吉屋信子(読み)ヨシヤノブコ

デジタル大辞泉 「吉屋信子」の意味・読み・例文・類語

よしや‐のぶこ【吉屋信子】

[1896~1973]小説家。新潟の生まれ。キリスト教的な理想主義や清純な感傷性によって多くの女性の支持を得た。作「地の果まで」「良人の貞操」「鬼火」「徳川の夫人たち」など。

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精選版 日本国語大辞典 「吉屋信子」の意味・読み・例文・類語

よしや‐のぶこ【吉屋信子】

  1. 小説家。新潟県出身。栃木高等女学校卒業。女性的な抒情とキリスト教的倫理観をこめた小説によって女性読者に広く迎えられた。著作花物語」「良人の貞操」「鬼火」「徳川の夫人たち」など。明治二九~昭和四八年(一八九六‐一九七三

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20世紀日本人名事典 「吉屋信子」の解説

吉屋 信子
ヨシヤ ノブコ

大正・昭和期の小説家



生年
明治29(1896)年1月12日

没年
昭和48(1973)年7月11日

出生地
新潟県新潟市

学歴〔年〕
栃木高女卒

主な受賞名〔年〕
朝日新聞懸賞小説(大朝創刊40周年記念文芸)〔大正8年〕「地の果まで」,女流文学者賞(第4回)〔昭和27年〕「鬼火」,菊池寛賞(第15回)〔昭和42年〕

経歴
竹久夢二の世界に魅かれ、栃木高女在学中から少女雑誌に投稿する。卒業後、作家を志して上京。大正8年「地の果まで」が大阪朝日新聞の懸賞小説として1等に入選し、9年1月から6カ月間連載された。続いて「東京朝日新聞」に「海の極みまで」を連載し、作家としての地位を築いた。昭和27年「鬼火」で女流文学賞を受賞し、42年には半世紀にわたる文学活動で菊池寛賞を受賞した。このほかの代表作に「女の友情」「未亡人」「良人の貞操」「安宅家の人々」「徳川の夫人たち」「女人平家」やエッセイ「自伝的女流文壇史」、童話集「花物語」など著書多数。「吉屋信子全集」(全12巻 朝日新聞社)がある。一方、戦時中に俳句を始め、宗有為子の名で「鶴」に投句、のち高浜虚子の指導を受け「ホトトギス」同人となる。文壇俳句会にも出席没後「吉屋信子句集」が刊行された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉屋信子」の意味・わかりやすい解説

吉屋信子
よしやのぶこ
(1896―1973)

小説家。明治29年1月12日官吏である父の任地新潟県で生まれ、栃木高等女学校卒業。少女雑誌の投書家として出発し、卒業後上京、1917年(大正6)から書き始めた『花物語』(1924)で少女読者の人気を博した。19年『地の果まで』が『大阪朝日新聞』の懸賞小説に当選して、大衆通俗小説の分野に進出。『女の友情』(1933~34)、『良人(おっと)の貞操』(1936~37)など、キリスト教的な理想主義に叙情のベールをかぶせた作品で女性大衆に受け、男の菊池寛(かん)と並び称される大衆作家の第一人者になった。第二次世界大戦後は純文学にも意欲を燃やし、『鬼火』(1952。女流文学者賞受賞)、『凍蝶(いてちょう)』(1953)で名もない市井人の日常を簡潔に描いた。救世軍の山室軍平の生涯を追った『ときの声』(1965)では伝記小説にもさえた腕前をみせ、晩年の大作歴史小説『徳川の夫人たち』(1966)では、硯友社(けんゆうしゃ)調の美文体と内容の完全な一致をみて、文業を完成した。昭和48年7月11日没。鎌倉市にある旧居は吉屋信子記念館となっている。

[江刺昭子]

『『吉屋信子全集』全12巻(1975~76・朝日新聞社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「吉屋信子」の意味・わかりやすい解説

吉屋信子 (よしやのぶこ)
生没年:1896-1973(明治29-昭和48)

小説家。家庭小説の代表的存在だった。新潟県生れ。栃木高女在学中から少女雑誌に投稿,卒業後作家を志して上京,1917年の〈鈴蘭〉に始まる《花物語》の連作で注目され,少女小説や童話の書き手として認められたが,さらに19年《地の果まで》で《大阪朝日新聞》の長編懸賞に当選し,つづいて《海の極みまで》を発表,家庭小説の作家としての地歩をかためた。キリスト教的理想主義に基づく人間肯定の立場が広く読者を獲得することとなり,《女の友情》(1933-34),《良人の貞操》(1936-37)などが話題を呼び,広く女性読者の共感と支持を得た。《鬼火》(1952,女流文学者賞受賞)など短編にもすぐれ,晩年は《徳川の夫人たち》(1966)などの歴史小説も手がけた。遺宅は記念館として婦人の福祉教養の場に開放された。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉屋信子」の意味・わかりやすい解説

吉屋信子
よしやのぶこ

[生]1896.1.12. 新潟
[没]1973.7.11. 鎌倉
小説家。栃木高等女学校在学中から少女雑誌に投稿を始め,1917年から『花物語』 (1924刊) を『少女画報』に連載。一方 19年『地の果まで』が『大阪朝日新聞』の懸賞に入賞して文壇にデビュー,『海の極みまで』 (21~23) で不動の地位を得た。ほかに長編『良人 (おっと) の貞操』 (36~37) ,『安宅家の人々』 (51~52) ,短編『鬼火』 (51) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉屋信子」の解説

吉屋信子 よしや-のぶこ

1896-1973 大正-昭和時代の小説家。
明治29年1月12日生まれ。栃木高女在学中から少女小説を投稿,大正6年「花物語」でみとめられ,昭和11年の新聞小説「良人(おつと)の貞操」などで流行作家となる。27年「鬼火」で女流文学者賞。「徳川の夫人たち」などの歴史小説でも知られた。昭和48年7月11日死去。77歳。新潟県出身。
【格言など】秋灯(あきともし)机の上の幾山河(母校の句碑)

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百科事典マイペディア 「吉屋信子」の意味・わかりやすい解説

吉屋信子【よしやのぶこ】

小説家。新潟県生れ。栃木高女卒。《大阪朝日新聞》の懸賞当選作《地の果まで》で文壇に出た。《女の友情》《良人の貞操》その他多くの家庭小説や少女小説を書き,広く女性読者を獲得。第2次大戦後は《安宅家の人々》《鬼火》《徳川の夫人たち》のほか,《自伝的女流文壇史》《私の見た人》などがある。
→関連項目吉田五十八

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「吉屋信子」の解説

吉屋信子
よしやのぶこ

1896.1.12~1973.7.11

大正・昭和期の小説家。新潟県出身。栃木高女卒。少女小説から出発し「花物語」で人気を博す。代表作「地の果まで」「女の友情」「良人(おっと)の貞操」「鬼火(おにび)」,俳人伝「底のぬけた柄杓(ひしゃく)」。

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367日誕生日大事典 「吉屋信子」の解説

吉屋 信子 (よしや のぶこ)

生年月日:1896年1月12日
大正時代;昭和時代の小説家
1973年没

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