吉田健一(読み)ヨシダケンイチ

デジタル大辞泉 「吉田健一」の意味・読み・例文・類語

よしだ‐けんいち【吉田健一】

[1912~1977]評論家・英文学者・小説家。東京の生まれ。吉田茂の長男。評論のほか、短編・随筆も発表。著「文学概論」「ヨオロツパの世紀末」など。

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精選版 日本国語大辞典 「吉田健一」の意味・読み・例文・類語

よしだ‐けんいち【吉田健一】

  1. 評論家・英文学者・小説家。東京出身。政治家吉田茂の長男。評論のほか、短編小説・随筆も発表。著「東西文学概論」「ヨオロッパの世紀末」など。大正元~昭和五二年(一九一二‐一九七七

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20世紀日本人名事典 「吉田健一」の解説

吉田 健一
ヨシダ ケンイチ

昭和期の評論家,英文学者,小説家



生年
明治45(1912)年3月27日

没年
昭和52(1977)年8月3日

出生地
東京市千駄ケ谷(現・東京都渋谷区)

学歴〔年〕
ケンブリッジ大学英文学〔昭和6年〕中退

主な受賞名〔年〕
読売文学賞(文芸評論賞 第8回)〔昭和31年〕「シェイクスピア」,新潮社文学賞(第4回)〔昭和32年〕「日本について」,野間文芸賞(第23回)〔昭和45年〕「ヨオロッパの世紀末」,読売文学賞(小説賞 第22回)〔昭和45年〕「瓦礫の中」

経歴
20歳のころまで、外交官の父・吉田茂(のち首相)の任地に従ってイギリス、フランス、中国などで育ち、ケンブリッジ大に学ぶ。昭和6年中退して帰国、ポーやヴァレリーの翻訳を始める。14年中村光夫、山本健吉らとともに同人誌「批評」を創刊。戦後は翻訳、評論、随筆と一挙に多彩な活動を始める。抜群の語学力と生活感覚の豊かさとを身につけ、朝日新聞、読売新聞の文芸時評も担当した。主著に評論「英国の文学」「シェイクスピア」「日本について」「文学概論」「ヨオロッパの世紀末」「時間」、小説「瓦礫の中」「絵空ごと」「金沢」、随筆「私の食物誌」など。全集に「吉田健一著作集」(全30巻・補2巻 集英社)がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉田健一」の意味・わかりやすい解説

吉田健一
よしだけんいち
(1912―1977)

評論家、英文学者、小説家。父は首相吉田茂。東京に生まれる。外交官であった父に従って諸国を転々、ケンブリッジ大学を中退する。帰国後、ポーの『覚書』(1935)、バレリーの『精神の政治学』(1939)、『ドガに就(つい)て』(1940)などの翻訳や海外文学の紹介によって文筆活動を始めた。1939年(昭和14)、中村光夫(みつお)らと『批評』を創刊、初めて文芸批評の筆をとる。第一評論集は『英国の文学』(1949)、以後『シェイクスピア』(1952)、『東西文学論』(1955)、『文学概論』(1960)などを刊行。その一貫した文学思想は、近代日本の文学の主流を形成している私小説的性格の拒否という点であり、いわゆる大衆小説と純文学の区別なく、ことばで読者を魅惑するということに文学の根本条件を置いた。

 ほかに、小説とエッセイのどちらとも不分明なファンタスティックな作品集『酒宴』(1957)、『残光』(1963)など、また独自な文体のエッセイ集『乞食(こじき)王子』(1956)、『甘酸っぱい味』(1957)、『舌鼓ところどころ』(1958)などがある。

[古木春哉]

『『吉田健一著作集』30巻・補巻2(1979~81・集英社)』『篠田一士著『吉田健一論』(1981・筑摩書房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「吉田健一」の意味・わかりやすい解説

吉田健一 (よしだけんいち)
生没年:1912-77(大正1-昭和52)

英文学者,批評家,エッセイスト,小説家。父は後の首相吉田茂で,その長男として生まれた。20歳でケンブリッジ大学を退学するころまで父の任地に従ってフランス,イギリスなどで生活することが多く,この経験が文筆活動の背景にある。ボードレールやラフォルグ等フランス文学への親炙シェークスピアから現代までのイギリス文学への傾倒をみごとに両立させ,一貫してヨーロッパへの夢に生き続けた。文学とは結局言葉の使い方だという認識を基盤に,洗練された言葉の追究は文明の成熟にかかわるという観点から,独特な文学論,文明論を数多く発表した。《英国の文学》(1949),《文学概論》(1960)が代表作。この思想形成は《ヨオロッパの世紀末》(1970)で頂点に達したが,以後は充実した生をもたらす時間意識の問題に沈潜する。《本当のやうな話》(1972)や《金沢》(1973)はその問題に小説形式で迫ったもの。食通,酒仙としても知られた。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「吉田健一」の意味・わかりやすい解説

吉田健一【よしだけんいち】

英文学者,批評家,小説家。東京生れ。父は首相吉田茂。ケンブリッジ大中退。当時外交官だった父の任地に従って,少年時代を英国,フランス等で過ごす。帰国後,英文学,フランス文学の翻訳から文学活動を始める。訳業にポー《覚書》,バレリー《精神の政治学》などがある。また中村光夫山本健吉らと《批評》を創刊。独特な文体を用い,分析的というより直感的,鑑賞的な批評方法は《英国の文学》《シェイクスピア》を経て,《東西文学論》《ヨオロッパの世紀末》などで一種の文明批評として開花。小説に《瓦礫の中》などがある。
→関連項目伊藤信吉

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉田健一」の意味・わかりやすい解説

吉田健一
よしだけんいち

[生]1912.3.27. 東京
[没]1977.8.3. 東京
評論家,英文学者,小説家。吉田茂の長男。ケンブリッジ大学中退後,翻訳に従事。 1939年中村光夫らと雑誌『批評』を創刊,小英文学史『英国の文学』 (1949) をまとめて認められた。ヨーロッパ文学の深い素養を根底としながら中国や日本の文学伝統にも価値を見出し,反面,明治以来の輸入された近代文学の疑似性や私小説を否定して,美的,倫理的一貫性を主張した。『シェイクスピア』 (52) ,『東西文学論』 (55) ,『日本について』 (58) ,『ヨオロッパの世紀末』 (69~70) などのほか,『甘酸っぱい味』 (57) その他の随筆,『酒宴』 (57) ,『残光』 (63) ,『瓦礫の中』 (70) などの小説もある。 59年日本芸術院賞受賞。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田健一」の解説

吉田健一 よしだ-けんいち

1912-1977 昭和時代の英文学者,文芸評論家。
明治45年3月27日生まれ。吉田茂の長男。外交官の父とともにヨーロッパなどで少年期をすごす。昭和14年中村光夫らと「批評」を創刊し,文芸批評,小説,エッセイと多方面で活躍した。食通としても知られた。昭和52年8月3日死去。65歳。東京出身。ケンブリッジ大中退。著作に「英国の文学」,「ヨオロッパの世紀末」(45年野間文芸賞)など。
【格言など】本当に美しいものを前にした時,我々は先ず眼を伏せるものである(「舌鼓ところどころ」)

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367日誕生日大事典 「吉田健一」の解説

吉田 健一 (よしだ けんいち)

生年月日:1912年3月27日
昭和時代の英文学者;文芸評論家
1977年没

吉田 健一 (よしだ けんいち)

生年月日:1979年12月16日
平成時代の津軽三味線奏者

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