延久四年(一〇七二)正月二六日の善通寺所司等解(東寺百合文書)に「件寺者(中略)大師聖霊誕生之砌也」とあり、承元三年(一二〇九)八月日の讃岐国司庁宣(善通寺文書)に「右彼寺者、弘法大師降誕之霊地」とみえるように、古くから弘法大師空海の誕生地と伝えられている。江戸中期成立の多度郡屏風浦善通寺之記によると、大師帰朝翌年の大同二年(八〇七)一二月、父佐伯田君(法名善通)の寄進した四町四方の地に、唐の恩師恵果の住んだ長安青竜寺を模して建立に着手し、弘仁四年(八一三)六月に至って落成したという。寺号は父の法名をとり善通寺と名付けた。創建については、寛仁二年(一〇一八)五月一三日の善通寺司解(東寺百合文書)に「件寺為弘法大師御建立、其霊威尤掲焉也」、前掲延久四年の善通寺所司等解に「件寺者弘法大師御先祖建立道場」とあるように、平安時代から大師建立説と大師の先祖建立説の二説があった。前掲承元三年の国司庁宣では「佐伯善通建立之道場也」とする。先祖建立、のち大師修造説も早くからあり、仁治四年(一二四三)讃岐に配流された高野山の僧道範はその著「南海流浪記」に「抑善
長保二年(一〇〇〇)一一月二六日付の東寺宝蔵焼亡日記(東寺百合文書)に「諸国末寺公験并庄庄公験等」として「讃岐国善通寺公験」が記され、前掲寛仁二年の善通寺司解に「右寺成本寺別院以後、雖送年序」とあることから、おそらく一〇世紀後期には善通寺は京都東寺の末寺になっていたと思われる。東寺からは別当が派遣され、近くの
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
香川県西部にある内陸の市。1954年(昭和29)善通寺町と筆岡(ふでおか)、吉原(よしわら)、龍川(たつかわ)、与北(よぎた)の4村が合併して市制施行。1958年に象郷(ぞうごう)村の一部を編入した。市域の東部は讃岐(さぬき)平野が広がり、西部、南部は火上(ひあげ)山や大麻(おおさ)山など花崗(かこう)岩山地で占められる。北部を国道11号が走り、東部をJR土讃(どさん)線と国道319号が南北に通じるほか、高松自動車道の善通寺インターチェンジがある。この地で誕生した空海が父の佐伯善通(さえきよしみち)を弔うために建立した善通寺の門前町として発展し、市内には由緒ある寺院が多い。四国八十八か所の札所のうち、第72番から第76番までの曼荼羅(まんだら)寺、出釈迦(しゅっしゃか)寺、甲山(こうやま)寺、善通寺、金倉(こんぞう)寺の5寺が集まる。第二次世界大戦前は四国地方を管轄する第一一師団が置かれ、練兵場や兵営のある軍都として栄えた。戦後その広大な跡地に自衛隊のほか、四国学院大学、国立善通寺病院(現、四国こどもとおとなの医療センター)、国立農事試験場(現、農業・食品産業技術総合研究機構西日本農業研究センター)などの教育・研究施設がつくられ、市の一つの特色をつくっている。平野部では溜池灌漑(ためいけかんがい)による米麦作のほかに、野菜のビニルハウス栽培やミカン栽培、畜産が行われ、近年、化学製品、木工、繊維、缶詰の工場が進出している。商業ではスーパーマーケットや外食産業店舗の進出が目覚ましい。農耕儀礼の「木熊野(きくまの)神社の特殊神事」や、盆踊りの一種「シカシカ踊」は県指定無形民俗文化財。面積は39.93平方キロメートル、人口3万1631(2020)。
[稲田道彦]
『『善通寺市史』全3巻(1977~1994・善通寺市)』
香川県善通寺市善通寺町にある真言(しんごん)宗善通寺派の総本山。五岳(ごがく)山誕生院と号する。本尊は薬師如来(にょらい)。四国八十八か所第75番札所。高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)、京都東寺(とうじ)(教王護国寺)とともに弘法(こうぼう)大師空海の三大霊跡に数えられる。院号は当地が空海の生地であることによる。唐から帰朝した空海は807年(大同2)に真言宗の立教開宗の勅許を得たので、父佐伯善通(さえきよしみち)の邸宅を寺に改め、6年後の813年(弘仁4)に竣工(しゅんこう)、父の名をとって善通寺と称したのに始まるという。以来真言密教の道場となった。1000年(長保2)ころには真言宗の中心、東寺に属し、その後まもなく、東寺末寺のなかでも本寺別院とよばれて重きをなした。1229年(寛喜1)に近くの曼陀羅(まんだら)寺とともに京都随心院門跡の末寺となってからは讃岐(さぬき)国司の保護もあって寺運も向上した。1340年(暦応3)に焼亡したが、中興の祖といわれる宥範(ゆうはん)が実に22年の歳月をかけて復興。しかしこれらの堂塔も1558年(永禄1)に兵火で焼失した。以後代々の住僧が高松藩主松平氏、丸亀(まるがめ)藩主山崎氏の援助を得て再建に努めた。現在3万坪の境内には本堂(薬師堂)、瞬目(しゅんもく)大師を祀(まつ)る御影(みえ)堂、五重塔などがある。寺宝には一字一仏法華経序品(ほけきょうじょぼん)、空海が唐より将来したと伝える金銅錫杖(しゃくじょう)(以上、国宝)、木造吉祥天(きちじょうてん)立像、木造地蔵菩薩(ぼさつ)立像、善通寺伽藍并寺領絵図(以上、国の重要文化財)なで空海関係の宝物が多い。おもな行事には元旦(がんたん)の修正会(しゅしょうえ)、2月3日の節分会、旧正月20日に近い土・日曜に行われる大会陽(だいえよう)(裸祭り)、3月20、21日の正御影供(しょうみえく)、6月14、15日の御誕生会、10月20、21日の永代土砂加持(どしゃかじ)などがある。
[祖父江章子]
香川県善通寺市にある真言宗善通寺派の総本山。五岳山誕生院と号する。弘法大師空海誕生の地で,高野山,東寺とともに大師三大霊跡の一つ。寺伝では,807年(大同2)から6年の歳月をかけて空海が創建。寺地は空海の父佐伯善通の邸跡に当たり,創建当初,西安の青竜寺にならって金堂,大塔,講堂以下15宇の堂塔伽藍が整備されたと伝え,寺号はその父の名に由来する。しかし,出土古瓦などの研究により,すでに白鳳期から佐伯氏の氏寺があったとの推定もある。歴代天皇の崇信と保護は厚く,寺領荘園の寄進が続き,鎌倉中期に全盛期を迎えたが,1340年(興国1・暦応3)全山炎上,そのあと中興の祖とされる宥範(ゆうはん)(1270-1352)が,足利氏歴代の外護(げご)で10余年の歳月をかけて堂塔を復興した。しかし戦国末期に再び兵火のため炎上し,現存堂宇のほとんどは近世に入って,高松,丸亀両藩主らの援助による再建である。
境内は御影堂を中心とする〈本坊(西院)〉と,金堂を中心とする〈伽藍(東院)〉に分かれ,それぞれ江戸時代以後の建立にかかる多くの堂宇がある。御影堂(誕生院)は空海の母玉寄御前の御殿の跡と伝え,空海生誕の故地,日本真言の発祥の霊地である。金堂は本尊薬師如来を安置し,7間四面の2階建ての大建築で1685年(貞享2)の再建。四国八十八ヵ所霊場第75番の札所であり,いかに省略された巡路でも,かならず巡拝する霊場とされる。《法華経》の一字一字のかたわらに仏像をえがいた《一字一仏妙法蓮華経》序品1巻(国宝)をはじめとして,空海が師の恵果阿闍梨から授かったという唐製の金銅錫杖など,多くの重要文化財や中世以来の古文書を伝え,境内のいたるところにある空海の遺跡とあわせて,全国の大師信仰の中心となっている。
執筆者:藤井 学
香川県北西部,丸亀平野の一角にある市。1954年善通寺町と筆岡,吉原,竜川,与北(よぎた)の各村が合体,市制。人口3万3817(2010)。土讃線が通じ,高松自動車道のインターチェンジがある。市域の大半は金倉(かなくら)川や弘田川の沖積平野で,南に大麻(おおさ)山(616m),西に五岳(ごがく)山(火上(ひあげ)山,中山,我拝師(がはいし)山,筆ノ山,香色(かしき)山)がある。空海誕生の地といわれ,父善通の菩提のため空海が開いた善通寺の門前町として発達した。現在,同寺は四国八十八ヵ所75番札所であるが,市内には72番曼荼羅(まんだら)寺,73番出釈迦(しゆつしやか)寺,74番甲山(こうやま)寺,76番金倉寺と札所寺院が集中している。1896年第11師団が設置されて軍都として発達し,第2次大戦後は自衛隊が駐屯している。また四国学院大学や香川短期大学(1989年宇多津町に移転)があるほか,練兵場跡地に国立病院と国立四国農業試験場(現,近畿中国四国農業研究センターの四国研究センター)が置かれている。しかし商業や工業の発展は十分でなく,特に商業は丸亀市,琴平町にはさまれて商圏が狭い。
執筆者:坂口 良昭
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