全集,叢書,文庫などに編入されず,単独で刊行される書物。中国渡来のことば。もともと出版物の本来の形式だが,諸子百家など大部のものは収蔵に困難なので,叢書の形にまとめたものが歓迎された。ゆえに単行本は〈叢書〉の対語であるが,近年日本では〈雑誌〉の対語として便宜的に用いられることがある(本来は〈書籍〉)。印刷,製本技術の制約が大きかった時代,ページ数の多い単行本は分冊形式で刊行された。《好色一代男》(1682)は8分冊,《好色一代女》(1686)は6分冊,《南総里見八犬伝》(1814-42)は106分冊,《偐紫(にせむらさき)田舎源氏》(1829-42)にいたっては,172分冊に達している。これらの人気作品でも,初版は200~300部前後,1000部をこえればベストセラーであった。元禄時代(1688-1704)の仮名草子の値段は,1冊5分というところである。1804年(文化1)には分冊を数冊まとめて〈合巻〉とする方式が行われた。装丁も美しくなり,値段も1~1.5匁となった。
明治初期から中期にかけては,洋式印刷および製本術の導入にともない,ボール表紙本が多数刊行された。判型は現在のB6判程度で,70~130ページぐらい,値段は60~70銭であった。中村正直の《西国立志編》(1870-71)は当初は和本11冊で出たが,77年には洋本全1巻に合本されている。明治後期になると,装丁に一家言をもった夏目漱石の《吾輩は猫である》(1905-07)のほか,森鷗外の《即興詩人》(1902),泉鏡花の《高野聖》(1908)など,意匠をこらした小説本が刊行された。尾崎紅葉《金色夜叉》(1898-1903)には,袋状の箱がついている。田山花袋《田舎教師》(1909)は蓋つきのケース入りで,このころから単行本には凝ったデザインが多くあらわれている。また,雑誌形式の叢書が《新著百種》(1889-91)ほか多数刊行され,《一葉全集》(1897)の二冊本(1912),さらにその縮刷本(1936)というように,売行きの良い本を異なったエディションで出版することも定着した。昭和初期には1冊1円の全集本が多数出版され,単行本は値を下げざるをえなくされた。同時に発生した文庫本も,単行本を購入することができない読者に投じた。
西欧では,早くから単行本の出版形式が確立しているが,18世紀末から19世紀にかけて大衆読者が出現したため,人気小説はディケンズの作品のように分冊で出版することが広く行われた。また,短期間に古典や人気作品を廉価版の叢書,ポケットブックなどに編入する習慣も,そのころから生じている。
執筆者:紀田 順一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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