精選版 日本国語大辞典 「合巻」の意味・読み・例文・類語
ごう‐かん ガフクヮン【合巻】
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江戸後期の草双紙(くさぞうし)の一態。寛政(かんせい)の改革(1787~1793)による出版取締りで、黄表紙(挿絵入り小説の一種)が、その特質ともいうべき滑稽(こっけい)さ、洒脱(しゃだつ)さ、風刺性を失い、時代に同調した教訓性を前面にたてて、忠孝を賞揚する敵討物(かたきうちもの)が盛行し、それに伴い、筋立てが複雑化して長編の続き物が多くなった。そこで、これまで5丁を1冊とし、数冊を1編としていた草双紙を1冊に合綴(がってつ)するようになった。判型はこれまでの草双紙と同じく中本型(四六判、縦約18センチメートル・横13センチメートル)で、表紙は華麗な錦絵(にしきえ)刷りで描かれ、全ページに墨印の挿絵が入るほか、錦絵刷りや墨印の口絵のつくものも多い。この体裁は早く享和(きょうわ)(1801~1804)末年にみられ、合巻という語も1804年(文化1)には現れるが、広く普及したのは式亭三馬の『雷太郎強悪物語(いかずちたろうごうあくものがたり)』などが出た1806年以後とみてよい。
その題材から通俗性と伝奇性を特徴とし、血みどろでグロテスクな描写が多く、倫理観も正義より力といった感が強い。初期には山東京伝(さんとうきょうでん)を代表的作者として、読み切りの短編が多く、時を前後しておこった読本(よみほん)の趣向や民話、伝説などを素材としたが、その後を受けた柳亭種彦(りゅうていたねひこ)が『正本製(しょうほんじたて)』(1815~1831)で歌舞伎(かぶき)の趣向を取り入れて成功をみて以来、作中人物の顔なども役者の似顔絵で描くことが流行した。読本作者として名高い曲亭馬琴(きょくていばきん)も中国小説の翻案によって『傾城水滸伝(けいせいすいこでん)』などを書き、合巻の長編化に一役買い、これに触発されて種彦は『源氏物語』を翻案して『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』を書いた。天保(てんぽう)の改革(1841~1843)による言論弾圧で、以後沈滞を余儀なくさせられて、伝奇的な側面が猟奇的、官能的な面でのみ拡大され、明治になると、ついに新聞小説や雑誌の連載小説に発展解消した。
[宇田敏彦]
『鈴木重三著『大東急記念文庫講座シリーズ9 合巻について』(1961・大東急記念文庫)』
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草双紙の一類。本来は書籍の製本様式の一名称。文学史では製本様式のいかんを問わず,1807年(文化4)以降の草双紙をいう。黄表紙は寛政頃から筋を重視する伝奇的色彩を強くし,長編化する傾向にあった。しだいに5丁1冊の様式では冊数が増大して製本が煩瑣になるため,数冊分を合冊製本することが試みられた。1806年1月に江戸で西宮新六が刊行した式亭三馬作・初代歌川豊国画「雷太郎強悪(いかずちたろうごうあく)物語」は,この製本様式をとりいれた最初とはいいがたいが,意識的な試みであり,様式変革に大きな影響力をもったため,文学史ではこの作品出現を画期とする。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…草双紙(合巻(ごうかん))に取材した歌舞伎狂言の一系統。1806年(文化3)刊の式亭三馬作《雷太郎強悪物語(いかずちたろうごうあくものがたり)》をはじめとする合巻は,絵入小説の一種で,当代の人気俳優の似顔によって挿絵が描かれるなど,歌舞伎趣味の色濃く投影された出版物。…
…江戸後期の合巻(ごうかん)・読本(よみほん)作者。本名は高屋彦四郎知久。…
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