県の三大河川のうち東端を流れる。全長一三三キロ、流域面積二〇六〇平方キロ。一級河川。源を
西大寺の門前町の前を流れるところから西大寺川とよばれたこともあったが、備前国の西の大川である旭川に対して東の大川とよばれた。嘉祥三年(八五〇)備前国
雄神川とよばれたのは、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
岡山県の三大河川の一つ。一級河川。鳥取県境の中国山地三国(みくに)山(1252メートル)に発し、津山盆地で加茂(かも)川と合流、吉備(きび)高原を下刻して南下し吉野川と合流し、吉備高原を出た所で金剛(こんごう)川をあわせ、岡山平野東部を流れて児島(こじま)湾に注ぐ。延長133キロメートル、流域面積2110平方キロメートル。古くは雄神川(おがみがわ)、和気川(わけがわ)、近世以後は東大川(ひがしおおかわ)、吉井川とよばれた。1607年(慶長12)に角倉了以(すみのくらりょうい)が美作(みまさか)和気川の舟運盛行をみて、河川交通の発達に尽くした史実から、古くより高瀬舟交通が発達していたことが知られる。津山盆地と岡山城下を結ぶ交通の大動脈で、川筋には津山、長岡(久米(くめ)郡美咲(みさき)町栗子(くりご))、飯岡(ゆうか)(美咲町)、倉敷(くらしき)(美作市林野(はやしの))、周匝(すさい)(赤磐(あかいわ)市)、田原(和気郡和気町)などの河港があり、番所も所々に設けられた。舟運は昭和初期の中国鉄道(JR津山線)の敷設まで続いた。現在、主として農業用水に利用され、下流に田原井堰(たはらいぜき)、板根井堰があって、田原用水、邑久(おく)の大(おお)用水、倉安川などの大灌漑(かんがい)用水路がつくられた。過去に何度か大水害を起こし、第二次世界大戦以後、建設省(現、国土交通省)によって大規模な改修工事がなされた。本流にはダムがなかったが、2005年(平成17)上流の鏡野町に苫田ダム(とまただむ)が完成し、奥津湖が誕生した。
[由比浜省吾]
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岡山県東部の川。旭川,高梁(たかはし)川とともに県の三大河川の一つで,県東部の大半をその流域とする。幹川流路延長133km,全流域面積2060km2。中国山地の三国山(1213m)に源を発し,津山盆地で加茂川を合わせ,吉備高原を流下する途中,赤磐市で大支流の吉野川と合流,さらに和気(わけ)町で金剛川と合流して岡山平野に出,児島湾に注ぐ。古くは雄神(おがみ)川,和気川,また近世以後は東大(ひがしおお)川,吉井川と呼ばれた。
三大河川の中で最もこう配がゆるく,高瀬舟による水運が早くから発達し,角倉了以はこの川の舟運を見て他地方の河川交通を開発する範としたといわれる。津山,長岡(現,美咲町栗子),倉敷(現,美作(みまさか)市林野),飯岡(ゆうか)(現,美咲町),周匝(すさい)(現,赤磐市),田原(現,和気町)などに船頭集落があり,所々に番所も置かれていた。河口では西大寺(岡山市)が重要な港であった。下流では田原堰や坂根堰により農業用水が岡山平野に導かれた。支流に黒木ダムなど中小規模のダムがあり,本流では苫田ダムの建設が進められている。
執筆者:由比浜 省吾
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…中世備前国福岡荘内に成立した市場。福岡荘は吉井川の河口に近く船の遡上が可能で,山陽道との交点に当たることから備前南部の物資集散の要衝となった。米,材木のほか,吉井,長船(おさふね),福岡の備前刀,香登(かがと),伊部(いんべ)の備前焼などの取引が行われ,その繁栄のようすは《一遍聖絵(いつぺんひじりえ)》や,今川了俊の《道ゆきぶり》にも描かれて,全国的にも著名な市であった。…
※「吉井川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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