出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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…日本中世の族縁呼称の一つであるが,史料の上では,一族,一家,一流などと混用されている場合が多く,はっきりした区別はまだつけられていない。しかし,一族,一家という族縁呼称がある一定の所領を共同知行し,その土地の地名をもってみずからの〈名字〉としている〈名字族〉という性格をもつのに対して,これら名字族がもとをただせば,藤原氏あるいは橘氏,大伴氏であるなどといわれる場合の側面を表現したものこそ,この氏族という呼称の本来のあり方だと考えるべきである。中世の土地売券や処分状,譲状における人々の署名部分を調べてみると,大きく分けて,そのような二つの族縁呼称が混在していることが確認されるが,しかし見落としてならないことは,少なくとも南北朝時代以前にあっては,この二つの族縁呼称の中で,氏族系統をひく族縁呼称が圧倒的に大きな比重を占めていたということである。…
…上田は,伊刀郡上田邑の地名,三郎は三男の意である。氏姓にかわる苗字は,この字から発達したようで,名字(みようじ)と記すほうが古い。初期の苗字は字の一部で,父子兄弟が称を異にし,居住地や所領の名を苗字としたにすぎないが,やがて他国に移っても,一族の苗字は変わらぬこととなり,12世紀以後,氏姓とおなじように用いられることとなった。…
…特定個人の同一性を社会的に確定する機能をもった,ひとりひとりに付される呼称で,氏(うじ)と名(な)からなる。〈姓名〉〈名字(苗字)と名前〉〈名前〉などの言い方もある。個人の〈なまえ〉とされる全体(フルネームfull name)は,国により民族により異なっており,名と氏(姓)の組合せによるもの,氏という概念を伴わずに名と父称(母称)の組合せによるもの(アイスランド),あるいは名だけ(ミャンマー,インドネシアの庶民階級など),というところなどがある。…
…鎌倉・室町期の武家の中間は〈主人の弓・箭・剣等を持ちて御供に候し,また警護等のことをつとむ〉(《相京職鈔》)とか,〈折烏帽子に小結して,直衣に大帷をかさね,袴に大口をかさねて著るが中間〉とされ(《玉勝間》ほか),御中間といわれて領主の強制執行などの使者もつとめた。侍(殿原(とのばら)・若党・かせ者など)が名字をもつのにたいして,中間は〈名字なき者〉とされた(《小早川家文書》)。戦国期の農村では,〈ちうげんならばかせものになし,百姓ならばちうげんになす〉(《児野文書》)というように,農民が中間からかせ者へと侍身分に取り立てられるのが名誉・恩賞とされ,〈諸奉公人,侍のことは申すに及ばず,中間・小者・あらし子に至るまで〉(《近江水口加藤家文書》)というように,武家の奉公人には侍,中間,小者,荒子の四つの身分序列が一般的に成立していた。…
…平安・鎌倉時代に公家や武家男子の敬称(《入来文書》)や対称(〈北条重時家訓〉)として用いられるが,ひろく中世社会では,村落共同体の基本的な構成員たる住人,村人の最上層を占めて殿原,百姓の順に記され,村落を代表する階層として現れる。名字をもち,殿とか方などの敬称をつけて呼ばれ,〈殿原に仕〉える者をもち(《相良氏法度》),〈地下ノ侍〉(《本福寺由来記》)つまり侍身分の地侍として凡下(ぼんげ)身分と区別され,夫役(ぶやく)などの負担を免除されることもあった。後期の村落の名主(みようしゆ)・百姓のうちの名主上層に当たるとみられるが,〈殿原とも百姓として作仕る〉(〈法隆寺文書〉)といわれ,領主からは土地を耕作するかぎり百姓とみなされた。…
…名字発生の地。名字は苗字とも記し,氏族が繁衍(はんえん)分出してそれぞれ居所や領地を異にしていく過程で,おもにその地名を付けて同じ氏族間の区別をした,その本になった地を名字の地とよぶ。…
※「名字」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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