精選版 日本国語大辞典 「名家」の意味・読み・例文・類語
めい‐か【名家】
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中国古代、諸子百家の一つ。周末春秋戦国期に名(ことば)をめぐる論争が行われた。孔子、老子、荘子をはじめ当時のほとんどの思想書にそのことが記されている。孔子の正名、老荘の無名がその例であり、名の問題だけを論じていた思想家などはいなかった。ところが漢代になって学派の分別整理が行われたとき、周末に名の問題を専門的に論じていたと判断された思想家をひとまとめにして名家と名づけた。鄧析(とうせき)、恵施(けいし)、尹文(いんぶん)、公孫竜(こうそんりゅう)などである。今日からみれば、これらの人たちが同じ思想であったとはいいきれない。名の中心問題は名実論である。すなわち名と実(対象)との関係を考えることであり、今日の意味論(記号論三部門の一つ)に相当する。また論理学における概念論でもある。この意味論、概念論が中国論理学の主流となるので、その意味で先駆的役割を果たした名家を論理学派とみることができよう。ただし名家は判断論、推理論について詳しくない。それはむしろ同時代の別墨(べつぼく)(墨家の一派)である。
[加地伸行]
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公家の家格の一つ。弁官・蔵人(くろうど)をへて,大納言に進む家柄。平安末~鎌倉時代に,日野流藤原氏,勧修寺(かじゅうじ)流藤原氏,高棟(たかむね)流平氏が,弁官・蔵人から立身する家柄を形成し,家格としての名家が成立。これら3流諸家は,朝務などの実務能力をもって平安中期以来摂関家に仕え,平安後期からは院にも仕えた。明治の華族制度では,伯爵ないし子爵となった。
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諸子百家の一つ。名(言葉)と実(実体)の関係を明らかにしようとする論理学派。言葉の概念規定を中心とし,「白馬は馬にあらず」などの詭弁(きべん)術にとどまり,哲学的には止揚されず,秦漢以後衰えた。『鄧析子』(とうせきし)『恵施』(けいし)『公孫竜』『尹文子』(いんぶんし)(の4種)が現存する。
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…老子や荘子の考えは,道を根本として構成されるので,道家とよぶ。このほか論理学を説く名家,陰陽論を説く陰陽家,上述の蘇秦・張儀のごとく外交術を説く縦横家,農業技術や農民思想を説く農家など多くの流派の思想家が活躍し,互いに影響しあい,中国史上最も自由に思想が説かれた時代であり,これらを諸子百家と総称するが,後世に大きな影響を与えたのは儒家と道家であり,法家は思想として表面にあらわれなかったが,儒家の徳をたてまえとする政治を支える技術としてつねに利用された。 このように多様な思想が自由に展開したのは,人間精神の躍動を示すものであり,これは芸術にもあらわれた。…
…秦の始皇帝の天下統一は,この法家政策によって実現したものである。他方諸子百家の論争の激化に刺激され,議論を運ぶ論理そのものへの反省が生まれ,論理学派というべき名家が現れた。これを名家とよぶのは,名と実との関係を論ずるからである。…
※「名家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
冬期3カ月の平均気温が平年と比べて高い時が暖冬、低い時が寒冬。暖冬時には、日本付近は南海上の亜熱帯高気圧に覆われて、シベリア高気圧の張り出しが弱い。上層では偏西風が東西流型となり、寒気の南下が阻止され...
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