デジタル大辞泉 「吉田喜重」の意味・読み・例文・類語 よしだ‐よししげ【吉田喜重】 [1933~2022]映画監督。福井の生まれ。「ろくでなし」で監督デビュー。新進気鋭の監督として高く評価された。「人間の約束」で文化庁芸術作品賞。代表作「秋津温泉」「エロス+虐殺」「戒厳令」「嵐が丘」など。よしだきじゅう。 よしだ‐きじゅう〔‐キヂユウ〕【吉田喜重】 ⇒よしだよししげ(吉田喜重) 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
百科事典マイペディア 「吉田喜重」の意味・わかりやすい解説 吉田喜重【よしだよししげ】 映画監督。福井市生れ。1955年東大卒業後,松竹大船撮影所に入る。木下恵介の助監督をへて《ろくでなし》(1960年)でデビューし,大島渚・篠田正浩とともに〈松竹ヌーベル・バーグ〉と称された。《秋津温泉》(1962年)で評判を得るが,《嵐を呼ぶ十八人》(1963年),《日本脱出》(1964年)を最後に松竹を退社。《エロス+虐殺》(1970年),《煉獄エロイカ》(1970年),《告白的女優論》(1971年),《戒厳令》(1973年)など,代表作は退社後の作品に多い。人間存在を問う思弁的な作風に特徴がある。《人間の約束》(1986年),《嵐が丘》(1988年)などのほか,テレビの美術番組《美の美》(1974年)やオペラの演出も手がけている。女優の岡田茉莉子は夫人。→関連項目日本アート・シアター・ギルド 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田喜重」の解説 吉田喜重 よしだ-よししげ 1933- 昭和後期-平成時代の映画監督。昭和8年2月16日生まれ。岡田茉莉子(まりこ)の夫。昭和30年松竹に入社,35年「ろくでなし」で監督デビュー。「秋津温泉」などを手がけ,39年独立。以後「エロス+虐殺」「戒厳令」などを発表。62年「人間の約束」で芸術選奨。平成2年フランスでオペラ「蝶々夫人」を演出。11年評論「小津安二郎の反映画」で2度目の芸術選奨。福井県出身。東大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例