精選版 日本国語大辞典 「喪」の意味・読み・例文・類語
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死の穢(けが)れに対して、忌み慎んでいる状態をいう。一家のうちに死人が出ると、その家族ばかりでなく、血族も、その家の火で煮炊きした物を食べた人も、みな穢れの影響を受けるものと考えられてきた。そのため一定期間は仕事を休み、神前や晴れがましい場所に出ず、静かに家にこもる。喪中の家では神棚(かみだな)を閉め、家の入口に簾(すだれ)を裏返しにつるし、白紙に「忌中」と書いて斜めにつける。山形、新潟、長野、群馬、神奈川の諸県では、門牌(もんぺい)などと称する忌中標識を入口の外に立てる。古くは埋葬地の近くに喪屋(もや)を設け、親族はここにこもって忌服(きぶく)の生活を送ったようである。喪には忌(き)と服とがある。かなり混同し混乱しているが、忌は厳重な慎みの状態で、服は忌に比べていくらか軽い状態である。たとえば死後7日間は忌の状態が続き、そのあと四十九日まで服の状態を守り、それが終わると日常の生活に戻る。喪中の間にいっさいの仕事を禁じたのでは、生活に差し支えるので、忌(い)みの観念の薄れるにしたがって期間は短縮され、49日目の行事を7日目にしたり、葬式直後に済ませることも多くなった。
宮城県本吉(もとよし)郡では、7日目が忌中ばらいであるが、早く海に出て漁をしなければならぬ者だけは、魚を食べて精進(しょうじん)上げをすれば、忌が明けたと同じ状態になれるとしている。不幸のときになまぐさ物を食べないのは、仏教の教義に基づくものであろうが、喪の晴れる時期には積極的になまぐさ物を食べ、平常の状態に戻ろうとする。精進ばらい、精進上げ、精進落ち、精進落としなどという。忌中の間は神社に参らないから、忌明けのおりに進んで神参りをする所もあり、屋内の神棚に張った白紙を取り除くのも忌明けのときである。軽いほうの忌み(服)が明けると、完全に死の穢れから遠ざかったはずであるが、しばらくは忌みが残っており、普通、新年を迎える前後まで続く。死後49日までに正月がくれば、正月行事はしないが、もっと日がたっていると、年の暮れに共同飲食をして年越しを済ませ、1年を終わったものとして、改めて普通の正月を迎える例がある。喪の観念は、死者との血縁の親疎によって、たとえば親子は100日、兄弟は49日、いとこは7日というような差異があったが、家族制度のなかで家単位にまとめて戒慎することが多くなった。現在は喪中の者は年賀状を出さず、暮れのうちに年賀欠礼の挨拶(あいさつ)状を出したり、正月明けに寒中見舞い状を出す。
[井之口章次]
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…これ以外は申請による。養老令によれば,農繁期の休暇である〈田假〉は5月,8月に各15日,〈定省假〉は文武の長上官でその父母が畿外に居住しているものが父母を見舞うために3年に1回,30日,〈喪假〉は父母の喪にあうものは解任され,夫,祖父母,養父母,外祖父母は30日,曾祖父母,妻,兄弟姉妹,嫡子等は20日,高祖父母,嫡孫等は10日,孫,従父兄弟姉妹等は3日,受業の師の喪には3日,〈改葬假〉は20日~1日,遠方にあって喪を聞いたときは喪假の半分を給する(挙哀假)。国司が任終わって帰京するときの〈装束假〉は20~40日が給された。…
… 現在の人類社会において葬制の意味するところは単なる死体の処理を超えてはるかに広い。それは,たとえば人間は霊魂をもつという観念のなかに端的に見られるように,個人の人格は肉体の存在とは別の文化的表象をもっており,それによって死および死者にかかわる儀礼は死の直後だけでなく,服喪の順守や年忌・法事の執行に現れているように長期間にわたって継続される可能性があるからである。さらに重要なことは,このようにして表象された死者は社会的な存在であるということである。…
※「喪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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