映画女優。横浜市生まれ。姉の夫、熊谷久虎(くまがいひさとら)監督に推されて1935年(昭和10)日活入社。山中貞雄(さだお)監督の『河内山宗俊(こうちやまそうしゅん)』(1936)、日独合作映画『新しき土』(1937)などでその美貌(びぼう)を注目される。第二次世界大戦後、黒澤明監督『わが青春に悔なし』(1946)、吉村公三郎監督『安城家の舞踏会』(1947)、今井正監督『青い山脈』(1949)で知性的なヒロインを好演、トップスターの座を確保する。そして小津安二郎(おづやすじろう)監督の傑作『晩春』(1949)、『麦秋』(1951)等で彼女の「永遠の処女」の神話的イメージが決定づけられた。その後も小津作品などに出演したが、1963年以降映画界を自然引退。
[佐伯知紀]
『佐藤忠男監修『永遠のマドンナ――原節子のすべて』(1986・出版協同社)』▽『千葉伸夫著『原節子伝説』(1995・翔泳社)』▽『四方田犬彦著『日本の女優』(2000・岩波書店)』▽『千葉伸夫著『原節子――伝説の女優』(2001・平凡社)』▽『片岡義男著『彼女が演じた役――原節子の戦後主演作を見て考える』(ハヤカワ文庫)』
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(2015-11-27)
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…【保昌 正夫】
[映画]
今井正監督が〈健康で明るい青春映画仕立て〉(岩崎昶)で1949年に映画化。〈大胆な〉海水浴シーンにおける新子役の新人杉葉子と,新しい思想の持主である島崎雪子役の原節子の毅然(きぜん)とした美しさが,戦後の〈民主主義映画〉の中でも際だった解放感を与えて大ヒット(配収1億2000万円)。挿入曲《恋のアマリリス》や,女学生たちが自転車に乗ってさわやかに走るシーンに流れる同名主題歌も(今井正監督はこの主題歌を毛ぎらいしていたといわれるが)大流行した。…
…脚本は監督自身と名コンビの野田高梧,撮影は《戸田家の兄妹》(1941)以来常連の厚田雄春,音楽はこの作品から常連になる斎藤高順。地方から上京した老夫婦(笠智衆,東山千栄子)が血縁の子どもたちの家に快く迎えられず,逆に戦死した息子の嫁(原節子)にもてなされるという題材は,アメリカ映画《明日は来らず》(レオ・マッケリー監督,1937)に想を得たものといわれるが,召集中の小津はその映画を見ておらず,それは野田高梧の脚本に影響を与えたにとどまる。老境を迎えた両親と壮年に達した子どもたちとの関係はむしろ《戸田家の兄妹》の戦後版といえよう(もっとも,《戸田家の兄妹》そのものもヘンリー・キング監督のアメリカ映画《オーバー・ゼ・ヒル》(1931)の翻案といわれているのだが……)。…
…同期の小津安二郎ほどの厳密さはないが,固定画面を多用し,日本建築の廊下や縁側にたたずむ人物たちから抑制の利いた抒情性を引き出したその空間感覚によって世界的に評価されるに至る。《妻よ薔薇のやうに》(1935)での女性像(千葉早智子)の鮮やかさは,《鶴八鶴次郎》(1938)の山田五十鈴,《めし》(1951)の原節子などにうけつがれ,《稲妻》(1952)に始まる高峰秀子とのコンビを決定的なものにする。林芙美子原作の《浮雲》(1955。…
※「原節子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...
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