精選版 日本国語大辞典 「史記」の意味・読み・例文・類語
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中国、前漢の歴史家司馬遷(しばせん)の著。上古の黄帝から前漢の武帝に至るおよそ二千数百年にわたる通史で、歴代王朝の編年史である本紀12巻、年表10巻、部門別の文化史である書8巻、列国史である世家(せいか)30巻と、個人の伝記集である列伝70巻とからなっている。父の司馬談の遺言を受け、紀元前104年前後から編纂(へんさん)に着手し、中途で李陵(りりょう)の事件に連座して宮刑に処せられたが、その屈辱を克服して執筆を続け、前91年ごろにはいちおうの草稿を完成したものと考えられる。それまで中国では、儒教の経典として重きをなした『尚書』『春秋』『詩』『易』『礼』のほか、春秋から戦国時代にかけての思想家の著作である諸子百家が存在し、いずれも専門の学者によって伝承され解釈されてきたが、全部を統一して古代から漢までの歴史を書いたものはなかった。司馬遷はそれぞれの対立する学派の立場を離れて古来の典籍を自在に利用し、加えて、宮廷に残っていた豊富な史料と広い見聞に基づき、本紀、表、書、世家、列伝という独特の諸形式によって総合的に記述することに成功した。司馬遷はこの意味において中国最初の歴史学者であり、中国歴史家の父と称される。とくに彼が創始した本紀、列伝などのように性質の異なった歴史記述の仕方を併存した総合史の形式は紀伝体(きでんたい)とよばれ、班固(はんこ)の『漢書』に受け継がれて、以後の諸王朝の官撰(かんせん)の正史の標準となった。宋(そう)の司馬光の『資治通鑑(しじつがん)』によって完成した編年体と並んで、紀伝体は、中国の歴史記述の基本的形式と考えられてきた。
[貝塚茂樹]
『小竹文夫・小竹武夫訳『世界文学大系5A・B 史記』(1962・筑摩書房)』▽『貝塚茂樹・川勝義雄訳『世界の名著11 司馬遷』(1968・中央公論社)』
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中国最初の通史。前漢の司馬遷(しばせん)の著作。130巻。黄帝(こうてい)以来武帝までを,12本紀(歴朝),10表(年表),8書(諸制度),30世家(諸侯),70列伝(重要人物)に分けて叙述。この紀伝体は正史の標準となる。武帝期の高揚した統一意識の所産であり,記述は慎重,文は千古の名文で,人物批評に著者の心境を綴っている。もと『太史公書』といい,魏晋以後『史記』と呼ばれる。
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出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
中国正史の筆頭に位置する史書。当初名は「太史公書」,三国時代以後現名となる。前漢の司馬遷(しばせん)撰。伝説以来の帝王を扱う本紀12巻,表(年表など)10巻,制度を扱う書8巻,諸侯を扱う世家30巻,個人を扱う列伝70巻計130巻からなり,これら相異なった性格の記述をまとめて総合史とする。この形式を紀伝体と称し,「漢書」以下の正史や周辺諸国の史書に継承された。「資治通鑑」などの編年体に対する。日本には推古朝にすでに紹介され,平安中期以降は「漢書」よりも重宝された。中華書局刊。
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…同時に漢が400年にわたって統一国家を維持したことは,中国文化の型を定着させることになった。まず統合主義の典型としては,司馬遷が上古の黄帝から武帝にいたる二千数百年間の通史《史記》を完成した。司馬遷は古今の散乱した歴史資料を網羅して一つの体系の中に収め,みずからの歴史観と紀伝体(帝王の年代紀と個人の列伝を主とする体裁)という記述形式を樹立して史学史上に不滅の金字塔をうちたてた。…
…中国の歴史家。《史記》の著者。司馬氏は周王朝の史官すなわち記録官の家柄であったが,春秋戦国の混乱期に没落し,父の司馬談に至って漢の武帝の太史令の地位に復帰した。…
…1893年にコレージュ・ド・フランスの教授,1903年に学士院会員となる。《史記》など漢籍の翻訳のほか,研究は金石文や仏教,美術,考古等の広範囲にわたるが,その本領は新発見の資料や埋もれた文献の忠実な紹介解説にある。なかでもスタインの獲得した漢晋簡牘(かんとく)を釈読考証した《Les documents chinois découverts par A.Stein dans les sables Turkestan oriental》(1913)は,近代簡牘学の創始者とよぶにふさわしい不滅の業績である。…
…その方法を歴史家たちも取り入れたと思われる。そのことは《左氏伝》の記述にもあらわれているし,のちの《史記》にはいっそういちじるしい。
[楚辞]
戦国時代,中国南部の長江(揚子江)流域でさかえた楚の国で起こった新しい韻文文学が〈楚辞〉である。…
…同様の記述スタイルは,中世の都市年代記においても採用されているが,この場合には,むしろ都市もしくはこれに代わる部族,地方,修道院,教会などについての個別的な歴史であり,長期間伝承もしくは記録されたものに基づいて,中世人の歴史感覚を如実に語っている。こうした個別史の伝統は,王国年代記としてフランス,スペインなどで結実し,また十字軍や伝道などの事件史記録,報告へも受け継がれた。 中世には,キリスト教会の救済史的見方は強弱いずれにせよ,歴史観に受け入れられているが,初期キリスト教が抱いていた緊迫した終末観は弱まり,歴史哲学としては抽象化と現実肯定が著しかった。…
※「史記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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