喜多川平朗
きたがわへいろう
(1898―1988)
染織工芸家。本名平郎。京都西陣の有職(ゆうそく)織物の老舗(しにせ)俵屋(たわらや)に生まれる。1921年(大正10)京都市立絵画専門学校日本画科を卒業。27年(昭和2)家業を継ぐ。大正~昭和の正倉院資料調査整理などに刺激を受けて古典染織の研究に入り、31年から正倉院裂(ぎれ)の調査を行い、錦(にしき)、綾(あや)、羅(ら)など、古代の織技や染色技法の復原を試みた。とくに、衰退していた古代以来の羅を体系だてて復原、56年(昭和31)には「羅」、60年には「有職織物」の重要無形文化財保持者に認定された。また紋織技法の第一人者で、今日の生活に適した紋織物の創造にも努力を重ねた。
[今永清士]
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喜多川平朗 きたがわ-へいろう
1898-1988 昭和時代の染織工芸家。
明治31年7月15日生まれ。京都西陣織の老舗(しにせ)俵屋の17代目。正倉院裂(ぎれ)などの古典染織の研究と復元につとめる。昭和31年羅(ら)で,35年有職(ゆうそく)織物で人間国宝。昭和63年11月28日死去。90歳。京都市立絵画専門学校(現京都市立芸大)卒。本名は平郎。作品に「斑金錦牡丹唐草文帯」など。
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世界大百科事典内の喜多川平朗の言及
【羅】より
…しかし羅の織製が,中国では漢代以降,明・清代に至るまで一貫して続けられてきたのに対し,日本では平安時代以降中世を経るうちに衰微し,江戸時代にはわずかに無紋の羅が冠に供されるためにのみ織製されてきたにすぎない。紋羅の復興は昭和に入り,京都の喜多川平朗(きたがわへいろう)(1898‐1988)による,上代羅の復元を契機に可能となったもので,これにより氏は1956年に重要無形文化財に指定された。【小笠原 小枝】。…
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