南日(読み)なんにち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「南日」の意味・わかりやすい解説

南日
なんにち / ナムイル
(1914―1976)

北朝鮮の旧ソ連軍人政治家。咸鏡(かんきょう)北道出身。早くからソ連に入り、1939年タシケント大学卒業。1942年ソ連軍大尉となる。解放後、帰国して教育、訓練従事。1950年人民軍総参謀長として朝鮮戦争従軍。1951~1953年朝鮮休戦会談の首席代表として活躍して大将外相に就任し、1954年ジュネーブ会議で朝鮮首席代表として国際的に著名となる。1957年副首相兼外相。1960年国家建設委員長、1966年鉄道相、1972年副総理となったが、1976年3月事故により不慮の死を遂げた。金正日(きんしょうにち/キムジョンイル)派による暗殺だったという説もある。

玉城 素]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「南日」の意味・わかりやすい解説

南日【なんにち】

朝鮮民主主義人民共和国の軍人,政治家。中国東北で育ち,1942年ソ連に留学,1945年帰国。朝鮮戦争中の1950年人民軍副参謀となる。1951年休戦会談の首席代表として活躍。1953年朴憲永追放の後,外相。1954年ジュネーブ会談出席。この年に〈在日朝鮮人は共和国公民〉とする南日声明出し,在日朝鮮人運動に路線転換をもたらす。1959年在日朝鮮人迎接委員会委員,1972年副首相。1976年事故死。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版 「南日」の意味・わかりやすい解説

なんにち【南日 Nam Il】

1914‐76
朝鮮民主主義人民共和国の政治家。咸鏡北道出身。1939年ソ連タシケント師範大卒。解放後帰国して教育行政等に従事したが,朝鮮戦争中の50年11月人民軍総参謀長となり,停戦委員会首席代表として53年7月停戦協定に署名。53年3月には朴憲永に代わって外務相となり(‐1959),54年のジュネーブ会議では首席代表を務めた。同年〈在日朝鮮人は共和国公民〉と明言したいわゆる〈南日声明〉は,在日朝鮮人運動の路線転換の大きな契機となった。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南日」の意味・わかりやすい解説

南日
なんにち
Nam Il

[生]1914. 咸鏡北道
[没]1976.3.7.
北朝鮮の軍人,政治家。ソ連タシケント師範大学卒業。第2次世界大戦中,ソ連陸軍大尉として独ソ戦に参加。 1945年帰国し,朝鮮戦争中は人民軍総参謀長であった。 53年人民軍大将,外相。朝鮮休戦会談では北朝鮮=中国側首席代表,54年4月のジュネーブ会議の首席代表として活躍。 56年党中央委員会常務委員,57年副首相兼外相,61年国会計画委員会委員長などを歴任。 70年政治委員会からはずされ,中央委員。 76年事故死。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

ダモクレスの剣

常に身に迫る一触即発の危険な状態をいう。シラクサの僭主ディオニュシオス1世の廷臣ダモクレスが王者の幸福をたたえたので,王がある宴席でダモクレスを王座につかせ,その頭上に毛髪1本で抜き身の剣をつるし,王...

ダモクレスの剣の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android