技術移転の要求、製品に対する先進国市場へのアクセスの改善、途上国の製品輸出に対する特恵制度などの要求を行った。
途上国は北へ圧力をかけるために1964年に77か国グループ(G77)を結成し、北との交渉のための南側の政策調整を行った。また事務局をもった国連貿易開発会議(UNCTAD(アンクタッド))を設立し、これが南の意見の統一に貢献した。UNCTADの成果としては、特恵制度の実現、オイル・ショック時の資源ナショナリズムの圧力を利用した一次産品共通基金(一次産品の価格をあらかじめ定めた範囲内に抑えるための緩衝在庫を含む国際商品協定のため、また途上国における一次産品の研究、マーケティングのための基金。発効は大幅に遅れて1989年6月)の設置があげられる。ただし両者とも途上国側が当初要求したものよりも規模、適用品目の範囲が狭い。なお1980年代以降の先進国の長期的停滞(国内問題優先志向)、冷戦の終結という事態のなかで、国連機関に対する財政的負担への不満もあり、UNCTADに対する風当りも強いが、途上国に関する調査・研究、技術指導やアドバイスをする機能は重視されている。
[相原 光]
1970年代後半から南の北に対する強い態度が弱まり始めた。それは世界不況の深刻化とともにおこった南の国の間の分極化、南南格差の顕在化による。一方におけるNIES(ニーズ)(新興工業経済地域)の台頭、継続的な成長、他方における石油輸出国と非石油輸出国、後発開発途上国(LDC)との格差の拡大である。いわゆる南南問題の出現である。
1980年代の10年間、アジアNIESを除いて途上国は経済の停滞、生活水準の低下を経験し、「失われた十年」といわれた。また国連開発計画(UNDP)の「人間開発報告書1996」によると、先進国の経済成長が続くなか、途上国の多くは10年前よりも経済的に後退。富裕と貧困の二極化が世界的に広がっている。この報告では1人当り国民所得が1980年代に比べて後退したのは先進国では3か国だけであるのに対し、途上国では70か国が1960年代よりも低くなっている。世界全体の国民総生産(GNP)は1975~1985年の10年で約4割増加したが、その恩恵を受けたのは一部で、貧しい人々の数は逆に増加した。富裕層と貧困層、先進国と途上国の経済格差がさらに悪化していると分析している。
UNCTADによると、途上国のなかでも後発開発途上国(LDC)とよばれる国々の国内総生産の成長率は低い数値にとどまっており、1990年代以降はますます悪化している。LDC諸国は世界全体で、1980年代は42か国であったのが、1996年には48か国、人口約6億人となり、2009年には49か国、約7億人となっている。
[相原 光]
近年開発による環境破壊対策が焦眉の急の問題となっている。しかし従来の開発方式から生まれた地球の温暖化、砂漠化、海洋汚染による生態系への悪影響をいかに防止するかについては、南北間では激しい(先進国間でも)対立がある。
途上国は地球温暖化の原因の一つであるCO2濃度の増加は産業革命以降、先進国が工業化や森林伐採を進めてきた結果であると主張、南北間の貧富格差が解消されないまま、一方的に環境保護を押し付ける先進国に対し反発している。インドや中国は、「CO2排出量を人口1人当り」で比較することを主張。インドの1人当りの年間CO2排出量(炭素重量に換算)は0.19トン。これを1とすれば、中国は2.7倍、日本は11.8倍、ヨーロッパ平均は13.6倍、アメリカは30.5倍(1988)であるという主張である。
途上国では人口増加とそれに伴う貧困、飢餓との悪循環が、さまざまな環境問題を引き起こしている。都市部への人口集中→スラム街の膨張→上下水道などの都市基盤整備(インフラ整備)の遅れ、生活排水による水質汚濁、ごみの放置、これら劣悪な生活環境による疫病の流行などがそれである。また、農村地帯では新たな開墾地を求めて森林の伐採→保水能力の喪失→洪水の危険増加など、貧困と環境悪化との悪循環の連鎖がみられる。環境の悪化を防ぐためには貧困をもたらす原因そのものに迫らなければならない。
このような場合、ある意味では開発が環境の改善と同一である。スラムの汚水処理、大気汚染除去、ごみ処理、土壌流出や洪水の防止などは開発の一部であり、インフラ投資である。この意味では開発と環境はコインの両面ということになる。
1972年国際的な環境政策を推進するため国連環境計画(UNEP)が設立され、1987年までの活動で、環境破壊を伴わない、環境保護とのバランスがとれた「持続可能な開発」(生態学的、経済的、社会的基盤を破壊したり傷めない開発)という概念が呈示されたが、その実現のためには、先進国の技術、資金面での途上国への援助(政府機関だけでなく企業、非政府組織NGOを含む)が重要となろう。
[相原 光]
1990年代に入り、経済開発の遅れが、教育などの人的資源の遅れと関連していることが注目されるようになった。国連開発計画(UNDP)の「人間開発報告書1995」は、地球規模の飢餓や民族紛争などを解決するには、人間に焦点をあてた開発が必要なことを強調。具体的には初等教育や公衆衛生、家族計画などの「人間優先分野」の重要性を指摘している。しかし途上国自身は、わずかな予算しか人間優先分野に振り向けていないし、先進国のODA(政府開発援助)もおもに大規模建設プロジェクトといった産業基盤の整備などに向けられ、この分野への援助は10%にも満たない。また途上国の軍事費が人間優先の開発を妨げていることも指摘されている。
[相原 光]
『国連貿易開発会議編、外務省訳『新しい貿易政策を求めて――プレビッシュ報告』(1964・国際日本協会)』▽『国連貿易開発会議編、正井正夫訳『新しい開発戦略を求めて――新プレビッシュ報告』(1968・国際日本協会)』▽『G・ミュルダール著、板垣与一監訳『アジアのドラマ』全2冊(1974・東洋経済新報社)』▽『川田侃著『南北問題』(1977・東京大学出版会)』▽『W・ブラント編、森治樹監訳『南と北――生存のための戦略』(1980・日本経済新聞社)』▽『本山美彦著『南と北 崩れ行く第三世界』(1991・ちくまライブラリー)』▽『谷口誠著『南北問題――解決への道』(1993・サイマル出版会)』▽『川田侃著『川田侃・国際学4 南北問題研究』(1997・東京書籍)』▽『ジェラルド・K・ヘライナー著、稲葉守満ほか監訳『南北問題の政治経済学――グローバル経済と発展途上国』(1998・学文社)』▽『本間雅美著『世界銀行と南北問題』(2000・同文舘出版)』▽『相良邦夫著『新・南北問題――地球温暖化からみた二十一世紀の構図』(2000・藤原書店)』▽『本多健吉著『世界経済システムと南北関係』(2001・新評論)』▽『谷口誠著『21世紀の南北問題――グローバル化時代の挑戦』(2001・早稲田大学出版部)』
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一般的に豊かな国(先進工業国)は北半球に,貧しい国(開発途上国)は南半球に位置している。そのため,これら二つの国家集団間に横たわる巨大な経済格差から生じるさまざまな社会的・政治的な諸矛盾,緊張関係が南北問題と総称されている。南北問題は,60年代初めの国際社会の拡大,変化と関係している。東南アジア,中近東,アフリカ,ラテンアメリカなどの旧植民地諸国の独立,先進国から開発途上国への経済援助問題,中ソ対立,米ソの接近などの政治的な動きによってクローズアップされるようになった。64年3月には国連貿易開発会議(UNCTAD)が開かれ,77カ国グループが結成されるなど,南北問題は世界的な課題として認識されるようになった。70年代に入ると,南側諸国は資源主権の確立,工業化など新国際経済秩序(NIEO)の形成を訴えるようになる。しかしNIEOの推進は世界的な不況を招き,80年代以降,先進諸国は不況から脱したものの,開発途上諸国は新興工業経済地域(NIES)と低所得国の格差を生み出したり,債務問題や環境と開発の問題など新たな問題に直面している。
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(室井義雄 専修大学教授 / 2007年)
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…さらには下部構造の構造変化も対象とされ,柔軟で多元的な発展経路をもつ史的唯物論の確立を目標に,経済人類学が位置づけられる。 1970年代に入って第三世界の経済開発をめぐる問題が深刻さを増し,いわゆる南北問題が顕著となったために,非市場社会をも視界に入れる経済人類学には多くの期待が寄せられることになった。上記の経済人類学はおのおのの方法・観点に基づき,こうした問題にとりくむことになるが,それらとは別に,南北問題の解明を〈マルクスの再発見〉に求める経済人類学の新しい潮流も現れた。…
…蓄積の乏しさのゆえに,需要・産出の両面において成長を実現しがたいとする袋小路論である。 先進国と低開発国の間の格差が,南北問題と呼ばれる世界的課題として重みを増すなかで,北側諸国や国際機関による開発援助が活発になった。その理由として,しばしば人道主義や世界共同体論があげられるが,軍事的・世界戦略的動機によるものが少なくない。…
…また国連は,南アフリカにおける人種差別(アパルトヘイト)問題など,人権侵害に関するさまざまな事件を取り上げて,その解決のために積極的に取り組んできており,また難民の救済などの現地活動を行っている。(3)経済開発・援助 国連が1960~70年代以降,大きな課題として対応を迫られているものに,〈南北問題〉がある。戦後,アジア,アフリカ,米州地域の植民地住民が自決権を行使して独立を達成したが,これら新興独立国のかかえる共通の問題は,独立はしたものの,経済的自立がともなわず,植民地時代の経済体制から脱却できないまま先進工業国との経済格差がますます広がるという厳しい現実であった。…
…このため,これら途上国航路では,外国船の積取シェアが著しく狭められ,この結果一部の伝統海運国の船会社は一部定期航路の経営放棄を余儀なくされている。発展途上国の国旗差別行動は,これまで世界海運において伝統的に維持されてきた〈海運自由の原則〉をまっこうから否定するものであるだけに,先進海運国との間にたえず摩擦を生じ,海運における南北問題の主要な要因になっている。【織田 政夫】。…
…NIEO(ニエオ)ともいう。第2次大戦後に南北問題が表面化して以来,国連等の場でさまざまな努力が払われてきたにもかかわらず事態がいっこうに改善されないことから,南側諸国の関心はしだいに援助や貿易という個々の問題から経済体制自体へと移行した。現行の国際経済秩序はこれをつくり出した先進諸国にとって有利で,南北格差を固定化するものであり,南の貧困を解決するためにはこの秩序自体を根本的に変革することが不可欠である,というのである。…
…発展途上国の主張する国際コミュニケーションの新しい枠組み。1970年代に登場した概念で,その当時までの国際的な情報流通には西側先進国と南側発展途上国との間に構造的な不均衡,不平等および一方的な依存従属関係があり(南北問題),これを独立国家間の主権の平等を原則として,より均衡のとれた公正で相互依存的な枠組みに改造する必要があるというもの。新国際情報秩序と称されることもある。…
…1980年以降は機械類の内容の変化が中心になり,この分類では構造変化が顕著に現れない。
[南北問題と貿易]
今日〈北〉の先進諸国と〈南〉の発展途上国との間の所得水準・生活水準の大きな格差は,世界的な規模での分配問題を引き起こしている。北と南の間の貿易のあり方は,この南北問題の原因の一つであると同時に,それを解決していくための有効な手段にもなる。…
※「南北問題」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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送り状。船荷証券,海上保険証券などとともに重要な船積み書類の一つで,売買契約の条件を履行したことを売主が買主に証明した書類。取引貨物の明細書ならびに計算書で,手形金額,保険価額算定の基礎となり,輸入貨...
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