名所図会(読み)メイショズエ

デジタル大辞泉 「名所図会」の意味・読み・例文・類語

めいしょ‐ずえ〔‐ヅヱ〕【名所図会】

江戸後期に盛んに刊行された、各地名所旧跡神社仏閣などの由来物産などを書き記した絵入りの名所地誌。安永9年(1780)の秋里籬島あきさとりとう編の「都名所図会」に始まり、特に「江戸名所図会」は有名。

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精選版 日本国語大辞典 「名所図会」の意味・読み・例文・類語

めいしょ‐ずえ‥ヅヱ【名所図会】

  1. 〘 名詞 〙 江戸後期の地誌風の読み物の総称。各地の名所旧跡の沿革などを解説し、これに風景画を添える。安永九年(一七八〇)刊の秋里舜福(籬島、または湘夕)著・春朝斎画「都名所図会」の成功にはじまり、同じ著者による「大和名所図会」「東海道名所図会」その他をはじめ、寛政から天保にかけて約七〇種が刊行されているが、特に天保七年(一八三六)に成った「江戸名所図会」は著名。
    1. [初出の実例]「墨水日記〈略〉この日記は英一之が年来の丹誠に予が麁漏の考を加へ浅草寺より竹の塚松戸より小梅にをはるの紀行にていとこまやかなる名所図絵(メイショヅヱ)なり 教訓亭主人撰」(出典:人情本春色辰巳園(1833‐35)三編)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「名所図会」の意味・わかりやすい解説

名所図会
めいしょずえ

名所案内記(名所地誌)の一形式。1780年(安永9)の秋里籬島(あきさとりとう)編の『都(みやこ)名所図会』から始まり、1902年(明治35)の『本派本願寺名所図会』まで続いているが、盛んに刊行されたのは、『江戸名所図会』(1834~36)を除けば、文政(ぶんせい)年間(1818~30)までである。絵入りの名所案内記は、1658年(明暦4)の『京童(きょうわらべ)』(中川喜雲(きうん)著)や1666年(寛文6)の『江戸名所記』(伝浅井了意(りょうい)著)などをはじめとして、それまで数多く成立していたが、「名所図会」の画(え)(絵)は、名所の景観を写しながら、神社仏閣の祭典・法要、民間の祭礼や年中行事など、四季折々の風俗を精密に描き出し、さらに和歌、俳句、その他を画中に書き込んで、画を見るだけで名所の旅を続ける楽しさを沸き立たせるようになっていた。秋里籬島が、なぜ、京都の名所記に初めて『都名所図会』と命名したのかは明らかでないが、寺島良安(りょうあん)編の『和漢(わかん)三才図会』は、すでに1712年(正徳2)に刊行されていた。図会は、特殊な画を集め合わせたものを意味しており、この絵入り百科事典である『和漢三才図会』に籬島もあやかって、「名所図会」としたのであろう。籬島は、都のほか、都拾遺(しゅうい)、都林泉(りんせん)、大和(やまと)、河内(かわち)、和泉(いずみ)、摂津、東海道、木曽(きそ)路、須磨明石(すまあかし)、伊勢(いせ)路、播州(ばんしゅう)、近江(おうみ)など、十数種の「名所図会」を執筆したが、暁鐘成(あかつきかねなり)、蔀関月(しとみかんげつ)らも筆者として著名であった。「名所図会」の総数は、明治のものまで入れて実に60種余りに及び、関東から九州にわたった。なかでも、近畿、東海道、関東のものが多い。18世紀の中ごろから19世紀にかけての日本人の旺盛(おうせい)な知識欲と、物見遊山(ものみゆさん)を兼ねた名所巡りの盛況を表しているといえよう。

[水江漣子]

『『日本図会全集』全14巻(1975・名著普及会)』『『日本名所風俗図会』18巻・別巻二(1979・角川書店)』『『日本名山図会』(和本)三巻(1979・芸艸堂)』


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改訂新版 世界大百科事典 「名所図会」の意味・わかりやすい解説

名所図会 (めいしょずえ)

江戸中期から後期にかけて刊行された通俗地誌の総称。もっとも江戸時代の初期にも,かなり多くの挿絵入りの通俗的な地誌が作られているが,それらは現在〈古版地誌〉の名で呼ばれる。いわゆる〈名所図会〉としては,まず1780年(安永9)に京都の町人吉野屋為八が計画・刊行した俳諧師秋里籬島編集,竹原春朝斎画の《都名所図会》6巻がある。これは〈古版地誌〉よりはその挿絵に重きを置き,実際の写生による鳥瞰図風の密画を多数入れ,本文よりはむしろ絵を主体として見て楽しむという点に特色を出すとともに,本文も通俗を旨としながら浮華に流れず,詩歌俳句の類を多く付載して興味深いものとしたため,世に好評をもって迎えられた。そこで吉野屋為八はつづいて同じ編者・画家による《拾遺都名所図会》《都林泉名勝図会》など,さらに河内,和泉,摂津その他,国別の名所図会をつぎつぎと刊行した。しかも編者および画家に前記2者以外の人々の参加を求めたので,これらの名所図会はいっそう見た目をにぎやかに楽しませた。こうした吉野屋為八の企画とその成功に刺激されて,他の書店もこれにならって《東海道名所図会》《木曾路名所図会》《伊勢参宮名所図会》《金毘羅参詣名所図会》《二十四輩名所図会》のほか,ひいては《唐土名勝図会》などというものまでも出版され,また,地誌とは離れた《山海名産図会》その他のものまで作られるにいたった。名所図会の流行は文化年間(1804-18)に及び,さらにその後京坂以外の土地でも,《江戸名所図会》《尾張名所図会》などその内容にいっそうの整備を志したいくつかの図会が作られた。なかでも天保年間(1830-44)に刊行された《江戸名所図会》などは,斎藤長秋,莞斎,月岑(げつしん)と3代30年余を経てようやく完成をみたもので,挿絵は長谷川雪旦の手に成り,〈名所図会〉中の第一の傑作に推されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「名所図会」の意味・わかりやすい解説

名所図会
めいしょずえ

江戸時代後期,旅行者ないし好事家のために刊行された一連の絵図入り通俗地誌兼名所案内書。いわゆる旅行記,道中記,旅行案内が袖珍本なのに対して,名所図会は成書として,一国一地方を主とするもの,街道中心のもの,庭園,山水に関するもの,信仰関係のもの,歳時記風のものなど多種類にわたる。安永9 (1780) 年京都で刊行された秋里籬島の『都 (みやこ) 名所図会』をはじめとして,幕末までに刊行されたもの約 40点,その頃編集されて明治以後刊行されたもの約8点を数え,また第2次世界大戦前『大日本地誌大系』『大日本名所図会』『日本図会全集』に収め,また戦後単独で復刻されたものが少くない。 (→江戸名所記 , 江戸名所図会 )

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百科事典マイペディア 「名所図会」の意味・わかりやすい解説

名所図会【めいしょずえ】

江戸中〜後期に作られた通俗地誌の総称で,各地の名所旧跡の由来,物産等をさし絵入りで記したもの。1780年刊の秋里籬島(あきざとりとう)編《都名所図会》6巻に始まり京坂を中心に流行,《都林泉図会》《摂津名所図会》等が作られた。のち各地に広がり,《江戸名所図会》等が作られた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「名所図会」の解説

名所図会
めいしょずえ

近世後期に盛んに刊行された地誌の一種。巡覧などの便のため,寺社・旧跡の由緒来歴や街道・宿駅・名物の案内などに,実景を描写した多くの挿絵をそえたもの。1780年(安永9)に刊行され,巡覧・巡拝者の増加にともなう需要で爆発的な売行きをみせた「都(みやこ)名所図会」に始まる。以後これにならったものが多く刊行された。

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