名家(読み)めいか

精選版 日本国語大辞典 「名家」の意味・読み・例文・類語

めい‐か【名家】

〘名〙
名望のある家柄。昔から有名な家筋。名門
※田氏家集(892頃)上・過田大夫荘呈船秀才「勝地名家寄一丘、良人美話是綢繆」 〔史記‐甘羅伝〕
公卿の家格の一つ。文筆を主とし、弁官を経、蔵人をかね、大納言まで昇進できる家柄。羽林家の下、諸大夫家の上に位する。日野広橋烏丸柳原・竹屋・裏松(以上、日野流という)、葉室・勧修寺万里小路・清閑寺・中御門・小川坊城・甘露寺(以上、勧修寺流という)などの諸家の称。〔三代実録‐貞観一二年(870)二月一九日〕
※中右記‐大治五年(1130)一〇月五日「両人共名家子孫」
③ その道にすぐれた人。名人
俳諧・遅八刻(1771)「爰に至てはたとへ名家の句といへども、曾て師がとらぬ所也」
※西国立志編(1870‐71)〈中村正直訳〉一「普礼揮爾は、算学の名家なり」
中国諸子百家の一つ。春秋戦国時代名実を正し、是非を明らかにし、法術・権勢を重んじた学派公孫龍恵施など。名(めい)。〔史記‐太史公自序

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「名家」の意味・読み・例文・類語

めい‐か【名家】

名望のある家柄。名門。「名家の出」
公卿の家格の一。文筆を主とし、弁官を経て、蔵人くろうどを兼ね、大納言まで昇進できる家柄。羽林家うりんけの下、諸大夫家しょだいぶけの上に位する。日野・広橋・烏丸・葉室・勧修寺・万里小路までのこうじなどの諸家の称。
その道にすぐれた人。名声の高い人。名人。「名家の手になる書」
中国、春秋戦国時代諸子百家の一。名(ことば)と実(事物)との関係を論じた学派。
[類語]名門旧家良家

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

普及版 字通 「名家」の読み・字形・画数・意味

【名家】めいか

戦国期の論理学派。漢以後学術の専門の家。また、名門。〔梁書、何敬容伝〕容、名家の子を以て、冠にしてばれて齊の武の女(むすめ)長(しやう)せられ、馬(ふば)尉に拜せらる。

字通「名」の項目を見る

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「名家」の意味・わかりやすい解説

名家
めいか

中国古代、諸子百家の一つ。周末春秋戦国期に名(ことば)をめぐる論争が行われた。孔子、老子、荘子をはじめ当時のほとんどの思想書にそのことが記されている。孔子の正名、老荘の無名がその例であり、名の問題だけを論じていた思想家などはいなかった。ところが漢代になって学派の分別整理が行われたとき、周末に名の問題を専門的に論じていたと判断された思想家をひとまとめにして名家と名づけた。鄧析(とうせき)、恵施(けいし)、尹文(いんぶん)、公孫竜(こうそんりゅう)などである。今日からみれば、これらの人たちが同じ思想であったとはいいきれない。名の中心問題は名実論である。すなわち名と実(対象)との関係を考えることであり、今日の意味論(記号論三部門の一つ)に相当する。また論理学における概念論でもある。この意味論、概念論が中国論理学の主流となるので、その意味で先駆的役割を果たした名家を論理学派とみることができよう。ただし名家は判断論、推理論について詳しくない。それはむしろ同時代の別墨(べつぼく)(墨家の一派)である。

[加地伸行]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典 第2版 「名家」の意味・わかりやすい解説

めいか【名家 Míng jiā】

中国,戦国期の論理学派。恵施公孫竜がその代表である。司馬遷の父,司馬談〈六家要指(りくかのようし)〉にみえる名称で,秦・漢期以後は,荀子・春秋学系の礼法制度と綱常倫理との一致をもとめる儒教的名分論のもとで,〈名家〉はその観点からの概念分析家〈名実を正す〉学派としてのみ認定された。外交折衝の弁析にたけた察士恵施は,時処位の無限性から相対価値を疑う詭弁を展開した。応戦した荘子,荀子,墨家らは,斉物(せいぶつ)の論,正名(せいめい)思想,墨弁(ぼくべん)のそれぞれの論証を深めた。

めいか【名家】

公家の家格の一つ。儒道より出身し,弁官,蔵人を経て大納言に至る家柄。古来,広くは名望ある家柄の意味に用いられた語であるが,平安末期の記録に勧修寺流藤原氏の蔵人顕頼や,大外記を世襲する中原広宗,清原信俊について〈累代の名家〉と書いているのは,代々故実を伝承し,才識をもって名を得ている家の意と解釈され,さらに顕頼の子光頼について〈数代弁官の家なり〉とする記述のあるのを考えあわせると,〈名家〉の語の系譜がほぼ推測される。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

百科事典マイペディア 「名家」の意味・わかりやすい解説

名家【めいか】

中国,戦国時代の論理学派。諸子百家の一つ。論理的分析を詳細にし,思考や言語表現の法則を把握しようとしたが,結果的には詭弁(きべん)に流れた。恵施と公孫竜が有名。荘子や荀子に強い影響を与えた。漢以後,急速に衰えたが,後漢末からの清談にも影響があった。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「名家」の意味・わかりやすい解説

名家
めいか
Ming-jia

中国の諸子百家の一つ。戦国時代には弁者ともいわれた。前漢の司馬談が諸学派を分類するときにつけた名称。この学派は,事物の概念である「名」と,実体である「実」との一致をきびしく求めて,治政の役に立てようとしたものである。論理学の発展に貢献し,鄧析 (とうせき) ,恵施公孫龍などがその代表者で,公孫龍の「白馬非馬論」は有名。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「名家」の解説

名家
めいか

公家の家格の一つ。弁官・蔵人(くろうど)をへて,大納言に進む家柄。平安末~鎌倉時代に,日野流藤原氏,勧修寺(かじゅうじ)流藤原氏,高棟(たかむね)流平氏が,弁官・蔵人から立身する家柄を形成し,家格としての名家が成立。これら3流諸家は,朝務などの実務能力をもって平安中期以来摂関家に仕え,平安後期からは院にも仕えた。明治の華族制度では,伯爵ないし子爵となった。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「名家」の解説

名家(めいか)

諸子百家の一つ。名(言葉)と実(実体)の関係を明らかにしようとする論理学派。言葉の概念規定を中心とし,「白馬は馬にあらず」などの詭弁(きべん)術にとどまり,哲学的には止揚されず,秦漢以後衰えた。『鄧析子』(とうせきし)『恵施』(けいし)『公孫竜』『尹文子』(いんぶんし)(の4種)が現存する。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「名家」の解説

名家
めいか

諸子百家の1つ
名とは名称で,概念分析により名と実(形・本質)の一致を求めて社会の秩序維持をはかろうとしたが,結果的には言葉の概念の限界性を指摘することにとらわれ,詭弁に陥った。代表者は恵施 (けいし) ・公孫竜 (こうそんりゆう) ら。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

デジタル大辞泉プラス 「名家」の解説

名家(ミョンガ)

韓国のテレビドラマ。2010年1月放映開始(全16話)。出演は、チャ・インピョ、ハン・ゴウン、キム・ソンミンほか。17世紀の李氏朝鮮時代の実在の名門、チェ氏一家を描く。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典内の名家の言及

【春秋戦国時代】より

…老子や荘子の考えは,道を根本として構成されるので,道家とよぶ。このほか論理学を説く名家,陰陽論を説く陰陽家,上述の蘇秦・張儀のごとく外交術を説く縦横家,農業技術や農民思想を説く農家など多くの流派の思想家が活躍し,互いに影響しあい,中国史上最も自由に思想が説かれた時代であり,これらを諸子百家と総称するが,後世に大きな影響を与えたのは儒家と道家であり,法家は思想として表面にあらわれなかったが,儒家の徳をたてまえとする政治を支える技術としてつねに利用された。 このように多様な思想が自由に展開したのは,人間精神の躍動を示すものであり,これは芸術にもあらわれた。…

【中国哲学】より

…秦の始皇帝の天下統一は,この法家政策によって実現したものである。他方諸子百家の論争の激化に刺激され,議論を運ぶ論理そのものへの反省が生まれ,論理学派というべき名家が現れた。これを名家とよぶのは,名と実との関係を論ずるからである。…

※「名家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

暖冬

冬期3カ月の平均気温が平年と比べて高い時が暖冬、低い時が寒冬。暖冬時には、日本付近は南海上の亜熱帯高気圧に覆われて、シベリア高気圧の張り出しが弱い。上層では偏西風が東西流型となり、寒気の南下が阻止され...

暖冬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android