古典派経済学(略して古典派あるいは古典学派ともいう)とは一般に,18世紀の最後の四半世紀から19世紀の前半にかけイギリスで隆盛をみる,アダム・スミス,リカード,マルサス,J.S.ミルを主たる担い手とする経済学の流れをさしている。D.ヒュームらアダム・スミスの先行者や19世紀のJ.ミル,J.R.マカロック,R.トレンズ,ド・クインシー,S.ベーリー,N.W.シーニアー,S.M.ロングフィールドらをどう扱うか,またJ.S.ミルに後続するフォーセットHenry Fawcett(1833-84)やケアンズJohn Elliot Cairnes(1823-75),フランスのセーやシスモンディをどう扱うかについて,多少考え方の相違があるが,おおむねこれらの人たちも含まれる。ただし,もっぱら古典派と新古典派(新古典派経済学)の区別だけを設ける立場からは,マルクスも古典派に含められ,セーの法則を採用する者を古典派とみなすケインズは,ケインズ以前のピグーらも古典派に入れている。ここでは最初にあげた普通の見方に従うことにする。
古典派経済学は,イギリスで農業革命,産業革命にともなって資本主義経済が成立するという歴史的事情を背景に,重商主義や重農主義の学説を批判しつつ成立し,いろいろな展開をみながら経済学の大きな流れとなった。その学説は,一貫して流れる核心部分と,その核心をめぐりつつ変化していった部分からなっている。古典派の核心をなす特徴は,近代社会観,その方法,理論の内容の三つにあった。彼らはひとしく,近代社会は資本家・地主・労働者の3階級からなる商業社会または市場経済であり,それは均衡と発展の自律的メカニズムをもつとし,したがって特別の理由のある場合を除いて,国家が介入しない自由主義の経済政策が望ましいと考えていた。彼らは,この近代社会論を提起するのに,演繹(えんえき)法すなわち種々の前提から理論的に推論する方法をとった。その演繹法は,〈経済学原理〉をめざす体系性をもつとともに,まったくの仮説的演繹法とはちがって,当時の経験主義の哲学,功利主義の哲学,それに一種の唯物史観であるスコットランド歴史主義を背後にもつものであった。理論の内容としては,価値論,分配論,蓄積論をおもな柱とし,価値論では,労働を富・剰余・交換価値の原因または尺度として重視する一方で,長期均衡価格の自然価格を重視した。分配論では,賃金基金説や労賃・利潤対抗論や差額地代論などを用いて労賃・利潤・地代の決定を論じる。蓄積論では,純生産物をふやし貯蓄を行うことで蓄積は進むとするほか,蓄積にともなう分配率の趨勢として利潤率の低下を説いた。一部の主題だけを扱った論者を含めて,このような近代社会観,方法,理論をうけいれている人たちが古典派の経済学者であった。
古典派経済学は,核心では不変であったとしても,その他の点では変容をみせたし,鋭い見解の対立も含んでいた。アダム・スミスは古典派経済学の基礎を築いたが,彼は,社会科学全体のなかで経済学を扱うという広い視野をもち,またいろいろな面でバランスのとれた見解をもっていた。スミスによれば,人間は利己心のほかに〈同感の原理〉をもつ。その同感の原理による是認という営みがいろいろな徳性を自立させる根源であり,〈正義〉もそのような徳性の一つとして自立するが,それは社会存立の不可欠の条件である。近代社会の市民政府は,この正義の確保,つまり人々の生命・身体と財産の保全を任務とする。市民政府の手でその正義さえ実現されれば,あとは各人が利己心に従って自由に行動しながら,〈見えざる手〉つまり市場機構によって調和が実現されるとして,その商業社会の構造と動態を,価値論,分配論,蓄積論などをもって詳論した。ただ彼は,支配労働量は投下労働量より大きいということから剰余の発生の仕組みを説きつつも,価値分解説と価値構成説を統一しなかった。また分配論では,資本家,地主,労働者の利害を調和の関係にたつものとして描いた。産業革命にともなう社会状況をみていたリカードは,スミス経済学の調和的性格を是正しようとするが,マルサスはこれに異論を唱えた。
リカードは,E.ウェストの地代・利潤論,セーの販路説,マルサスの人口論,トレンズの比較生産費説などをとり入れつつ,動態的な分配の基礎定理を築いた。この定理は,社会の進歩につれ地代は増加し利潤率は低下する,地主の利害は社会の他の階級の利害に反する,というものであった。リカードはこの論証に,投下労働価値説による賃金と利潤の相反理論を用いた。商品の相対価値が投下労働量に比例するとすれば,賃金の騰落は利潤だけに影響し商品の相対価値には影響しない。社会の進歩につれて蓄積が進み人口がふえ穀物需要は大きくなるが,そのため劣等地が耕作されて穀物価値が上がり地代は増大する。穀物価値を反映して〈労働の価値〉も上がる。だから利潤率は下がるとされた。ただし彼は,投下労働価値説と,利潤率の均等化によりそれが修正されることを認める修正論との関係については,後者の影響はたかだか6~7%であるということですませた。ホジスキン,J.F.ブレイらリカード理論を労働全収権論に用いる者もあらわれた。
一方,マルサスのリカードへの異論は,支配労働量は投下労働量より大きいというスミス説に戻りつつ,投下労働価値説をすて需給説をとること,利潤の実現には地主の不生産的消費が不可欠であることを説くこと,地主の利害は社会の他の階級の利害と一致することを説くことにみられた。マルサスに相前後してベーリーSamuel Bailey(1791-1870),シーニアーNassau William Senior(1790-1864),ロングフィールドSamuel Mountifort Longfield(1802-84),リードSamuel Read(生没年不詳)や,スクロープGeorge Julius Poulett Scrope(1797-1876)らが,交換価値と効用と需要に力点をおいた説明,利潤の節欲からの説明を展開した。
J.S.ミルは,利潤の原因を労働に求め,労働コストと利潤の対抗論をとり,利潤率低下論をとる点で,リカード経済学を維持していたが,これらを新しい方法的観点から処理するとともに,リカード以後の経済学の見解も吸収発展させた。ミルは帰納→演繹→検証という手続の具体的演繹法を展開し,理論の前提の,私的所有,利己心をもつ個人,市場機構,三大階級の存在といった歴史的条件を明示し,理論の歴史的相対性を示した。理論を静態論と動態論に分け,静態論を生産論,分配論,交換論という順序で展開して,生産の法則は非歴史的であるが,分配の法則は私的所有等の制度的条件に拘束される歴史性をもつとした。交換は分配の一原理であるという位置づけであった。J.S.ミルの方法論はケアンズやJ.N.ケインズ(J.M.ケインズの父)によって,経済学はフォーセットやケアンズらによって継承された。
古典派経済学は,現代の諸経済学がそれを源泉に形成されるという意味で古典的な経済学であった。現代の諸学派は古典派からの脱皮をへて成立した。限界革命後の新古典派,ケインズ学派の場合は,完全雇用均衡であれ不完全雇用均衡であれ,経済学を市場均衡論に集約すること,仮説的演繹法をとること,推論の方法として数学を用いることにおいて,古典派からの変革をとげた。マルクス経済学の場合は,唯物史観と社会主義イデオロギーを導きの糸にして,経済学を市場機構だけでなく内部の階級構造を解明するものと考えること,近代社会の歴史性を示すこと,理論の前提の帰納を重視すること,弁証法という推論の方法をとって社会の全体的関連を示すことにおいて脱皮した。歴史学派は,経済現象は個性的事実の集まりだと考えて,原理的な理論を否定するに至った。現代の経済学は,いずれも古典派の経済学ではないが,古典派を転回軸にするという意味でポスト古典派の経済学であるといえよう。
→経済学説史
執筆者:馬渡 尚憲
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
アダム・スミス、マルサス、リカード、J・B・セー、J・S・ミルら、いわゆる古典学派に属する経済学者によって発展させられた経済学の体系をいう。
[編集部]
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…したがって,経済学説史研究の意義は,現在のところ流行遅れであり,不振である休眠状態の学説に関する研究を継続することにより,そのパラダイムが中心的部分を保持しつつ周辺部分を改善して復活するのを促進し,現代経済理論のフロンティアを前進させるために資することにある。
【古典派経済学】
経済学の歴史的な源泉の一つは哲学の内部における経済的思想であり,アリストテレスの考えによってアクイナスが展開した中世の公正価格論はその代表的なものの一つである。それは競争的市場が存在しない場合に価格をどのように決定すべきかを論ずる規範的理論であり,最近の所得政策,労使間の団体交渉による賃金の決定との関連で,現代的意義をもつといえる。…
…〈資本〉の語は経済学においてさまざまな意味に用いられるが,その用法になんらの統一もないというわけではない。この概念は資本主義経済あるいはその萌芽である経済組織を分析するための概念として発生したものであり,その意味は根本において二つに限定される。資本は第1に,個人にとって所得を得るための手段である資産の蓄積を意味し,第2に,社会にとって生産を行うための要件である実物の蓄積を意味する。日常の用法では,〈資本〉の語は元手,つまり貸付けを通じて利子を獲得するための元金,あるいは営業の成立に必要な資金を指すのが普通である。…
…しかし《資本論》の体系の構成からいうと,このイデオロギーの面が,ネガティブに,裏面になっていて,イギリス古典学派の批判的展開としての経済学が,ポジティブに,表面に,出ている形になっている。
[イギリス古典派経済学]
A.スミスの《国富論》や,D.リカードの《経済学および課税の原理》によって代表されるイギリス古典派経済学は,確立しつつあった資本制商品経済社会の基盤に立って,社会各層の生活の基礎である賃金や利潤,地代などの所得のカテゴリーを,商品価格の構成要素として取り出し,それらの相互関係や運動を,商品の売買(=価格)に働く交換価値法則(労働価値説)によって説明しようとした。こうして資本主義社会の経済的編成とその運動法則を明らかにしようとする経済学の古典的なパラダイムができあがった。…
…元来はA.スミス,D.リカード,J.S.ミルらのイギリス古典派経済学に対して,限界革命以降のA.マーシャルを中心とするA.C.ピグー,D.H.ロバートソンらのケンブリッジ学派の経済学を指す。 古典派(古典学派ともいう)と新古典派(新古典学派ともいう)との基本的な相違は,前者が商品の交換価値(〈価値〉の項参照)はもっぱらその生産に投下された労働価値によって決まるとしたのに対して,後者は価値の由来を生産費とならんで需要側の限界効用に求める点にある。…
…スミス,リカードからイギリス経済学の正統を引くJ.S.ミルの《経済学原理》(1848)は,1871年にミル自身による最後の改訂版として出版されたが,そのころマルクスの《資本論》(1868),ジェボンズの《経済学の理論》(1871),メンガーの《国民経済学原理》(1871)など新しい動向を象徴する著作が現れるようになっていた。それは時代の変化とともに権威を失いつつあった古典学派(古典派経済学)に対する反乱の時代であった。その影響は経済学のさまざまな分野に及んだが,価値の理論の分野では,リカードのあいまいさに対するジェボンズの反発から生じた論争が,商品の価値の決定において生産費と需要の演じる役割をめぐって闘わされた。…
…40年代後半以後の固有思想といっても,唯物史観ひいては世界観全般の基本的視座の確立が先鞭となり,それとほぼ並行して共産主義革命の理論が形成されたのち,経済学の体系がしだいに整うにつれて共産主義理論もさらに具体的に肉付けされるといった,かなり複雑な形成過程の所産である。が,達成された理論的地歩を思想史的に位置づけていうかぎり,マルクスの思想はいわゆる〈三つの源泉〉すなわち,第1にドイツ古典哲学,第2にフランスを中心に台頭した社会主義思想,第3にイギリスで完成された古典派経済学の学問的成果を,一種独特の仕方で総合的に統一したものということができよう。 しかし,マルクスの思想は,近代知の諸成果を単に総括したものではない。…
…彼ほど世俗の利害や党派的な感情に惑わされない人物はまれであったといえよう。 経済学者としてのミルは古典派経済学の完成者と呼ばれ,同時にイギリス社会主義の父とも呼ばれたが,正確にいえば,古典派を頂点まで理解することによって,その限界をも知るに至り,体系を拡張したということである。そのことは彼の《経済学原理》の初版と第3版(1852)との差異に見ることができる。…
※「古典派経済学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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