南部忠平(読み)ナンブチュウヘイ

デジタル大辞泉 「南部忠平」の意味・読み・例文・類語

なんぶ‐ちゅうへい【南部忠平】

[1904~1997]陸上競技選手。北海道の生まれ。昭和6年(1931)走り幅跳びで7メートル98の世界新記録樹立翌年ロサンゼルスオリンピックでは三段跳び優勝

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「南部忠平」の解説

南部 忠平
ナンブ チュウヘイ

昭和・平成期の三段跳び選手 鳥取女子短期大学名誉学長;京都産業大学名誉教授;グラウンドゴルフ協会名誉会長。



生年
明治37(1904)年5月24日

没年
平成9(1997)年7月23日

出生地
北海道札幌市南3条西1丁目

学歴〔年〕
早稲田大学専門部商科〔昭和4年〕卒

主な受賞名〔年〕
大阪市民文化賞〔昭和35年〕,紫綬褒章〔昭和36年〕,北海道開発功労賞〔昭和44年〕,オリンピック功労章銀賞(IOC)〔昭和58年〕,勲三等瑞宝章〔平成5年〕,大阪スポーツ賞(特別賞)〔平成9年〕

経歴
中学時代、陸上競技で全国優勝し、アムステルダム五輪三段跳びで4位。昭和6年走り幅跳びで7メートル98の世界記録を樹立。この記録は45年まで日本記録として残っていた。7年のロス五輪では三段跳びで15メートル72の世界新記録で金メダルを獲得。毎日新聞運動部長を最後に34年定年退職。のち、東京五輪陸上監督、日本陸連強化委員長の他、京都産業大学教授、鳥取女子短期大学学長を務めた。58年IOCのオリンピック功労章銀賞を受賞。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「南部忠平」の意味・わかりやすい解説

南部忠平【なんぶちゅうへい】

陸上競技選手。北海道出身。1928年早稲田大学4年生のときアムステルダムオリンピック三段跳びで4位入賞,金メダルの織田幹雄とともに早稲田大学陸上部黄金時代を築いた。1932年ロサンゼルスオリンピックでは走幅跳びは3位だったが,三段跳びに15.77mの世界新記録で優勝,走幅跳びは前年に神宮競技場で7.98mの世界新記録を樹立しており,同記録は1970年まで日本記録であった。引退後,鳥取女子短大学長などを歴任
→関連項目田島直人

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「南部忠平」の意味・わかりやすい解説

南部忠平 (なんぶちゅうへい)
生没年:1904-97(明治37-平成9)

陸上競技選手。北海道出身。インター・ミドル大会で一人で30数点を獲得して優勝するなど,中学時代から跳躍競技天分を発揮した。早稲田大学専門部に進学織田幹雄とともに早大陸上競技黄金時代を築いた。1931年に神宮競技場で走幅跳びに7.98mの世界新記録を樹立,同記録は70年に山田宏臣が破るまで日本記録であった。1932年オリンピック・ロサンゼルス大会では走幅跳びは足を痛めて第3位だったが,三段跳びに15.72mの世界新記録で優勝,跳躍日本の名を世界に発揚した。32年毎日新聞大阪本社に入社,59年退社後,北海道女子短大,京都産業大教授,鳥取女子短大学長を歴任。《私のスポーツ人生》の著書がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南部忠平」の意味・わかりやすい解説

南部忠平
なんぶちゅうへい

[生]1904.5.24. 北海道
[没]1997.7.23. 大阪,吹田
陸上競技選手。早稲田大学在学中から多くの競技大会で活躍した。1928年アムステルダム・オリンピック競技大会で三段跳び 4位,1932年のロサンゼルス・オリンピック競技大会では 15.72mの世界新記録で三段跳びに優勝,走り幅跳びでも 3位に入賞した。1931年の走り幅跳びの記録 7.98m(世界新)は,39年間日本記録として破られることがなかった。1961年紫綬褒章,1983年国際オリンピック委員会 IOCのオリンピック・オーダー銀章,1993年勲三等瑞宝章受章

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「南部忠平」の意味・わかりやすい解説

南部忠平
なんぶちゅうへい
(1904―1997)

陸上競技の名選手。北海道札幌市出身。早稲田(わせだ)大学卒業。1928年(昭和3)のオリンピック・アムステルダム大会の三段跳びで4位入賞。32年のオリンピック・ロサンゼルス大会では、同種目に15メートル72の世界新記録を跳んで優勝。走幅跳びでも3位に入賞した。天才的なばねの持ち主で、1931年に走幅跳びで7メートル98の日本記録を出し、ヘルメス杯を受けたが、どうした手違いか、本人には通知がなく63年(昭和38)に本人が知って改めて受け取ることになったというエピソードがある。なお、この日本記録は70年まで破られなかった。日本陸上競技連盟役員のほか、鳥取女子短期大学(現鳥取短期大学)学長を務めた。61年紫綬(しじゅ)褒章を受章。

[石井恒男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「南部忠平」の解説

南部忠平 なんぶ-ちゅうへい

1904-1997 昭和-平成時代の陸上競技選手,教育者。
明治37年5月24日生まれ。昭和3年アムステルダム五輪の三段跳びで4位。6年走り幅跳びで7m98cmの世界新記録。7年ロス五輪の三段跳びで15m72cmの世界新記録で金メダル。走り幅跳びで銅メダル。毎日新聞運動部長をへて,鳥取女子短大学長などをつとめた。平成9年7月23日死去。93歳。北海道出身。早大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「南部忠平」の解説

南部 忠平 (なんぶ ちゅうへい)

生年月日:1904年5月24日
昭和時代;平成時代の陸上競技選手;教育者
1997年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報