新聞社が定期的に継続して発行する通常号以外に臨時に発行する版をいう。外国ではエキストラextraとよんでいる。一般的には大事件、突発ニュースの速報版をさすことが多い。したがって、電波メディアが速報性を発揮するようになるまでは、唯一の速報手段として報道界を風靡(ふうび)した。その起源は古く、アメリカでは18世紀初め、最初に週刊紙が現れたボストンの各新聞社が号外を出したという記録がある。
日本では1868年(慶応4)5月16日付けの上野彰義隊(しょうぎたい)事件を報道した『別段中外新聞』が最初の号外といわれ、当時は別段、別号、別紙ということばを号外の意味に使っている。ただ初期のころは、締切り後に入ったニュースを、付録として本紙に挟み込んだり、本紙に付箋(ふせん)したものもあるが、号外の本質はあくまでも号を追わないことと、速報のため別配達したものである。1876年(明治9)3月2日付けの『東京日日新聞付録』(江華(こうか)条約締結)、同月6日付けの『読売新聞別紙』(黒田清隆(きよたか)、井上馨(かおる)全権の朝鮮からの帰京)、同年10月29日付けの熊本神風連(しんぷうれん)の乱などを報ずる『読売新聞付録』『朝野(ちょうや)新聞』などはその意味で本質的号外といえる。77年の西南戦争には各社とも号外を出しているが、号外合戦が盛んになるのは、新聞の速報競争が激しくなる90年代以降で、その先駆けをなしたのが、89年2月11日の大日本帝国憲法発布の報道だった。このとき東京では『東京日日新聞』、大阪では『大阪朝日新聞』が憲法全文を号外で速報、他紙を驚かせた。
本格的な号外が盛んになり、各社が号外でしのぎを削るようになるのは日清(にっしん)戦争(1894~95)からで、このとき初めて東京で「号外売り」という新商売が現れている。日露戦争(1904~05)のときは、大阪の『朝日』『毎日』が激しい号外合戦を展開、中国の旅順陥落や講和会議のときには予想号外まで準備して速報を競ったが、昭和に入ると、満州事変(1931)の第一報はラジオの臨時ニュースで放送されることになった。以後、ラジオの聴取者が激増し、新聞はこれに対抗するため、大型写真号外を発行するようになった。しかし第二次世界大戦中は、報道管制と用紙の欠乏から、号外の発行は以前よりも低調だった。戦後は、放送の普及もあって号外はほとんど影を潜めたが、それでもアメリカのケネディ大統領暗殺(1963)、ロッキード事件の田中角栄逮捕(1976)など大事件の際には、地方発行社の周辺、東京、大阪の主要駅など盛り場で号外を配布することがある。なお、戦前、東京では号外は有料だったが、大阪では無料、戦後はいずれも無料で号外を配っている。
[春原昭彦]
『小野秀雄編『号外百年史』(1969・読売新聞社)』
新聞社が重大な突発事件を読者に速報するために臨時に発行する印刷物。速報に意義があるため,外国でも戦争や暗殺など大事件では号外extraが発行された。しかし日本では,同一の都市(東京,大阪)で複数の新聞が速報を競ったため,ことに多い。戦争やオリンピック,改元,地震などのときに多数の号外が舞った。それゆえ,ラジオ,テレビの速報に長じた新しいメディアの登場で,号外の意義はうすれた。しかし,DDX(デジタル通信網)化による家庭ファクシミリの普及は,新聞社や通信社からの新しいタイプの個別号外サービスが可能になることを示しており,faxcastingとかteletextという新語も生まれている。日本における最初の号外は,1868年(明治1)5月16日,上野の彰義隊の戦闘を伝えた《中外新聞》の〈別段新聞〉と呼ばれるものだった。〈大総督府より左の通り御内達ありしよし風聞の儘写し留む〉として,官軍の攻撃,湯島通りの出火,大雨の中の砲声を速報している。手彫りの板木で火急性をよく印象づけた。〈別段〉はのち〈付録〉と名が変わる。76年の熊本における神風連の乱を伝えた《読売新聞》付録は,〈今日は日曜日にて新聞はお休みで有ますが,今度の熊本さわぎにつき皆さんがいかにも心配なさる様子ゆゑ先日からの続きを別に摺立て昨日の風聞をおめにかけます〉とある。ルビ付きの金属活字である。78年には〈別紙〉と変わり,いわば欄外情報として本紙に貼付したりして配布,明治20年ころに〈号外〉という言葉に定着した。新聞の普及はまた読者の事件への情報需要を高めることとなり,号外が新聞速報の不可分のものとして成立してくる。ことに日露戦争では,宣戦,旅順攻撃,奉天占領,日本海海戦と大きな出来事のたびに数百種類の号外を各社が競って発行した。この競争は,新聞社の取材,印刷,配布体制の発展に寄与し,また記者に速報が重要な情報価値であることを知らしめた。しかし,過当競争ともとれる号外合戦は,あまり他国に例がなく,新聞社の負担になったことも事実である。関東大震災では,東京の情報源が壊滅したために,地方紙が流言をそのまま掲載するなどの問題もあった。第2次大戦後は社会党浅沼稲次郎委員長刺殺,三池炭鉱事故などで号外が発行されたが,しだいに電波にその席を譲った。
執筆者:田村 紀雄
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