古浄瑠璃(読み)コジョウルリ

デジタル大辞泉 「古浄瑠璃」の意味・読み・例文・類語

こ‐じょうるり〔‐ジヤウルリ〕【古浄瑠璃】

浄瑠璃のうち、竹本義太夫近松門左衛門と提携して義太夫節を完成する以前の各派の総称。京都の角太夫節嘉太夫かだゆう、大坂の文弥ぶんや播磨はりま、江戸の金平きんぴら外記げき土佐節など。古流。

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精選版 日本国語大辞典 「古浄瑠璃」の意味・読み・例文・類語

こ‐じょうるり‥ジャウルリ【古浄瑠璃】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 竹本義太夫と近松門左衛門の提携以前の浄瑠璃の総称。筋の面白さに重点がおかれ、登場人物の性格や心理描写がなく、演劇的に場面の整理が未熟なのが特徴。近松の「出世景清」(一六八五)以来の当流(とうりゅう)(新浄瑠璃)と対比した名称。六段形式のものが多い。金平(きんぴら)節、文彌(ぶんや)節、播磨節加賀節などの流派がある。古流。〔外題年鑑(1757)〕
  3. 新しく書き下ろした新作の浄瑠璃に対して、既に一度上演したことのある浄瑠璃を、再演に際していう。
    1. [初出の実例]「宝暦三酉年の春より京都に竹本の操芝居興行す。大方大坂の古浄瑠璃なり」(出典:声曲類纂(1839)二)

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改訂新版 世界大百科事典 「古浄瑠璃」の意味・わかりやすい解説

古浄瑠璃 (こじょうるり)

人形浄瑠璃のうち,義太夫節以前に成立した古流派に属する浄瑠璃の総称。御曹司牛若丸と矢矧(やはぎ)宿の長者の娘浄瑠璃御前との恋物語の語り物は,室町中期ころより語られていたが,この語り物はその娘の名をとって浄瑠璃と呼ばれた(《浄瑠璃物語》)。江戸時代の初頭には三味線,人形操りと提携し,またさまざまな物語を同様な曲節で語るようになり,浄瑠璃という語は広く語り物の種類をあらわす名称となった。それ以後,浄瑠璃は人形芝居の語り物として多くの作品を生み出すことになる。初期の浄瑠璃は,ふつう六段形式で,筋の展開の仕方も舞台で演出できるように工夫され,詞章も七五調をまじえた平易な文体であった。承応(1652-55)ころまでの作品には,《阿弥陀胸割》《牛王姫(ごおうのひめ)》など中世的な色彩の強いもの,《親鸞記》などの高僧の霊験談,《高館(たかだち)》《八島》《小袖曾我》などの義経物や曾我物,《はなや》《むらまつ》《安口(あぐち)の判官》などの没落豪族の哀話や御家騒動物などがあるが,作者は不明である。この時期の語り手には,京都の若狭守(前名山城左内太夫),江戸の薩摩浄雲杉山丹後掾などがいて活躍した。明暦~寛文(1655-73)には題材が一変し,坂田金時の子の金平(きんぴら)という豪傑が奇想天外な活躍をする武勇物が語られるようになり,全国的に流行した。この種の浄瑠璃を金平浄瑠璃と称し,江戸の和泉太夫,京都の上総少掾(かずさしようじよう)などが語った。他に,大坂では明暦の初めころ,井上播磨掾が出て評判を得,延宝・天和期(1673-84)には京都では宇治加賀掾が優美な語り口で王朝趣味の作品を上演し,山本土佐掾は哀調のある節を語った。播磨掾の系統から出たのが竹本義太夫で,その劇的な語り口は一世を風靡し,これまでの浄瑠璃を一変させることになる。
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百科事典マイペディア 「古浄瑠璃」の意味・わかりやすい解説

古浄瑠璃【こじょうるり】

義太夫節以前の初期の浄瑠璃各派の総称。半太夫節金平節,播磨節,土佐節など。当流と称した義太夫節にくらべて,古浄瑠璃には中世的な色彩が濃厚に残っていた。
→関連項目岡本文弥奥浄瑠璃金平浄瑠璃金平本出世景清浄瑠璃竹本義太夫近松門左衛門文弥節

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「古浄瑠璃」の意味・わかりやすい解説

古浄瑠璃
こじょうるり

人形浄瑠璃の義太夫節以前の諸流派をいう。 15世紀に語りはじめられた『浄瑠璃十二段草子』が語り物の一ジャンルを形成し,16世紀末~17世紀初めに,三味線,人形と結んで人形浄瑠璃芝居を確立,以後享保末年 (1735) 頃まで江戸,大坂,京都で興行された。太夫は,上方では宇治加賀掾,山本角太夫,井上播磨掾,伊藤出羽掾,岡本文弥,江戸では杉山丹後掾,薩摩浄雲らの名が知られる。それぞれ異なった語り方を工夫して,一流一派を立てた。作品は中期までは6段物が多く,後期には5段物が多い。御伽草子,幸若舞曲の改作や模倣作が多く,全体に語り物性が濃厚で戯曲としては未成熟であった。その後江戸に空想的,超人的な武勇もの (→金平節 ) が起り,上方にも影響を与えて,大坂では旋律性の豊かな節事が,京都では繊細な曲節による情緒的余情が加えられ,文学面でも向上。年代が下るにつれ,人間感情の解釈に近世化がみられるなど,義太夫節成立,当流浄瑠璃への過渡的様相を示した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「古浄瑠璃」の意味・わかりやすい解説

古浄瑠璃
こじょうるり

三味線伴奏による日本の語物音楽の分類名。17世紀初頭から人形芝居に用いられた浄瑠璃のうち、竹本義太夫(ぎだゆう)によって1684年(貞享1)義太夫節が成立する以前の各流の総称として用いられる。金平節(きんぴらぶし)、外記(げき)節、土佐節、角太夫(かくたゆう)節、永閑(えいかん)節、文弥(ぶんや)節、嘉太夫(かだゆう)節などがこれに含まれるが、義太夫節が人形劇音楽の王座を占めるに及び、18世紀に入ると衰微し、やがて吸収され消滅していった。

[林喜代弘]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「古浄瑠璃」の解説

古浄瑠璃
こじょうるり

竹本義太夫の語った近松門左衛門作「出世景清(しゅっせかげきよ)」(1685初演)以降の当流浄瑠璃に対して,それまでの古流の浄瑠璃をいう。おおむね,義太夫節成立以前とみてよいが,近松の最初の確実作「世継曾我(よつぎそが)」(1684初演)をもって,古流・当流の境とすべきとする異見もある。また江戸浄瑠璃の場合は,義太夫節が浸透してくる享保頃までの作を広く含める。寛永期前後から正本(しょうほん)の刊行をみるが,17世紀半ばには都鄙を問わず人気を集めていた語り物である。地方的語り物から出発して浄瑠璃化をとげた曲目や,その曲節に中世物語の詞藻をのせて語られる場合が一般的であったが,金平(きんぴら)浄瑠璃以降創作時代を迎え,延宝期の宇治加賀掾(かがのじょう)・山本角太夫(かくだゆう)時代をへて当流浄瑠璃につながる。

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世界大百科事典(旧版)内の古浄瑠璃の言及

【浄瑠璃】より

…近松門左衛門の活躍時代において文学性が最も高くなり,その後人形舞台の発達につれて舞台本位の演劇性を高度にもつにいたる。
[古浄瑠璃]
 1474年(文明6)ころから《浄瑠璃物語》は語られた(《実隆公記》紙背)という。その後の展開のうち,義太夫節成立までを〈古浄瑠璃〉と呼ぶ。…

※「古浄瑠璃」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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