なん‐ざん【南山】
[1] 〘名〙
①
南方にある山。特に「
陶潜‐飲酒詩」の「採
レ菊東籬下、悠然見
二南山
一」より、
世俗を離れた
すまいから望む山をいう。
※菅家文草(900頃)三・路遇白頭翁「三間茅屋南山下、不レ農不レ商雲霧中」
③ 的をかけるために
弓場の正面に設ける山形の
盛り土。垜
(あずち)。〔
俚言集覧(1797頃)〕
[2]
[一] 吉野山をいう。また、南朝の意に用いる。
※古事記(712)上「天の時未だ臻(いた)らずして、南山に蝉のごとく蛻(ぬ)け」
※性霊集‐一(835頃)入山興「南山松石、看不レ厭、南嶽清流、憐不レ已」
※雑俳・柳多留‐一〇六(1829)「南山の和尚雨夜に品さだめ」
[四] 中国の長安(現在の陝西省西安市)の東南にある
終南山の異称。
※菅家文草(900頃)一・九日侍宴、賦山人献茱萸杖「南山出処荷衣壊、北闕来時菊酒逢」 〔詩経‐
小雅・南山有台〕
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デジタル大辞泉
「南山」の意味・読み・例文・類語
なん‐ざん【南山】

1 南の方角にある山。
2 ⇒垜
3 《「南山の寿」から》長寿を祝うこと。

高野山。比叡山を北嶺とよぶのに対する。→北嶺
中国の終南山の異称。
中国遼寧省金州城の南にある小丘。日露戦争の激戦地。
大韓民国ソウル市の山。南山公園にある。高さ265メートル。ナムサン。
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南山
みなみやま
藤原町域のうち旧三依村六大字(横川・上三依・中三依・芹沢・独鈷沢・五十里)から現福島県南会津郡田島町を中心に、同県会津若松市にかけての広い地方をさす。中世には陸奥国長江庄の一部で、奥州合戦で源頼朝方に参陣した長沼宗政に与えられたと考えられ、寛喜二年(一二三〇)八月一三日、下野国長沼庄などとともに「陸奥国南山」が宗政から嫡子時宗へ譲られた(「長沼宗政譲状」皆川文書)。以後室町時代まで同氏の所領として伝えられたと思われる。応永一六年(一四〇九)五月四日、紀州熊野の御師良湛は「奥州・下野国南山」の檀那職を三貫五〇〇文で中院浄忍坊に売渡している(「良湛檀那職売券」潮崎稜威主文書)。
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普及版 字通
「南山」の読み・字形・画数・意味
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南山
なんざん
14~15世紀に沖縄本島南部に成立した王権。中国の史書は山南と記す。起源は伝承に彩られるが,14世紀後半に島尻大里城(おおざとぐすく)(現,沖縄県糸満市)を拠点に島尻一帯を支配。中山に続き,1380年承察度(しょうさっと)が明の冊封をうけ琉球国山南王となり,以後盛んに進貢貿易を展開。他魯毎(たろまい)王のとき中山王尚巴志(しょうはし)に攻められ1429年滅亡。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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